現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

法隆寺の尺八

2021-02-22 19:10:38 | 尺八・一節切

法隆寺の尺八」


「東京国立博物館」の一画に「法隆寺宝物館」があります。

明治4年の廃仏毀釈運動の波を受けて、法隆寺も財政窮乏し、
明治11(1878)年、三百数十点もの文物を皇室に献上する
ことで、明治政府から1万円の下賜金を得たそうです。


その中に、常用文化財子弟の「尺八」があり、ネットでも
見れます。

7世紀後半、唐楽の演奏楽器として用いられた雅楽尺八と
考えられ、その長さが1尺4寸5分(44cm)なので、
これこそ、唐の小尺の1尺8寸に合致し、基準とされた
尺八と云われています。

中間に竹の節が3節ある細い淡竹(はちく)。表に5孔、
裏に1孔、楕円形の指孔を開け、歌口は斜めに切る。
これと同寸のレプリカを作って吹いてみましたら、ドレ
ミファソラシドになっていました。


『古今目録抄』に、「聖徳太子が、天王寺へむかう途中
椎坂(しいさか)で、この尺八を吹かれたら、山の神が
現れ、尺八に合わせて舞を舞った」ことが記されている
そうです。


「島原城の尺八」

2021-02-22 19:10:13 | 尺八・一節切

(以前書いたものの再掲です)。
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長崎の「松林静風」師が「島原城に展示されている一節切
(ひとよぎり)尺八」について、詳しく調べられている。


この尺八は「天正10年、持舟城にて 松平太郎左衛門
重定公が得たもの」との由緒書きがあるそうな。

天正10年は1582年。武田勝頼が織田・徳川連合軍に
攻められ滅びた年である。その戦勝の酔いも覚めぬうち、
織田信長が本能寺で討たれた年。

「持舟城」とは、現「静岡市用宗」にあった城。もともとは
今川氏の城であったが、武田信玄に攻められ、武田に属し、
「朝比奈(某)」が守っていた。そこへ徳川方が攻めた。

「朝比奈」氏は 元は「今川」の重臣で、徳川家康とは
知己の仲であり、一命を助けられた。その時、武田領
まで護衛に当たったのが「松平重定」。朝比奈氏は、
そのお礼にと、この尺八を譲ったのである。当時
「一節切」は大変“重宝”され、一国一命と交換される
ほどの価値があったのだ。

そして、この尺八は「重定」から子の「覚右衛門」に
相続された。「覚右衛門」は、兄?「松平忠房」が
島原城主となったために、「牧」と改姓し、家臣の
一員として島原に移住した。

長崎には虚無僧寺「玖埼寺(後の松壽軒)」があり、
幕末には「牧新七」という虚無僧がいた。「新七サシ
(薩慈)」という曲も伝来している。この「牧新七」は
「牧覚右衛門」の子孫であろうか。興味深い。


體源鈔

2021-02-22 19:08:59 | 尺八・一節切

『體源鈔(タイゲンショウ)』は、1515年頃、豊原統秋が
書き残した音楽書。『體源鈔』という題には「豊原」
の二字が隠されている。「豊」には「骨」、「原」には
「さんずい」をつけ、「豊原家の骨であり血である」
との意味が込められている。豊原家は代々、雅楽を
継承する家だが、「鈔」すなわち「金は少なし」の
洒落も含まれているとか。

1515年は、応仁の乱で、京の都も焼け野原となり、
御所まで焼失してしまっていた時代。雅楽も廃れ行く
運命にあった。そのような中で、豊原統秋は、雅楽を
後世へ伝えるべく、この書を編纂したのである。



三節切り尺八

2021-02-22 19:03:03 | 尺八・一節切

ヤフー・オークションで「三節切り(みよぎり)尺八を
3,000円で落札した。「江戸時代、本物、自信あり」と
謳っている。

以前にも「唐代の尺八」というのが出た。本物だったら
国宝物だ。嘘に決まっているのだが、詐欺として訴えられる
こともない不思議な世界。骨董品買いは、売り手買い手の
“化かし合い”を楽しむところもある。

