おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

「失われた20年」戦犯は?

2015年06月23日 | Weblog

 

午前6時の気温はプラス15度。

今朝も曇り空の朝でござる。

こんなお天気の日は外で作業するに限ります。

きょうは遅れておる薪割り作業に勤しむのでござる。

ガンバルぅ~!!

きのうの我が家、月に一度の恒例である小樽へ魚の買い出しでござった。

いつものように「新南樽市場」で、毎朝いただくあれやこれやのお魚を1万円ほど買ってまいりました。

いいサバの干物があったので、1枚買ってきましたけど、たいしたあぶらがあってなんだか嬉しくなったりも。

今朝の食卓を飾る予定です。

でもって、話題の映画「海街diary」を観てまいりましたです。

日本を代表する映画監督、小津安二郎監督が「東京物語」で描いたような、ニッポンの家族の物語でござる。

東京物語と大きく違うのは家族の形態だ。

出て行った父が残した娘3人と、別の女性が産んだ娘の計4人が暮らす物語。

舞台は鎌倉で、出て行った母親は札幌に住む。

主演は、綾瀬はるかさんに長澤まさみさん、夏帆さん、広瀬すずさん。

ではありますが、これは十代でキラキラ輝く「広瀬すずさんの映画」といってよいでしょう。

桜のトンネルを自転車の後ろの席で眺めるシーン、広瀬さんのあの素敵な表情はニッポン映画史に残るだろうねぇ~

カンヌ映画祭のコンペ部門に出品というから、大注目でござる。

是枝裕和監督、たいへんなものですわ。

話はゴロンと変わりますが、

ニッポンの自殺者が03年の34427人をピークに減り続けておるそうな。

毎年3万人が自殺する時代が1998年から2011年まで14年も続いたわけですが、2012年からようやく3万人を割っておる。

景気回復基調が大きな要因でしょう。

安倍内閣、唯一の成果。

この政権の目的が景気回復なら何の文句もないけれど、目指すところはニッポンを戦争できる国にすることだ。

景気回復はそのための手段と心得ておるから大問題なのだ。

話は戻って、

バブル崩壊後の「失われた20年」について、週刊文春6月25日号宮崎哲弥の「時々砲弾」が当時の日銀の政策を厳しく批判しておったです。

これには、おぢもまったく同感でござった。

当時の三重野総裁のバブル潰しについては、当ブログでも大批判してまいりました。

株価だけでなく地価まで抑え込み、ニッポン経済は奈落の底に落ちた。

この三重野総裁の所業を、当時のマスコミは「平成の鬼平」などと称えておったから腹が立ったね。

このバブル潰しが、ニッポンの「失われた20年」に繋がり、毎年3万人の自殺者に繋がったからだ。

そんなこんなで、当時の三重野総裁は「万死に値する」とまでおぢは書いた記憶がある。

宮崎哲弥さんも、この三重野総裁と当時の今井敬経団連会長を大批判しておる。

今井会長は「失われた20年とか30年という言葉は大嫌いだ。失われていない。日本のこれからの基礎をつくったと解釈している」とコメントしたそうな。

この間ニッポンは、自殺者3万人の大台に乗っておったのにねぇ、、、

これについて宮崎さんは「この財界リーダーは益体(やくたい)もない構造改革は推進したものの、政府、日銀に対して金融緩和や財政出動を強く要請しなかった。早期のデフレ脱却を図らなかったのだ」と指摘。

「その結果、多くの人々が自死に追い込まれ、路頭に迷った。それへの反省は微塵もない」と書いた。

まことにごもっともだ。

そして宮崎さんはこの記事をこう締めくくっておる。

「20年といえば戦後70年のおよそ30%にも当たる。この長きにわたって国の富力を失わしめた連中は、敗戦の責任者に次ぐ、紛う方なき〝戦犯〟だ」

その通りでござる!!

 ※益体(やくたい)は役に立たないなどの意味だ。