足利三代将軍義満は後小松帝を金閣寺に招き、一か月もの間拘束。毎日能の宴を開いたり、酒池肉琳三昧。そして、後小松帝に「次期天皇には我が子義嗣を」と約束させた。
そして義嗣の立太子の儀式を終えた一週間後、義満は謎の死を遂げる。
義満殺しの黒幕は義満の長男で第4代将軍になっていた義持。義持と義嗣は母親違い。兄義持にしてみれば弟義嗣が天皇になることなど絶対許せない。自身は将軍であって、天皇に膝まづかなければならない。そんなことには耐えられない。
それで父義満を殺し、相国寺も七重の塔を始めことごとく破棄した。ただ金閣寺だけは残した。
さて、後小松天皇が1カ月も滞在された場所としては、現在見る金閣寺では狭苦しい。復元写真によれば、方丈など別棟もあったのだ。これで納得。