現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

諱(いみな)、字(あざな)、号(ごう)

2012-03-02 03:06:52 | 虚無僧日記
歴史上の人物は、実にたくさんの名前を持っている。幼名があり、
元服してからの本名があり、俗称、通称、諱(いみな)、字(あざな)、
号(ごう)、官位や冠位、そして法名、戒名とある。

諱(いみな)は、「忌む」に通じ、口に出すことがはばかられる
ことを意味する。本名である「諱」で呼びかけることは、親や
主君などのみに許され、それ以外の人が諱で呼びかけることは
極めて無礼であると考えられた。諱に対して、普段 呼ぶときに
使う名称のことを、字(あざな)という。

歴史ドラマで「信長公は・・」「秀吉めが・・」「家康殿・・・」 と 実名で
呼び合っているが、それはない。「右府様」「太閤殿」「内府殿」
など冠位や、「上総介」「筑前」、「三河殿」「大御所様」
「権現様」「東照公」などと呼ぶのが習わしだった。

徳川光圀は 誰でも知ってる「黄門様」。「黄門」とは「中納言」の
唐名。

「浅野内匠頭」は「ないしょのみ」ではない「あさの たくみ
のかみ」。「吉良(きら)殿」「上野(こうずけ)の介」とは、皆
知っているが、では実名は?。「浅野 長矩」「吉良 義央」。
「 義央」は(よしひさ)とされているが、実は、なんと読むのかは
不明なのだ。

つまり、本名は「無かった」に等しい。

というわけで、私の本名は「牧原伸一郎」。のちに「牧原伸一朗」、
「牧原龍生(ぼく、はらたつよ」と名乗っていた時もあったっけ。
今は、腹を立てぬように「一路(いちろ)」を名乗っている。


当家は亡くなると、諱(いみな)として 代々「直」の字をつけるので、
尺八にちなんで「直尺」かな?「直八」か? しまらないのォ。

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