尺八は、江戸中期1750年頃から、現在のような根節3段と
上部4節の7節になった。
室町時代は、節が1つの「一節切り」(ひとよぎり)だった。
それが、現在の7節になる過程に「三節切り」が存在して
いたと思われているが、現存するものは極稀れ。わずかに
文献で知れるだけ。

落札した「三節切り尺八」が江戸初期 1,600年代の物だと
すると、大変な発見である。しかし、歌口が琴古スタイル
なのが気になる。どうやら、ただの“練習管”かも。
それとも誰かさんが、意図的に「三節切り」を復元したのか。


死ぬ時は死ぬがよろしい

2021-02-22 19:01:42 | 心の問題

「日日是好日」と書いた木板をいただいた。

「ひび」ではなく「にちにち これ こうじつ」と読むそうな。

「辞書を引くと『毎日が平和で楽しい日々であること』と解説されているが、そんな能天気な話ではない。

これは唐の高僧雲門禅師の公案で、厳しい禅の悟りの心境である。良寛は『災難に遭う時は 災難に遭うがよく、死ぬ時が来たれば死ぬがよく候』と言ったごとく、災い、艱難辛苦に逢おうとも、平然と受け入れる心があっての『日日好日』なのだ」と。

私も 良寛の悟り「死ぬ時が来れば死ねばいい」それでいい。医者も要らん。坊さんも要らん。

先日、ある詩吟の会の宗家が亡くなられた。それまで医者にかかったことがないほど元気だったが、急に元気がなくなり検査をしたら、癌が全身に廻り、もう手遅れとのこと。手術もせず2ヶ後に亡くなった。葬儀は多くの会友に見送られて旅発った。

うらやましい“佳き人生”だった。


「体源抄」の「尺八の由来」

2021-02-22 19:01:17 | 尺八・一節切

體源鈔』(たいげんしょう)は、室町時代の楽書。
『教訓抄』『楽家録』と並び、三大楽書の一つとされる。

雅楽師の「豊原統秋」が、永正9年(1512年)に書き記したもの。
原本は万治4年1月15日(1661年2月14日)の内裏火災で焼失。
東北大学狩野文庫本を底本として山田孝雄が校合、翻刻したものが
「日本古典全集」に収録されている。

それによると、表題は『體源鈔』となっている。「體源」は
それぞれ「つくり」が編者の「豊原」を意味している。「抄」が
「金」偏の『鈔』になっているのは、「日本古典全集」に編纂
した時の誤字かと思われる。「金が少ない」というあてつけか。
「狂雲(一休)」の「雲」を「言」としている。「雲」の行書体を                                                 「言」と誤ったらしい。

さて、この『体源抄』に「尺八」について、こんな逸話が
紹介されている。

「或る書に云(いわ)く。尺八は昔、西国に在りける猿の鳴ける音の
目出たかりけるが、写すなりと」で始まり、この猿の鳴声を聞くと、
人々は涙を流し、道心の志を抱き、太子は宮殿を去り、諸卿は
官職を捨てて山寺に籠もり、道人商客に至るまで、皆無常の理を
催す」。

以下 要約すると、「時の帝王が、『これでは いかん』と
家来に命じて、その猿を殺してしまった。人々嘆き悲しみ、
その猿の遺骸を土に埋めた。その中でも深く悲嘆に暮れる人
ありて、年月わ経て、土を掘り起こして、足の骨を得た。
中は空洞で、風に当てると、猿の鳴声に似た音がした。
これを持って帰って、時に思い出しては、口に当てて、
鳴らしていた。ある知識人が、竹を、それと同じ長さに
切って似たものを作ってみた。吹いてみたが、猿の鳴声には
少し似なかったので、手孔をあけてみたら、猿の鳴声に
よく似た音を出せるようになった。その長さが1尺8寸
だったので「尺八」と名付けた。

