すみれのユニットにあった『ウンコ・シッコの介護学』という本、
介護のKさんの所有らしいのだけど、なかなか会えず、
「Kさん、みんなに読んでもらおうと置いてるから、
借りてっていいよ」のNさんの一言で借りて帰り、
いっきに読んだ。
その本の中に「家庭的な雰囲気を目指さない」、
施設のユニットケアなんて欺瞞にすぎない、
家庭的ケアを目指すなんて無理だ。
その代わり、家庭にはないよさを、
集団生活でしか味わえないよさをちゃんと実現していくこと。
と書いてあって、主任のMさんがよく言う、
「ここは病院じゃないんだから、家庭なんだから」に、
違和感を感じていた私はスッとした。
家庭的ケアで人間の尊厳を守る、なんてきれいごとを言う所は
あまり信用しないほうがいいとまで書いてある。
安静強制看護が寝たきりを大量に生んだとか
看護でよく使うマズローの欲求の階層も
行きっぱなしの人間観だと、だから看護は老人をケアできないと。
いくら自己実現ができた人間性豊かな人でも、
年をとればまたもとの動物的欲求に戻っていく。
まさに痴呆はその典型で、90歳を過ぎれば、
ほとんどの人が食べて、出して、寝てという生活になる。
今日、どう食べるか、今日、どう排便するかの中に自己実現がある。
食べたり出したりすることは、マズローが言うような、
低次で動物的なことではなく、最も基本的な人間性なのだと
この本の著者三好春樹さんは看護師を辛辣に批判している。
私も看護師だけど、
ある意味、三好さんが書いている通りだなと、腹は立たなかった。
(今、臨床で一生懸命、離床を働きかけて、
排泄のコントロールに努力されている看護師さんは怒ってください)
介護の現場で働きだして二ヵ月が経つけど、
老人にとって食べて、出して、寝てがどんなに重要かがよくわかる。
「介護予防」というのも変な言葉だと。
感染予防とかSARS予防だとか、エイズ予防というならわかるが、
それと同じ使い方をしている。介護を受けるようになるということは
あってはいけないことだという発想。
生まれて小さいときには、
親や周囲の大人から育児を受けるというのは、当たり前。
年をとったら、今度は介護を受けるというのも、当たり前と・・・・・
この本を読んで“目からうろこ”でした。
三好春樹さんは広島県出身で、
生活指導員から理学療法士の資格を取られ、
今は、フリーとなって
東京で生活とリハビリ研究所を開設されて
いろいろな活動をされています。
「ウンコ・シッコの介護学」
著者:三好春樹
出版社:雲母書房