グローバルネイチャークラブのガイド日記

グローバルネイチャークラブ(旧グローバルスポーツクラブ)のガイド仲間が観察した伊豆大島の自然の情報を中心にお届けします。

初もうで

2011年01月07日 | 歴史・文化
 大島も寒くなりました。
北国の方が聞いたら、笑われるかもしれませんが・・・
大島も、それなりに、寒くなって来ました。

 今朝8時~9時頃に、里でも雪がチラつきましたよ! 

 島の全域かどうかは分かりません。
少なくとも、島の南西部では降りました!

 寒いはずです、昨日は小寒。寒の入りでしたから。

 見出しの画像↑は、波浮比売命(はぶひめのみこと)神社の、海からの入り口にある鳥居です。



 こちら↑の社殿は、海を背にしています。参拝者は太平洋の方向を拝むことになります。大島では、山を背にした社殿が多いので、特徴的ですね。

 波布比売命は、三島大明神の后(きさき)のひとりだとか。
女性の神様なので、海を象徴しているのでしょうか? 

 平安時代の中期に書かれた『延喜式』(929年)に、
大島の、この波布比売命神社、
野増地区にある阿治古神社(大宮神社)、
泉津地区にある波治神社(波治加麻神社)の
三社が記載されているそうです。

 1100年程も前のことですから、詳しい所在地などは書かれていないようです。

 この地に当時からあったものなのでしょうか???

 波浮の港になっている場所は、9世紀の初めのマグマ水蒸気爆発で出来た火口が池になり、後に津波で海とつながりました。神津島の天上山噴火(838年)の直前だと考えられています。

 波布比売命神が正史に登場するのは、『文徳実録』仁寿2年(852年)の条で、「従五位上の神階を叙する」と書かれているそうです。

 爆裂火口の誕生が838年頃として、すぐ14年後のことです。
 


 社殿の裏手の方に、小さな祠(ほこら)がいくつかあります。

 波浮港は1800年開港ですから、210年程前に港を造るため房総や三浦半島などから大勢の石工さん達が来島したそうです。

その中には、祠を作る技術を持った人もいたのでしょうね。



 今夜は、スタジオジブリのアニメ『千と千尋の神隠し』のテレビ放送がありますね。

このアニメの冒頭で、たくさんの石の祠がでてきます。

 こんな祠をたくさん見かけたら、その先のトンネルには近づかないことです(笑)



 扉に丸い窓をつけて、凝ってますね。

 祠の語源は「ほくら」で、「ほ」は植物の穂、「くら」は倉庫、神に供える穀物倉庫の意味だそうです。

 祠を建てて、港の工事の無事を祈ったのでしょうか?
それとも後の時代に、豊漁祈願や大漁に感謝してのお礼参りに造られたのでしょうか?



 こちら↑は、東京都のマーク入り!(まさか)

 1906年(明治39年)に明治政府の神社合祀の政策で、1つの町村に1つの神社を原則にしました。それ以外の小さな神社や祠は取り潰されたり、大きな神社に寄せ集められたそうです。この寄せ宮で、多数の石祠があるのかもしれません。



 苔むした古い祠を見ていると、不思議となごみませんか。

 (なるせ)


今夜の♪は、やはり・・・

『千と千尋の神隠し』のテーマ曲で行きましょう。

「いつも何度でも」

  作詞:覚和歌子、作曲:木村弓
  歌・演奏:木村弓
コメント
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