今年の夏は大分県に行き、『西南戦争』の跡を辿ってきた。
私の母方の曽祖父の家に、「五郎」という若者がやってきて
「警察隊に入りたいので養子にしてくれ」と言う。当時
「警察隊」は旧士族でないと入れなかったので、養子に
してやり、「福島県士族・山室五郎」として彼は西南戦争
に向かった。そして大分県の臼杵で戦死し、大分護国神社
内の墓地に埋葬された。彼の本姓も素性も一切判らない。
護国神社に埋葬されていたことすら知らなかった。135年
もの間、誰一人お参りすることなく、故郷遠く離れて眠る
「山室五郎」なる人に涙の一曲を手向けてきた。
彼は農家の者か、出入りの商人の倅か判らぬが、平民でも
「戊辰の仇」と、薩摩に対する恨みで志願して「西南戦争」に
行ったのかしらんと思っていた。
その隣りの墓を見ると「鹿児島県士族」とあるではないか。
鹿児島人と共に起居し、西郷軍と戦った山室五郎は「戊辰の
仇討ち」が目的ではなかったのではないかと思えてきた。
彼は、明治の世となってもますます困窮する生活から、
生きる糧を求めて「警察隊」に志願したのではないか。
だが、武運つたなく命を落した。ますます憐れだ。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「日本ブログ村」の投票、お願いします。クリック、クリック!
私のメールは goo3360_february@mail.goo.ne.jp
私の母方の曽祖父の家に、「五郎」という若者がやってきて
「警察隊に入りたいので養子にしてくれ」と言う。当時
「警察隊」は旧士族でないと入れなかったので、養子に
してやり、「福島県士族・山室五郎」として彼は西南戦争
に向かった。そして大分県の臼杵で戦死し、大分護国神社
内の墓地に埋葬された。彼の本姓も素性も一切判らない。
護国神社に埋葬されていたことすら知らなかった。135年
もの間、誰一人お参りすることなく、故郷遠く離れて眠る
「山室五郎」なる人に涙の一曲を手向けてきた。
彼は農家の者か、出入りの商人の倅か判らぬが、平民でも
「戊辰の仇」と、薩摩に対する恨みで志願して「西南戦争」に
行ったのかしらんと思っていた。
その隣りの墓を見ると「鹿児島県士族」とあるではないか。
鹿児島人と共に起居し、西郷軍と戦った山室五郎は「戊辰の
仇討ち」が目的ではなかったのではないかと思えてきた。
彼は、明治の世となってもますます困窮する生活から、
生きる糧を求めて「警察隊」に志願したのではないか。
だが、武運つたなく命を落した。ますます憐れだ。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「日本ブログ村」の投票、お願いします。クリック、クリック!
私のメールは goo3360_february@mail.goo.ne.jp