現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

『風立ちぬ』観てきました

2013-07-29 11:07:28 | テレビ・映画・芸能人
宮崎駿監督の『風立ちぬ』観てきました。前評判良く満席。

「ゼロ戦」の設計者「堀越二郎」がモデル。2013年は、
「堀越二郎」の生誕 110年とか。

大正12年の「関東大震災」から、昭和初期の「経済不況」。
そして日中、太平洋戦争へと突き進んでいく時代に、飛行機の
開発、設計一筋に生きた「堀越二郎」の半生。

「ゼロ戦」の設計者というので「ゼロ戦」の戦闘シーンも
出てくるかと“期待”しましたが、全く無し。「ゼロ戦」の
前の「七試艦上戦闘機」や「九試単座戦闘機」の開発シーン
が中心。

そこは、「反戦」「憲法改悪反対」を言明している「宮崎駿」
監督の意図と思えます。「ゼロ戦は美しい。美しいものは
魔物だ。国を滅ぼす」そして「一機も帰ってこなかった」と
いうセリフが、宮崎駿の言いたいことだったのでしょう。

でもそれだからこそ、私としては「ゼロ戦」での特攻シーン
など入れて、戦争の悲惨さを描いてくれたら、映画作品として
盛り上がると思うのですが、そこは肩すかし。


舞台が名古屋の「三菱内燃機製造」(現在の三菱重工業)で
あることに、「名古屋のモノづくり」のすごさを あらためて
認識。

ところで、主役の「堀越二郎」の声を、声優ではなく
「庵野秀明」氏を起用したことに、ネット上で賛否両論
語られていますが、私は「さすが宮崎駿監督」との思いを
強くしました。技術屋さんは得てして、口べたで朴訥な
イメージです。彼が弁舌さわやかな声優の声だったら、
他の声優の中に溶け込んでしまったでしょう。あの
素人ぽい棒読みの声だからこそ、他と際立った存在感を
示せたと思います。まさに、素人芸を逆手にとって
最大限の効果を出す宮崎駿の異才ぶり発揮です。


「風立ちぬ」と堀辰雄の「菜穂子」(ネタバレ)

2013-07-29 10:44:24 | テレビ・映画・芸能人
宮崎駿の『風立ちぬ』。「零戦」の開発者「堀越二郎」が
モデルと思って観ましたが、「堀越二郎と堀辰雄に捧ぐ」と
宮崎駿が語っていることから、「堀辰雄」の生涯に
「堀越二郎」を合わせたのでは、と思い直しました。

ところで「堀辰雄」って誰だっけ。すっかり忘れていましたが、
『風立ちぬ』と『菜穂子』を書いた作家でした。小中学生の
時、「昭和文学全集」で読んでいたはずですが、読んだ当時は
何がなんだか、“ぐしゃぐじゃ”した話という理解でした。

「世界に優れた戦闘機の開発」に身命を賭す「堀越二郎」
ですが、宮崎駿が描く「堀越二郎」には“男臭いガッツ”は
無く、軟弱な「堀辰雄」です。その相反する矛盾を内蔵する
ところに、この作品を理解する鍵があるようです。

宮崎監督の意図は、「戦争は否定するが、資源もない金も無い、
時間も無い、制約された条件の中で、最大限の知恵と技術力を
働かせる“日本人”」への賛歌でしょう。

さて では、堀辰雄の『風立ちぬ』と『菜穂子』の二つを
読み返してみて、宮崎アニメ『風立ちぬ』のネタバレです。

堀辰雄の『風立ちぬ』のヒロインの名は「節子」ですが、
宮崎アニメ『風立ちぬ』のヒロインは「菜穂子」でした。

堀辰雄は、関東大震災で母親を亡くしています。その思いが
宮崎駿の『風立ちぬ』の冒頭ででてきます。宮崎監督自身
カットしようかと思ったほど、激しい「大震災」の描景でした。

また、堀辰雄自身が、結核に冒され、八ヶ岳山麓の「富士見
高原病院(サナトリウム)」に入院し、そこで出会った女性
との間にほのかな恋心を抱きます。それが『風立ちぬ』の
「節子」であり「菜穂子」です。「節子」は婚約者に愛されつつ
若くしてこの世を去ります。

「菜穂子」には「黒川」という夫がいます。高原の病院に
一人の男性が訪ねてきます。それは、昔、長野県の追分で
出会った幼なじみの都築明という人物でした。この男性は、
おそらく「堀辰雄」自身なのでしょう。「淡い何か」が
起きそうな気配はあるものの、結局は何もないまま都築は
去って行きます。

菜穂子は高原の療養所を抜け出して中央本線に乗って 東京に
出てきてしまうのです。それは「都築明」に会うためではなく
夫の「黒川」に会うためでした。(なんだ、つまらぬ)。
このような話が、宮崎アニメの『風立ちぬ』では「堀越二郎」の
話として使われているのです。

私の父の母も結核で、広い屋敷の離れに、隔離されていた
ようです。父も若い時肺炎を患っています。母方の二番目の
叔父は清瀬や千葉の「国立療養所(サナトリウム)」に
勤めていました。尺八を習いに、叔父の社宅へしばしば
行きましたので、そうした情景は私も理解できます。


ちなみに、「菜穂子」の夫の「黒川」という名前は、宮崎
アニメでは「堀越二郎」の良き理解者である「課長」の名
として使われています。


病魔と闘いながらも儚(はかな)くも美しく散っていく命と、
不器用に生きる人間。そして「大震災」にも「戦争」にも
めげず生き抜く人間へ向けられた宮崎駿監督の限りない愛情が、
このアニメに詰められているのです。それが、感動を呼び
起こしているのでしょう。