おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

裁判官も「人の子」だけど…

2016年03月02日 | Weblog

 

午前7時の気温はマイナス4度。

ふあふあの粉雪が舞ってます。

元気なら朝一パウダー狙いでスキーに行くところですが、どうにもこうにも体調が悪い。

どうやら熱は下がったのですが、喉が痛い。

仕事もせねばならんわけで、風邪っ引きのじーさん、今朝はしんどいことになっておる。

さて、

とてもいい、今どき理にかなった司法判断が出ましたです。

認知症の91歳のじーさんが列車にはねられ死亡した事故で、鉄道会社に与えた損害は家族が負うのかどうかが問われた裁判でござる。

最高裁は、「同居の夫婦だからといって直ちに監督義務者になるわけではなく、介護の実態を総合考慮して責任を判断すべきだ」との初めての判断を下しましたです。

今回は、奥さんがうたた寝しておる間にじーさんはふらふら外出し、列車にはねられて死亡した。

奥さんが、うたた寝してたのが悪いので、責任とって賠償してくれと、鉄道会社は申しておったわけだ。

しかし、そりゃどうみても酷な話だ。

高齢化が進む中、認知症もこの先じゃんじゃん増えるわけで、家族が目を離したすきに外出する認知症の年寄なんぞは、ニッポン国中ごまんといる。

認知症のジジババが勝手に外に出て行って、事故に遭って、家族に補償しろと言ってもねぇ、、、

おぢもシロウトなりに、現状にかなった判決じゃんか、って気がしますわ。

最高裁も、こういう判決なら大向こうの庶民が喜ぶ。

ところが、これが原発をめぐる裁判だと、そうはイカキンとなる。

京大原子力研究所の助教だった小出裕章さんは、原発を巡る裁判についてこう話しておる。

「どんなに安全性論争をして、原子力発電所が危険だということを立証しても、結局は裁判では勝てないということでした」

つまりは三権分立と言いながら、こと原発に関しては、事実上「司法の独立」なんぞ、ないというのです。

時の政府の方針に従って、「長いものにまかれる」のがニッポンの裁判だというのです。

とはいえ一昨年の5月、大飯原子力発電所の差し止め裁判の判決が、福井地裁から出された。

原発というのは巨大な危険を抱えているし、万が一でも事故を起こしたらば人々の生活が破壊されてしまうので、動かしてはいけないという、実に画期的な判決が出された。

おぢもこんときは驚きましたわ。

こんときの樋口英明裁判長は以下のように判決文に書いておる。

原発停止で多額の貿易赤字が出るとしても、豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である」

これは、大飯原発3、4号機の運転再開を認めない判決文に書かれていた文言でござる。

涙が出そうな判決文でござる。

しかし、この樋口裁判官は、その後、家庭裁判所に更迭されておる。

本来なら、高裁に栄転するはずでしたが、家裁へ左遷されたのです。

樋口さんは職を賭して、原発の抱える大問題を指摘したわけ。

自らの信念を貫いた樋口さんのようなお方が司法の世界にまだいることに、おぢは感動したものでした。

しかし、樋口さんの家族やご本人の心境はいかばかりか。

信念に基づき、立派な判決を出したけど、ご本人とその家族は左遷の憂き目でござる。

裁判官も人の子、出世を望まぬことなどないはずだ。

だけどあえて信念に基づき、左遷覚悟で判決を出したわけ。

「良心に従って」当たり前ことをすると、左遷されてしまういまのニッポンの司法、酷いことになっておるなぁ~

…と思う朝なのでござる。

その一方、権力に媚びて、「カネ儲けのためなら原発でも何でもOK」という卑しい人もいる。

20代、30代の若いころなら、カネ儲けに走るのも、一時のことと決めてそうするのも分からんではない。

だけど、これが60代も半ばになり、人生の終盤が近づいて、さっぱり世のためにならんことでカネ儲けしておるタコスケもいる。

こういう恥知らず、おぢの周りにもいるから心底情けない。

樋口裁判官の爪の垢でも煎じて飲ませたいですわ!!