『仮名手本忠臣蔵・九段目山科閑居の場』では、
大星由良之助の山科の閑居に 虚無僧が現れる。
妻の戸無瀬、娘の小浪を追ってやってきた加古川本蔵
の忍びの姿だ。
そして幕切れ、由良之助が本蔵の着ていた虚無僧の衣裳で
旅立っていくのも、これから仇を討ちに行こうとする人の
装いとして、虚無僧はふさわしいものだったことを意味
している。
この『仮名手本忠臣蔵』が、人形浄瑠璃として初演されたのは
寛延元年(1748)、歌舞伎は翌年(1749年)のこと。
天明6年(1786)に人形浄瑠璃で初演された『彦山権現誓助剣
(ひこさんごんげん ちかいのすけだち)』では、「女虚無僧」が
登場する。 男に変装するには、虚無僧は都合のよいものだったか。
この役者絵として「女虚無僧」を描いた浮世絵が 結構 出回り、
「女虚無僧」を主人公にした話もいくつか作られたが、実際に
「女虚無僧」が居たのかは不明である。芝居や小説の中だけの
「妄想」だったか。
そして「歌舞伎十八番」の『助六』。黒の着流し、高下駄、
腰に差した尺八一管。『助六』が登場するとき「ツレ~」と
尺八が鳴る。これも「カタキ」をねらう「虚無僧」を連想
させる。
正徳5年(1715年)、二代目市川團十郎は、中村座で『坂東一
寿 曾我(ばんどういちことぶきそが)』で、曾我五郎を
演じたが、そのなかで"虚無僧"に扮した場面があり、これが
大当たりした。翌年、中村座の『式例 寿 曾我(しきれい
ことぶき そが)』で、「助六は実は 曾我五郎」という
設定がうまれた。
いずれも、江戸時代の半ば、1700年代が 虚無僧の全盛期
だったのだ。
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