現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

会津藩祖「保科正之」九曜の紋

2012-09-29 17:50:51 | テレビ・映画・芸能人
『天地明察』で、会津藩祖「保科正之」が、安井算哲を
庇護し、全国各地での北極星の観測を命じます。
「保科正之」は徳川3代将軍「家光」の弟で、故あって
信州高遠の「保科家」に預けられ、その跡を継いだのです。

家光の代になって、会津藩祖となり、さらに4代将軍
家綱の後見となって、幕藩体制を確立した名君とされます。

明暦の大火で焼失した江戸城の天守閣再建にあたって
「天守閣の再建は無用」と決断したことが 「名君」として
話題に上っていました。

その保科正之が「安井算哲」の星の観測に関心を示し、
映画では、士分でない算哲に「九曜の紋」の入った
大小(刀)を授けます。

「保科」家の先祖は、『平家物語』には「星名党」と
して記されています。

治承四年(1180)、平家打倒に立ち上がった木曽義仲が
越後の城助職と横田河原で戦ったとき、「星名党」が
三百余騎を率いて義仲に加勢しています。

「保科」家の紋は、福島の「相馬」氏と同じく、○が
縦横三つずつ 九つ並んだ「九曜紋」です。
「九曜の紋」の謂れについては「北極星、北斗七星、
輔星の九星」であると言います。「保科正之」が
北極星の探索に関心を寄せたのも、姓の由来と関連が
あったのではと、私には思えます。
(『天地明察』ではそこまでは書かれていなかったよう
ですが)。

また、会津地方で一番多い姓は「星」。これも偶然
ですが、因縁めいたものを感じます。

また、会津藩の藩校「日新館」には「天文台」があり
ました。私は、子供の頃、その石垣に上って遊んだことが
あり、天文台など どこにでも有るものと思っていましたが、
江戸時代の日本では、天文台は会津と江戸と薩摩の三箇所
しか無かったとのことです。

それにしても「安井算哲」を小説の題材にすえた 沖方
(うぶかた)丁。すごい! やられた。悔しいでござる。

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