二軒茶屋での軽めの昼食を終えて石掘小路を通り抜けてねねの道へ。
以前、石堀小路での撮影は可能でしたが
現在は、撮影禁止となっています。
石堀小路は、
明治末期から大正初期にかけて造られた風情ある場所で
貸席を兼ねた高級貸家街の間を縫うように通る細い路地の
石垣を高くし、石畳が敷き詰められています。
京都の風情が感じられる場所として石堀小路が話題になったことで
撮影をする観光客が押し寄せたことで観光被害が起き、
通り抜けは今も出来ますが撮影は禁止となっています。
石堀小路以上に有名な花見小路の私道は、
日本人と外国人観光客がわんさかと押し寄せたことで
私道の撮影どころか通行も禁止するとか言われていましたが
どのような結論になったのだろうか。
建屋から出てきた舞妓さんを強引に呼び止めて
撮影を強要するなんてことはもっての外ですが
然程問題ではなかったはずの行為も人の数が増え過ぎると
観光被害と言われるレベルに………
外国人観光客の人達が古き良き日本の風情の良さを
日本人の私達と同じ様に感じてくれるのは嬉しい限りですが
難しいところです。
ねねの道
石堀小路を通り抜けてねねの道に出ると多くの観光客の姿が。
八坂の塔がひょっこりと顔を出すねねの道沿いには、
高台寺公園の土手の桜並木。京都風情を楽しめる良い場所です。
これから高台寺に向かうのですが
一般的な台所坂からではなくて展望所から拝観に向かいます。
高台寺 石標
この立派な石標、高台寺って刻まれているのですが
高台寺って読めますぅ。二文字目がなあ。台より室に近いっす。
なので最初にこの立派な石標を見た時は、
この周辺に高台寺の他にも立派な寺院があるんだと思って
地図を何度も確認したり眼を見開いて周辺を見渡したりと
そこそこ時間をかけて探したりもしたんですよね。
高台寺 展望所
この瓦屋根が並ぶ遠景には八坂の塔が見えます。
この風景の中に八坂の塔が有る無しで、
またコンクリートのビルの姿が有るか無しかで、
美しさも満足度もかなり下がってしまうだろうな。
高台寺 利生堂
高台寺礼拝聴聞室『利生堂』は、
2016年12月17日に落慶を迎えた比較的新しい施設で、
死から逃げることなく命を直視して静かに瞑想をし、
心の安らぎ得るための場所となることを望んで建立されたもの。
利生堂 天井画
利生堂の天井と壁一面には、高台寺所蔵の南北朝時代に描かれた
八相涅槃図を写し撮ったものが描かれています。
八相涅槃図とは、お釈迦様が入滅する場面の周りに
下天託胎・誕生・競試武芸・四門出遊・出家・山中苦行・
降魔成道・初転法輪が描かれています。
利生堂 大涅槃壁画
堂内での撮影は、フラッシュを使用しなければOK。
霊山観音 山門
無宗派単立の霊山観音は、
昭和30年に第二次世界大戦戦没者の慰霊の為に
帝産グループ創設者の石川博資氏によって建立されました。
本堂内に十一面観音と仏舎利、
観音像胎内には十二支の守り本尊が安置されています。
霊山観音像
東山を背景にして鎮座する高さ24mの巨大な観音像は、
彫刻界の元老・山崎朝雲氏に原型が作成され昭和30年に開眼。
本堂は、この巨大観音像の台座部分。
この巨大観音像がある霊山観音には今回、初めて訪れたのですが
境内の雰囲気が日本の一般的な寺院とは違うんですよね。
なんかこう遊園地のような、何と言うのか………
鏡池
この鏡池も真ん中辺りに噴水があってもおかしくない感じ。
これ以上好き勝手に言うと怒られそうな気もしますが、
感じたままの素直な気持ちなんですよね。
手水鉢
願いの玉
この如意宝珠の玉に触れて心の中で願い事を念じながら
周囲を回ると願い事が叶うとされています。
護摩堂
霊山不動尊を御本尊に安置して毎月8日、18日、28日に
本山修験宗山伏達によって国家隆盛、交通安全、家内安泰の
護摩焚きが行われています。
高射砲二十二連隊戦友の碑
十八期の碑
高台寺の近くにある霊山観音には、
巨大な観音像があることは知っていましたが、
巨大観音像は、写真や映像から
鉄筋コンクリート製であることは分かっていたので
高台寺拝観の流れで一度位は拝観できたらと思っていました。
今回も特に拝観の予定はしていなかったのですが、
数ある京都の寺院の中で異彩を放つ霊山観音の山門が
利生堂前の広い駐車場に隣接していたので
せっかくなのでと拝観することにしました。
次は、高台寺の主だった堂宇がある敷地に足を踏み入れます。
高台寺の拝観は、今回で二度目の拝観で
前回の初拝観がいつ頃だったかと見返してみたら………
なんと2014年11月前後で驚きの十年ぶりで
感覚的にはそんな前ではないんだけどなあ。