2002年 イタリア南部で競馬好きの男性が
産まれた息子に競走馬の名前を付けて
役所に届け出ました。
そのことを知った妻が激怒し、裁判所に駆け込み
別の名前に変更する裁判を起こしました。
我が子に競走馬の名前を付けるって
これ日本で当てはめてみると
佐藤シンボリルドルフ、鈴木オグリキャップ、
田中トウカイテイオー、高橋ディープインパクト、
これ駄目ですわ。
我が子にキラキラネームよりも
もっとおかしな感があるように思いますが
イタリアではどうなんでしょうね。
妻が激怒して裁判をする位なので
大きな違いは無いような気もします。
また
2004年 アメリカのミシガン州の
機械オタクの男性が数か月かけて妻を説得して
産まれた息子に『バージョン2.0』と命名。
こちらはなんだか
海の上のピアニストの主人公の名前だった
1900(ナインティーン・ハンドレッド)と重なったり、
秘密諜報員のコードネームの感もあって
カッコ良さげに思えたりもしますが
我が子に付ける勇気がないなあ。
名前は、一生ついて回り何度も書類に書いたり、
他人から何度も呼ばれたりことになるので
なんらかの催眠暗示効果のような影響が
その個人にあるかも知れません。
極端に言うと、
馬鹿とか汚いとか阿保とかの名前の場合に
それを何度も書いたり言われたりすると
悪い影響がないとは思えませんよね。
名は体を表すと言いますからね。
またあまりにも立派な名前の場合も
催眠暗示で考えると
実態と乖離し過ぎた暗示を与えると
それは私には無理だとか否定する結論を
無意識に何度も出させるようなことになりかねず、
良い効果よりも悪い効果を生み出す
可能性があるようにも思います。