「宝塚」で検索して見つけたブログからコピーです。
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宝塚歌劇団の舞台裏には、『ブス25箇条』という
張り紙が貼られているそうな。その中から、いくつか
書き抜いてみた。
【1】笑顔がない
【2】お礼を言わない
【4】目が輝いていない
【5】精気がない
【6】いつも口がへの字の形をしている
【9】自分がブスであると思っていない
【11】自分が正しいと信じ込んでいる
【12】グチをこぼす
【13】他人をうらむ
【14】責任転嫁がうまい
【15】いつも周囲が悪いと思っている
【16】他人にシットする
【17】他人につくさない
【18】他人を信じない
【19】謙虚さがなくゴウマンである。
【20】人のアドバイスや忠告を受け入れない
【21】なんでもないことにキズつく
【22】悲観的に物事を考える
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「ブスは『顔』じゃない、心の問題」、だってさ。
「女の園」の宝塚。華やかな笑顔の舞台裏では、全部
ありそうな項目だ。だから、あえて「反省項目」が
あるのかな?。
67人が角膜炎など感染=2人が入院、視力矯正手術で-東京・銀座の眼科(時事通信) - goo ニュース
眼科で角膜炎をうつされるとは。全く病院に行くと
病気になるというのが私の持論だ。
テレビでも、「口内炎の薬は効かない」とか、「うつ病は、 薬の過剰投与で悪化。薬をやめたら治った」とか。 いったい何のための病院なのだと思う。
瀬戸内寂聴も、ヨーロッパに行くのに、それまで持病の
薬を病院でもらってきて服用していたが治らず、海外
旅行はとても不安だった。病院で薬を大目にもらって
きたが、持っていくのを忘れた。1カ月の海外旅行で、
薬を飲まなかったら元気になった」と。
五木寛之も「むやみに医者や薬に頼るのはいかがな
ものか。検査で悪いところを無理に探そうとしている
のはおかしい」言っている。心強い。
「死んでも医者にいかない」とはいいながら、虫歯の痛みは なんともしょうがない。昨年、歯が痛むのでとうとう歯医者に 行った。「これはもう総入れ歯がインプラントにするしかない」 とのこと。「とんでもはっぷん」で次行かなかったら、いつのまにか 治ってしまった。
ネットで『おちょろ女と虚無僧』と一緒に入手したのが
仙石騒動について書かれた小説『風聞』。著者は「丹波
元(はじめ)」氏。放送作家だそうだ。
「仙石騒動」というと、我々虚無僧愛好者は、手前味噌で
「虚無僧・友鵞(ゆうが)=神谷転(うたた)」を中心に
論じてしまうが、この小説は「家老の仙石左京と 仙石造酒」
との対立を克明に描いている。「神谷転」のことは、わずか
10数ページほどだが、実によく、「虚無僧」の実態を知り尽く
している。
「普化宗は、その宗旨と存在が特殊であるため、宗教界に
於ける力が弱く、単なる浪人の駆け込み寺的に思われがち
だった。そこで一月寺の役僧「愛璿(あいせん)」は、友鵞
(=神谷転)の一件を利用して、日頃縁の無い寺社奉行との
接触を強め、普化宗の存在を世に認めさせようとした」
「出石藩」の揉め事が大きくなればなるほど、普化宗の
存在が世間に知られる」と。
虚無僧愛好者の中には、「虚無僧は『家康公のお墨付』を
得て天下御免の・・・」などと信じて高言している人が多いが、
実態は「丹波」氏が書かれている通りだと思う。
「愛璿」の思惑は成功したかにみえるが、この後、「普化宗
とは何ぞや」の詮議が始まり、『家康公のお墨付』も偽書と
断定され、虚無僧は弾圧されるようになるのである。
「やぶへび」だったのだ。
(社)実践倫理宏正会の会長「上広栄治」氏の著書『朝の誓い』に
「時、金、心の三つの無駄を排す」という項目で「青砥藤綱」の
話が引用されています。
『太平記』の巻35にある逸話。
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鎌倉幕府の御家人で名裁判官と言われた「青砥藤綱」は、
ある夜のこと、馬で渡河するさなか、10文銭を川に落して
しまった。そこで、供の者に 松明(たいまつ)を50文で
買ってこさせ、水の中を照らして 10文銭を見つけだした。
供の者たちは、「銭10文を得るのに 50文を使っては、
得たものよりも失ったものの方が大きい、大損だ」と
笑った。しかし青砥藤綱は、「10文を無くすことは、
天下の損失。その10文を探すために、松明で50文を
使ったことは、人々の為になったのである」と。
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さてはて、鎌倉時代の話が なぜ『太平記』に出てくるのだろう。
鎌倉時代の歴史書『吾妻鑑』などには「青砥藤綱」の名前は
出てこないので、そんな疑問を持ってしまう私。
調べてみました。
