秦氏は「日本書紀」によれば、応神天皇の283年に弓月(ゆづき)の君が百済から127県の1万8670人を連れて 日本に来たという。
「弓月君」という名前は、天山山脈の北にあるバルハシ湖に流れるイル川の上流にあった弓月国の「ヤマトゥ」から来たらしい。まさに「大和」の語源だ。
この「ヤマトゥ」の近くに「ハン・テングリ山」という山がある。
ハン(Khan)は、族長の称号であり、テングリ(Tengri)は、「天の神」を示すと言う。「てんぐり」は「天狗」にも通じる。
弓月国(Kung-Yueh)は キリスト教王国であった。 天皇のことを「ミカド(帝)」と呼ぶが、これは「ミー・ガド(ガド族から出た者)」のことだと言う。
ガド族の始祖「ガド」の長男の名前は「ニェポン」だった。まさに「ニッポン」。
秦氏が定住した「太秦(ウズマサ)」は中国では「キリスト=教景教」を意味していると。
秦氏は、伊勢神宮、猿田彦神社、宇佐八幡、伏見稲荷など、日本の神社、神道に深く関係している。そこでは雅楽も奉じられた。つまり、雅楽を日本にもたらしたのも秦氏。
篳篥(ひちりき)の「東儀」氏の祖は「秦」氏であるとご本人もかたっている。 猿田彦神の顔は天狗と同じく、鼻が高いイスラエル人であり、芸能の神である。
さてさて、奈良東大寺正倉院の尺八は「百済」から伝わったとされているが、秦氏が百済を経由して日本に持ち込んだものとしたら・・・・・。
そう、ローマのキリスト教と関わりのある「秦」氏である。
ローマでは「縦笛」のことを「Tuiba」と呼んでいた。クラリネットなどの縦笛はラテン語で「Tuipa」である。尺八は、この「チユイパ」が「秦」氏によって、まず中国にもたらされ「尺八」という漢字が当てられた。中国では「尺八」は「チーパ」と発音する。
その後中国を追われた「秦」氏が朝鮮「百済」を経由して日本に持ち込んだ。
正倉院の古代尺八は「ドレミファソラシド」の7音階になっている。そのことからも「尺八が中国の唐代に作られた」という通説は誤りで、もっとそれ以前、ローマからタクラマカンを経て伝わったものなのだ。