現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「世の中変わった」と思うこと

2016-02-27 04:09:09 | 社会問題

「スマホ」に「iPad」。「ケータイ」も持たない私でしたが、
とうとう、ケータイを持つことに。「変革の嵐」は否が応でも                                                   押し寄せる。

今日まで三日間東京に行ってました。用件はすべて                                                            ケータイにかかってくる。                                                  

「固定電話」は全く使われなくなった。かかってもこない。
近況は「Face.book」で見られる。だから「手紙」などは                                                     もう過去のものになった。

「断捨離」で過去のプログラム、楽譜、名簿を捨てた。
楽譜など、二度と再演することがないものばかり。

名刺も交換しても、再会する人は少ない。その場限り。                                                            5年前の名刺など、もう住所や役職が変わっていて、                                                       全く用をなさない。世の中変化が早すぎる。


よけいなお世話

2016-02-27 04:08:29 | 虚無僧日記

名古屋駅前で立っていると、行き先が分らずウロウロしている人に
お目にかかる。つい親切心を出して、「どちらへ行かれますか」と
声をかけると、サッと逃げていく。昨今は、スマホでナビを見たり、
相手とやりとりして、自分で行き先を見つけられるから、見知らぬ
人に尋ねることはしなくなった。


昨日は、苑で 駐車場の案内のご奉仕。「駐車場係り」なのだが、
「誘導はしていけない」というのだ。車をバックで駐車スペースに
入れるのに「オーライ、オーライ」と誘導したり、歩行者と車が
行きかう所で、車を停止させたり、歩行者の列を止めたりの                                                 交通整理をしてはいけないという。

以前、誘導をしたために 車をぶつけて、責任を問われたことが
あったらしい。以来、車の運転者も歩行者も“事故”は“自己責任”。

駐車場係りは、ただ黙って見守っていればいいとのこと。なんか
それでは“用無し”“無能”な気がする。ついつい口出ししたくなる
私だが、たしかに、手出し口出しをして、それがために、かえって
事故を招くこともありそう。

「婆子焼庵」の公案だ、これもひとつの勉強になった。

※「婆子焼庵」は臨済禅の「公案」のひとつ。
「青年僧に庵を与えて、衣食住の面倒をみた婆さん。
20年たって、娘を僧に近づけたら 拒絶されたので、
怒って その僧を追い出し、庵も焼き払ってしまった。
さて、婆さんは なんで怒ったのか」という問い。

一休は「泥棒に梯子を貸すようなもの」と解いている。
つまり「年寄りの冷や水、婆さんは余計なことをした」と。