どうやら、「実在せず、架空の創作話」という説と「実在を
否定はできない」という程度の、不確かな存在のようです。
建武の新政から10年ほど経った興国年間に室町幕府の引付衆に
「青砥左衛門尉」なる奉行の名があるとか。
そしてまた、青砥左衛門尉は「きわめて質素に暮らし、倹約を
旨とした。他人に施すことを好み、入る俸給はすべて生活に
困窮している人々に与えた。藤綱がその職にあるときには、
役人は行いを慎み、風俗は大いに改まった」という。
私としては、役人と言えば“賄賂”がつきもの。その襟を
正させるために“理想の役人像”として、『太平記』の作家
によって創られた話と思えます。
本日、左派系の団体の誕生会に招かれた。自民や民主からも
引っ張られている私。拙僧は節操がない。
阿倍総理が推奨する「美しい国にっぽん」がけしからんとのこと。
「うつくしいくに」を逆から読むと「にくいしくつう」だ。なんてことだ。
だが、わからんでもない。
半世紀昔の「古き良き日本への回帰」ノスタルジァでは、時代錯誤と
いわれても仕方ない。なんて虚無僧の私が云うのはヘンか。
実は、安倍総理の父君、晋太郎氏にはお世話になった。(社)邦楽
振興協会」を設立して、高円宮様を総裁に、安倍晋太郎氏を名誉会長
に迎えて、さまざまなイベントを企画し公演したことがあった。
大企業も後援してくれ、2000万円もの協賛金が集まった。ところが
その金を一部理事たちがさらに増やそうと、不動産投資に走り、
バブルがはじけ、破産してしまった。
それをマスコミがかぎつけて、文部省の管理責任が問われるハメに。
すると、安倍晋太郎先生は、「名前を勝ってに使われた」と告訴に
及んだ。結局これは、晋太郎先生も亡くなられて、告訴取り下げ、
被害者がいるわけではなく、うやむやになって、今では忘れ去られた。
私の名古屋左遷もこの事件と無関係ではない。
安倍晋太郎は、学校教育へ邦楽を取り入れる事を推進するなど、
邦楽家にとっては救世主だった。それを受け継ぐ安倍総理に期待はして
いるのだが、それが五割の国民が反対では、はなはだ困ることである。
全員が納得し賛同してくれる「美しい国づくり」であってほしい。
月の裏側で発見された「かぐや姫」? なんと15万年前に月面に 墜落したと思われるUFOから二体のミイラが発見されたという。
https://www.youtube.com/watch?v=42cIaJrj6PQ&feature=player_detailpage
YouTubeには このたぐいの映像が満載。もう何を信じていいのやら。
そこで「徒然草」の第73段。こちらは700年昔の人の真実の声。
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世間で語られることは、だいたいは嘘八百である。実際の状況以上に
話をこしらえて言いふらすものだから、月日が流れてそれが実話と なってしまう。
専門分野の話などは、その道に疎い人は まるで神様の言葉の
ように崇めるけれど、事情通にとっては価値のないものだ。
皆がおもしろがる嘘は、ひとりだけ「違うのでは」と思っても
黙っていれば、その嘘を肯定した証人にされてしまって、 嘘がますます真実になってしまう。
とにかく嘘が多い世の中。嘘はどこにでもあり珍しくないものだと
思っておけば間違いない。
そうは言っても神仏の奇蹟や、それに準ずる人の伝記を 信じてはいけないということではない。これらは中に混じっている 世俗の嘘を本心から信じるのもバカバカしいし、「まさかそんな」と 言い立てるのも大人げないので、おおよそに関しては 真実の話 だとして処理して、かといって全てを信じるのではなく、また疑って 侮ってもいけないのだ。
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最後の「神仏の奇跡」についての受け止め方がすばらしい。
名古屋城の本丸御殿の再建で、その襖絵の複製も進んで
いますが、河村市長が「複製品より本物を展示してはどうか」
と提起して物議を呼んでいます。本物は 空襲の直前に
持ち出され保管されていたもので、すべて重要文化財に
指定されています。そのまま展示すれば 劣化も進む
ことから関係者は反対していますが、市長は考えを
変えないとのこと。
たしかに、本物には重みがあり、複製品は所詮レプリカ。
心血注いで模写をしている方々には失礼ですが、明るく
きれいすぎて、安っぽく見えます。芸術性を感じさせない
のです。
もっとも、本丸御殿も所詮レプリカですから、襖も模写で いいでしょう。本物は天守閣のガラス・ケース内で順次 公開すればいいでしょう。
河村市長は、天守閣も、建設当時の木造で建て替えよう。
金の鯱(しゃちほこ)も創建当時の純金で造り直せと、
本物にこだわっていますが、財政難の折、その必要が
あるのでしょうかね。
火事で江戸城天守閣が焼けた後、保科正之は、「今の世に 必要ないと再建を止めさせました。
