今朝の「朝起会」でのご本読みで「水戸黄門様も
子供の頃は不良少年だった」という話に、目が
覚めた。「天下の副将軍、水戸のご老公、黄門様」
こと水戸光圀は、正室の子ではなく、子供の頃は
自由奔放、粗野で行儀も悪く、異様な着物をまとい、
筝や三味線を弾いたり、遊郭通いもしていたとか。
それが「庶民の心が解る名君」になる肥やしだった
のかとも思う。時の将軍綱吉の「生類憐みの令」に
歯向かって、邸内に入り込んだ暴れ犬を殺させた
とも。
テレビの『水戸黄門』の初代は、東野栄次郎だった。
それまで彼は悪役専門の役者だったとか。私には、
「水戸黄門」といえば、東野栄次郎の印象が今でも
強く残っている。
外国では、「印籠」をふりかざして「これが目に入ら
ぬか」の一言で悪人共が平服するシーンは理解でき
ないそうだ。お上のご威光をふりかざす『権威主義』
だというのだ。
ところがどっこい、水戸黄門は徳川御三家でありながら、
将軍に楯突く存在だった。水戸光圀の『大日本史』編纂
事業が、尊皇攘夷思想を広め、それが徳川幕府崩壊を
導くこととなった。政権を放り出し、幕府を潰した最期
の将軍慶喜は水戸斉昭の子だ。
介さん角さんを従えての「水戸黄門漫遊記」が人気と
なったのは、明治になってからとのこと。“幕藩体制の
非を説いた正義の人”として喧伝する明治政府の思惑も
あったと知る。
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