心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

京都 史跡/神泉苑

2018年10月14日 | 名所めぐり(京都)

今回の名所巡りは、

久しぶりの京都にやって来ました。

同行者はいつもの友人です。

 

京都を訪れるのは何時ぶりだろうと

ちょこっと振り返って調べてみたら

なんと今年の一月以来で、

もう9か月も遠のいていたことになります。


そんなに来ていなかったっけと、

私の感覚とは大きなズレがありました。


今回の京都の目的地は、

友人が二条城と神泉苑で、

私が京都迎賓館と相国寺で後は流れ次第です。


二条城と神泉苑に向かう道中に、

歴史的大事件が起きた現場があるので立ち寄ることに。


本能寺跡(織田信長終焉の地)

京都にある現在の本能寺は、

元の場所から移転して建立されていて、

この石碑がある場所が、織田信長の終焉の地となった

「本能寺の変」が起きた場所となります。


現在の石碑が建っている場所は、

お寺の敷地ではなく中京消防団 本能分団と

本能特別養護老人ホームの建物が建っています。


私達が、この場所に到着した午前9時頃には、

すでに10人程度の人が記念撮影をしていたので

後ろに並んで撮影の順番待ちをしていると、

タイミングよく現れたのが、

この石碑を立てたのは自分だと言う近隣の人で、

本能寺と織田信長について

本も数冊だしているとのこと。


その人曰く、大事件が起きた本能寺の現場は、

実は、この石碑が建てられている場所ではなくて

この場所から一区画北隣の場所だそうです。

 

本来の場所に石碑が建てられていないのは、

このサイズの石碑を立てるスペースが

確保することが出来なかったからと言っていました。


でもまあ、旧本能寺の敷地が

一区画北隣りであったとしても

この石碑の設置場所が、敷地の南側の左の角となるので

この場所で事件は起きたで良いのではと思います。


うあっーーーせっせっ石碑に、

織田信長らしき人の顔が。。。写り込んではいません。

 

神泉苑(しんせんえん)

神泉苑は、元離宮二条城の南隣に位置して、

元々は、平安京に接して造営された天皇のための庭園で、

当時の庭園は、池を中心として

南北約500メートル、東西約240メートルに及ぶ

大庭園でした。


徳川家康が二条城を造営した際に

神泉苑の敷地の大部分が城内に取り込まれて

その規模を著しく縮小しました。

 

神泉苑 本堂

嵯峨天皇が弘仁(こうにん)3年/西暦812年に

神泉苑で花宴の節を催したとの記録があることから

花見の発祥の地とされています。

 

法成就池(ほうじょうじゅいけ)

弘仁14年/823年に、嵯峨天皇から

空海には東寺、守敏には西寺が与えられ、

その二人が、

弘仁15年/824年の干ばつの年に

神泉苑で雨乞いの儀式を競い、

空海が北インドの無熱池の善女竜王を呼び寄せ、

日本国中に雨を降らせて空海が勝利したそうです。


それ以来、季節を問わず、どんな日照りの年にも

水が涸れることのない神泉苑の池には

竜神(善女竜王)が住んでいるとされています。

 

法成橋

伝承では、源義経と静御前が

出会った場所と言われているそうです。


朱色の法成橋の向こう側から静御前が、

反対側から源義経が渡って来て、

真ん中で出会ったのかもしれませんね。


 

善女竜王社(ぜんにょりゅうおうしゃ)

現在の神泉苑は、大庭園だった面影はなく

こじんまりとした美しい庭園での

滞在時間は短めで次の二条城へと向かいます。

 

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