現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

『羅生門』と『藪の中』

2018-04-30 09:49:13 | Weblog

黒澤明の『羅生門』は、全く不可解な映画だった。

まず内容が、芥川龍之助の原作『羅生門』とは全く違う。
内容は芥川の別の短編『藪の中』なのだ。羅生門で、乞食僧が
「自分が見聞きした不思議な話」を語るという設定で、タイトル
が『羅生門』となったのだ。話の内容は、

妻を連れて旅する武士が、山中で野盗に襲われ、妻を手篭めにされ
た上、殺される。その後、野盗(三船敏郎)が捕らえられ、裁きを
受ける。野盗と被害者の女との言い分が全く違う。そこで霊媒師が
登場し、その口から、死んだ侍の無念な心情が語られる。ところが、
三者とも、みな「自分が(で)刺した」と証言しているのだ。
普通なら、「自分は殺ってない」と他人に罪を押し付けるところが、
三人とも、「自分が(で)殺った」と主張している。この話から、
「真相は藪(やぶ)の中」というのが、慣用句になったそうな。

 完成時、大映の社長は「わけがわからん」と不評を示したが、
 ヴェネチア国際映画祭でグランプリを獲ると、自分の手柄の
 ように自慢したという。君子豹変だ。

初め観た時は、私もちんぷんかんぷん。何度か観て、少し捉えら
れるようになった。三船敏郎演ずる悪盗と、殺された武士、そして
その妻、三者とも、面子にこだわる言い分なのだ。

野盗は、女に「殺してくれ」と頼まれ、男の縄をほどいて、正々
堂々切りあって勝ったのだ。と
女は、「犯された私を、夫は蔑んだ目で見た。もはや夫婦を続ける
ことはできないと夫を刺し、自分も死のうとしたが死ねなかった。
夫は「なんと妻は、野盗に惚れ、『こんな男を捨てて、あんたと
一緒になりたい』と野盗に着いていってしまった。女房に逃げられ
ては男の面目が立たない。自分で胸を刺したのだ」と。

結局、真実は「藪の中」。さらに、ラストがますます不可解。

雨も上がり、乞食僧は、捨てられていた赤ん坊を抱いて、羅生門を
立ち去ろうとする。その時、話を聞いていた一人が問いただす。
「判ったぞ、その男を刺した小刀はどうなったんだ」と。

どうやら、藪の中から、その僧は一部始終を観ていたわけだ。そして、
虫の息の侍にとどめを刺して、胸から小刀を抜いて持ち去り、売り
払って金にした。また子供も人買いに売ろうという話らしい。意外な
結末だ。

この『羅生門』も『藪の中』も、原典は平安時代の『今昔物語』。
千年を経た今日でも、そっくりそのまま、ワイドショーでも報じられ
そうな事件である。

欧米では、真相不可解な事件があると「ラ・ショーモン」というそうな。
それほど、黒沢のこの映画は、外国でも有名らしい。


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