「河村」対「保科」、さてどちらに軍配が上がるでしょう。
先日2/10、NHK/FM「邦楽のひととき」での『春の曲』の録音時、
唇にヘルペスができて、尺八が思ったように鳴らず、往生しました。
実は、正月、TV番組で、邦楽界の長老が出演されていて、
そのひどさに「あんな演奏じゃ、邦楽がますます嫌われる」というような
話があちこちで聞かれ、私は内心「自分もいずれ、そうなる」と不安に
かられたものでした。そしたら、そのとおりになってしまった。
「ついに(その時が)来たか」と思っていたのですが、3年前のブログを見て、
びっくり。すっかり忘れていたのですが、同じことが書かれていました。
ヘルペスは3年前のNHK録音の時も発症していたのです。その記事です。
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2/18 のNHK録音の時「どうも尺八がうまく鳴らない」と
思ってましたら、口唇が腫れ、ヘルペスでした。“たらこ唇”になって、
ウンともスンとも尺八が鳴りません。尺八50年吹いてきて、初めてです。
それでも「まだ なんとか音が出せてよかった」と思うのがプラス思考。
ですが、そのあとがいけません。
「尺八が吹けなくなったら、もう人生終わりだ。
死ぬしかない。死ぬには事故死がいい。車の事故死なら、
保険金が3千万はいるし・・・・」なんて考えていましたら、
「念ずると実現する私」。
車で運転中に、バラバラバララ・・と、ファンベルトが切れたのです。
それでも、なんとか目的地まではと走らせていましたら、やがて
ハンドルが効かなくなり、道路脇の壁に激突寸前で止まりました。
まさに九死に一生の命拾い。くわばら、くわばら。
先月「車検」を受けたばかりですし、修理工場の人は 「切れるはず
ないんですがねぇ」と不思議がっていました。
はい、私の“念力”がそうさせたのです。こんなふうに、不思議な力で
“お示し”があり、“守られている”と実感する私です。
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という内容、まったく覚えてません。認知症が始まったようです。
やはり、引き際が肝心。今年で引退か。
「歩きスマホ参勤交代」。実にうまくできている。注意喚起の警告広告
https://www.youtube.com/watch?v=3Fm0Zirt8wI&feature=player_detailpage
地下鉄に乗ったら、座席に座っている人全員(約30人)が
スマホをいじっていた。 とうとう私もその仲間入り。使い出すと
止められない、止められない。カップルの男女も隣りの彼、
彼女と会話するでもなく、ひたすらスマホに夢中。もしかしたら、
隣り同士でもメールでやりとりしてるのかも。
「ケータイの電源をお切りください」の車内アナウンスなど
全く意に解さず。無視無視むし。
「文化とは日常の生活の中から生まれるもの。それだけに消えていくのも早い」と。
なるほど、生活様式が変われば、消えていってしまう。
衣食住のすべてが変わってしまった。戦後はやった「文化かまど、文化なべ、
文化住宅。もう誰も知らんだろう。着物、和食、日本家屋、和室、邦楽。
「日本文化」と言われるものは、すべて過去の遺物となった。
私(虚無僧)の居場所も 急に 無くなってしまった。
保育園児が歌っていた。
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)
ミミズだって オケラだって
ミズムシだって
そこで大人たちは大爆笑。 その子は、なんで笑われたか分かってない。 大人たちはみな口々に「そうだそうだ」と納得。
つづけます。
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ
「そうです、生きる権利は誰にでもあります。 でもあなたには資格が無いだけ」とは「きみまろ」
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 笑うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから うれしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
トンボだって カエルだって
ミツバチだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから おどるんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 愛するんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
スズメだって イナゴだって
カゲロウだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ
ほんとに いい歌だ。