中日新聞に連載されている五木寛之『親鸞』。
浄土宗が抱える問題を 判りやすく説明してくれている。
「“南無阿弥陀仏”と一回でも唱えれば、それまでどんな
悪事をした者でも極楽に往生できる」と言う者もあれば、
「毎日毎日、何万回も唱えなければ極楽往生はできない」
と説く人。
「造悪無碍(むげ)」とは「何をしてもかまわない。
悪事を働いてもよい。むしろ、悪人こそが救われる」
という考え。
これでは、為政者からみれば 法を犯す罪人。弾圧の
対象になる。
これに対して、為政者に取り入ろうとして、ひたすら
善行に取り組むべしと説く道場も生まれる。
各自が勝手な解釈をして、念仏道場を開く。道場の掟に
違反したものは厳しく制裁を加え、そして道場同士が
信徒の獲得で争う。
親鸞の長男「善鸞」は、説教に節をつけて歌い上げる
「唱道」に己の才を見出すが、親鸞は納得しない。
何が正しいのか親鸞も悩み苦しむ。そもそも「悪人
とは何か」が はっきりしないと。
浄土宗が抱える問題を 判りやすく説明してくれている。
「“南無阿弥陀仏”と一回でも唱えれば、それまでどんな
悪事をした者でも極楽に往生できる」と言う者もあれば、
「毎日毎日、何万回も唱えなければ極楽往生はできない」
と説く人。
「造悪無碍(むげ)」とは「何をしてもかまわない。
悪事を働いてもよい。むしろ、悪人こそが救われる」
という考え。
これでは、為政者からみれば 法を犯す罪人。弾圧の
対象になる。
これに対して、為政者に取り入ろうとして、ひたすら
善行に取り組むべしと説く道場も生まれる。
各自が勝手な解釈をして、念仏道場を開く。道場の掟に
違反したものは厳しく制裁を加え、そして道場同士が
信徒の獲得で争う。
親鸞の長男「善鸞」は、説教に節をつけて歌い上げる
「唱道」に己の才を見出すが、親鸞は納得しない。
何が正しいのか親鸞も悩み苦しむ。そもそも「悪人
とは何か」が はっきりしないと。