と、まぁ、たしかに「尺八」の音色には哀切嫋嫋たる響きが
ある。「猿の骨」で作ったというのが面白い。何万年も昔の
旧石器、9千年~7千年前の新石器時代の遺跡から、鳥の骨
で作った笛が、何本も出土している。

ところで、『体源抄』の、この猿の話。出典が明記されていない。
「西国」から「西域」をイメージして、てっきり中国の話だと
思って、いろいろ検索してみたが、中国の文献には見当たらない。
いつの時代の帝王なのかも不明。日本での創作ではなかろうか。

「尺八」は、中国では「チーパ」と発音する。ローマでは
ラテン語の「tibia(臑の骨)」から派生して、縦笛を
「ティピア」と言った。フルートやクラリネットはラテン語で「tibia」

その「ティピア」がインドから敦煌を経て、中国に伝わり、
「チィーパ」に「尺八」という漢字を当てたのだ。

「チィーパ(尺八)」、「チューブ(管)」、金管楽器の「チューバ」、
そしてラテンの「ケーナ」も、元は、ラテン語の「Tibia」ではないか。

最近、音楽の教科書から「尺八は、その長さが1尺8寸だから
尺八とう」という文言が消えたようだ。



自殺者急増

2021-02-22 18:58:07 | 虚無僧日記

8月の自殺者数が1849人。コロナの死者数をはるかに上回る。

前年同月と比較して240人増。男性は60人増えて1199人、女性は186人増えて650人。

これほど自殺者が増えたのは、コロナ不況の影響か。

今年の7月の調査で、非正規雇用者は前年同月と比較して131万人減少。男性が50万人、女性は81万人。それだけの人が職を失ったのだ。

 

女性のホームレス化

これが、12年前のリーマンショックとの大きな違いだ。

08年、リーマンショックによる派遣切りの嵐が吹き荒れた際、職を失った多くが製造業派遣で働く男性だった。寮住まいの人が多く、住む場所と仕事を同時に失った人のために「年越し派遣村」が開催されたわけだが、そこを訪れた99%が男性だった。

それが今、「生活に困った」「住む場所を失うかも」と相談してくる女性たちは、「失業」によって即、困窮に晒されている。

12年前と違ったのは、助けてくれる家族の崩壊。

親も貧困、親と不仲、親が病気、すでに親は亡く実家はない、親は死んで実家には兄弟がいるものの、すでに家庭を持っており帰れない等々。

08年には、「4人に1人」だった「家族というセーフティネットに頼れない人」は、今や「3人に1人」「2人に1人」くらいに増えている気がする。

親が亡くなったことや親が施設に入ったことがきっかけで徐々に困窮し、最後の一撃がコロナでの収入減というケースは多いようだ。親の年金が、いかに一部現役世代にとっての命綱となっているかがよくわかる話である。

私もそうだ。12年前はまだ母親も健在で、母の年金からいくらか仕送りしてもらっていた。しかし、今は母も亡くなり、実家は妹夫婦が住んでいて、帰れない。

貧困のかなりの割合を占めるのが若い世代だ。親も貧困で頼れないというケースもあれば、シングルマザー家庭も少なくない。こうした事実を見ても、やはり「家族」は急速に、セーフティネットとしての機能を失っている。

そして今の日本は、残念ながら「困っている人がいたら誰かが手を差し伸べてくれる社会」ではなくなってきた。誰も助けてくれないどころか、そこにつけいる貧困ビジネスのカモにされかねない状況だ。

 

 

 


貞観地震から1000年、東日本大震災

2021-02-22 18:53:55 | 地球人類の問題

3.11東日本大震災の津波は「1000年に1度」の規模と言われる。

その根拠となっているのが、貞観地震・津波(869年)だ。

平安時代に編さんされた史書、日本三代実録は貞観津波の被害を詳しく書き残している。

「陸奥國の地、大いに震動す(陸奥国に大地震があった)」「人民叫呼し、伏して起つ能わず(人々は叫び、地面に伏せて起き上がることができなかった)」。この後に続く記述によると、大波が川を遡り、陸奥国府が置かれた多賀城まで達した。原野や道路はすべて波に覆われて、船で逃げることも山に登ることもできず、溺死者は1千人を超えたとされる。

