『介護の「質」に挑む人びと』加藤仁氏著から引き続き、竹内孝仁氏の言葉の2番目・専門性について
明治から福祉政策は行われ、その本質は困窮者救済・生活に困っている、寡婦で子供を抱え養育に困難をきたしている、病弱や障害を負っている、そのような困窮者を救済するという行為を福祉の世界が扱ってきた。
この困窮者救済というのは、見方をかえると弱者救済であり、力関係は強者対弱者の関係にとどまる。
強者から弱者へ手を差し伸べる行為にアガペーといい愛といい奉仕といいボランタリティといい慈悲というさまざまな装飾を介在させて、なんとか強者は弱者に歩み寄ろうとする。しかし、弱者からはどのような言葉や意識を持ち出しても強者からの手によって救われる弱者の立場には変わりがない。
明治から昭和45年ぐらいまで弱者救済という福祉政策でもその対象者が少数のうちは良かったかもしれないが、その後の高齢社会という現象によって高齢であることは弱者ではなく、障害を負っていることが直ちに弱者ではなく、経済的困窮もそのとこだけで弱者という対象ではなくなり、高齢者の増加は従来の福祉・強者対弱者、強者により救済という行為では収まらない量的拡大が生じ、その量的拡大は質的な変質を余儀なくさせられた。
ここにきて従来の福祉で言われてきた奉仕、愛などであがなわれる行為から専門性によって行われることが期待される。
むしろ従来の自己犠牲の要素でまかなわれる量や質をはるかに超え、それにかわる何かをもってしないと今日の高齢社会における問題解決の方法とはなりえない。しかし、福祉という分野においてはこの量的拡大と質的変質を理解するに至っているとはいえない現状があり、専門性という言葉だけがあって、介護における専門性を確立する意欲、まして専門性をもって介護を行うことにいたることが少ない。
介護保険制度という公的な制度は創設されたが、その実質的運用はこれから確立されるという現状であろう。
介護という世界に身をゆだねているものにとってその実行や意識において専門性を考えておかなければならないことと思う。
明治から福祉政策は行われ、その本質は困窮者救済・生活に困っている、寡婦で子供を抱え養育に困難をきたしている、病弱や障害を負っている、そのような困窮者を救済するという行為を福祉の世界が扱ってきた。
この困窮者救済というのは、見方をかえると弱者救済であり、力関係は強者対弱者の関係にとどまる。
強者から弱者へ手を差し伸べる行為にアガペーといい愛といい奉仕といいボランタリティといい慈悲というさまざまな装飾を介在させて、なんとか強者は弱者に歩み寄ろうとする。しかし、弱者からはどのような言葉や意識を持ち出しても強者からの手によって救われる弱者の立場には変わりがない。
明治から昭和45年ぐらいまで弱者救済という福祉政策でもその対象者が少数のうちは良かったかもしれないが、その後の高齢社会という現象によって高齢であることは弱者ではなく、障害を負っていることが直ちに弱者ではなく、経済的困窮もそのとこだけで弱者という対象ではなくなり、高齢者の増加は従来の福祉・強者対弱者、強者により救済という行為では収まらない量的拡大が生じ、その量的拡大は質的な変質を余儀なくさせられた。
ここにきて従来の福祉で言われてきた奉仕、愛などであがなわれる行為から専門性によって行われることが期待される。
むしろ従来の自己犠牲の要素でまかなわれる量や質をはるかに超え、それにかわる何かをもってしないと今日の高齢社会における問題解決の方法とはなりえない。しかし、福祉という分野においてはこの量的拡大と質的変質を理解するに至っているとはいえない現状があり、専門性という言葉だけがあって、介護における専門性を確立する意欲、まして専門性をもって介護を行うことにいたることが少ない。
介護保険制度という公的な制度は創設されたが、その実質的運用はこれから確立されるという現状であろう。
介護という世界に身をゆだねているものにとってその実行や意識において専門性を考えておかなければならないことと思う。