貞観地震の前後、日本各地で地震や噴火が頻繁に起きている。年表風にまとめてみると――

863年(6年前) 今の富山県から新潟県にかけ大地震
864年(5年前) 富士山、阿蘇山が噴火
868年(前年)  いまの兵庫県で大地震(M7以上)
869年貞観地震
871年(2年後) 鳥海山が噴火
878年(9年後) 関東地方で大地震
887年(18年後) 南海地震(M8.0~8.5)

東日本大震災は、西暦869年に東北地方で起きた貞観地震と酷似している。

たとえば、1960年以降に日本で起きた地震の発生場所は、9世紀のそれらとよく合う。

しかも、貞観地震が起きた9年後の878年には、首都圏に近い関東中央で大地震が起きた。

これは相模・武蔵地震(関東諸国大地震)と呼ばれているが、M7.4の直下型地震だった。

9年後が危ない! 今年は東日本大震災から9年目。新型ウィルスの次は大地震!


東日本大震災で被爆米兵訴訟

2021-02-22 18:52:08 | 虚無僧日記

3.11東日本大震災が人工地震である証拠

自然地震はP波、S波という縦揺れ、横揺れがあるが、東日本大地震ではS波が観測されなかった。気象庁も当初「自然界ではありえない地震」と発表していた。

津波に伴う微弱音波検知  

東日本大震災の震源域付近で、津波の海面上昇による大気の圧縮で生じたとみられる微弱な長周期の音波を、包括的核実験禁止条約(CTBT)に基づき核実験を監視している千葉県とロシアの施設計3カ所で検知していた。  

地震直後、宮城県気仙沼市沖から千葉県銚子市沖まで南北約300キロにわたる海底の土から、最高で通常の数百倍に当たる濃度の放射性物質を検出された。福島原発から流出した放射性物質を含む大量の水が、即日、気仙沼沖までの300Kmに分布したということは、考えられない。  

 

「トモダチ作戦」で気仙沼沖に停泊していた空母ロナルド・レーガンの乗組員の多くが3年後にガンを発症。

約5000人のうち重篤患者2540人。呼吸器疾患が931人、内2名が亡くなったとか。今訴訟が起こされている。

福島県民より多いということは、震源地の海上で放射能被害にあったと考えるのが自然。 

福島原発事故は、この人工地震を隠すための偽装だった。

 

 


3.11 東日本大震災は人災だった?なぜ

2021-02-22 18:51:43 | 虚無僧日記

東日本大震災が人工的に起こされたなら、だれが なぜ?

 発生の日付
地震が発生した3月11日は、「米国同時多発テロ」や日本を地獄に引きずり込んだ「郵政選挙」があった9月11日のちょうど半年後の日付である。


(1)小沢一郎の地盤が大被害
 甚大な被害を蒙った大船渡市・陸前高田市は、米国が目の敵にする小沢一郎氏の地盤である。

(2)福島第一原発が壊滅
 福島第一原発は、最も設計が旧い米国GE社製の原子炉で、他の原発に比べ被害は最小限に収まると読んだ。

(3) TPP加盟を渋る日本に脅しをかけるにちょうどよいタイミングであった。
 
(4) 従米亡国政権の延命が待ったなしの状況であった。
 23年度予算の見通しも立たず、菅政権は風前の灯火であったが、延命に成功した。それを阻止する爆薬が必要だった

(3) 普天間飛行場の辺野古移転が暗礁に乗り上げていた。
 今回米国に助けていただくという外観ができることで、米国の希望は受け入れざるを得ない空気ができる。

(4)東日本ハウスの株価が震災前から高騰していたこと

 東日本ハウスは盛岡に本社を置く大手ハウスメーカー。その株価が、特に買材料がないにもかかわらず、2月中旬より上昇に転じ、3月7日には240円台に達していた。おかしい・・・。

というわけで、ユダヤ資本の企業とアメリカと自民党政府が仕組んだ賭けというのだ。