心の扉 神戸カウンセリング花時計

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京都 金戒光明寺Ⅰ

2021年12月13日 | 名所めぐり(京都)

 

大雲院祇園閣の次に向かったのは

平安神宮の北東隣りにある浄土宗大本山 金戒光明寺です。

通称は、くろ谷さん

 

1175年(承安5年)比叡山での修行を終えた

法然上人が比叡山の黒谷を下りて、

この地に草庵を結んだのが

金戒光明寺の始まりとされています。

 

 

 

金戒光明寺 高麗門(総門)

 

また金戒光明寺は、

1862年に幕末の乱れた京都の治安を維持するために

京都守護職に就任した会津藩主の松平容保(かたもり)と

藩士1,000人の本陣となります。

 

しかし、

会津藩士のみでは対応仕切れなくなったために

守護職預かりとして新選組を支配下に置き、

京都の治安維持にあたらせたことから

新選組発祥の地としても知られています。

 

 

 

 

京都の治安を維持するために激しく活動した新選組に

脚光があたるのは自然ではあるのですが

私は、会津藩主の松平容保の人間像に好印象を持っています。

しかし、かたもりって読めん。

 

 

 

山門【京都府指定有形文化財】

 

応仁の乱で焼失していた山門は、

1860年(万延元年)に再建されたもので

山門に掛けられている扁額『浄土真宗最初門』は、

後小松天皇の宸筆。

 

1860年と言えば大事件、

桜田門外の変が起きた年ですね。

 

 

 

 

当時は、京都の町の様子を伺う

物見櫓的にも使われたんでしょうね。

 

 

 

 

金戒光明寺の敷地が広いとはいえ、

1,000人の藩士が寝起きするだけの施設はないので

1864年に京都守護職屋敷や会津藩邸屋敷が完成するまでは

大部分の藩士は、塔頭に分散していたと思われます。

 

 

 

 

山門を通り抜けた参道脇には、小さな庭がありました。

庭の中央を通る参道に垣根があることで

ここの区画の魅力が格段にアップしています。

 

 

 

 

庭に置かれた水瓶の様なものは

過去に防火用水を溜めておくための水鉢だったのか?

高床に合わせた蹲踞だったのか?

 

 

 

金戒光明寺 山門北側

 

今回の特別拝観期間には、山門に上がることが出来るのですが

ここも大雲院祇園閣と同じ理由で

山門からの眺望の撮影は、禁止とのことなので見送ることに。

 

 

 

 

各地で観光客が戻ってきていると聞きましたが

ここ金戒光明寺の参拝者は、

お昼時ということもあるのかも知れませんが

それほど多くはないようです。

 

 

 

金戒光明寺 鐘楼

 

この金戒光明寺の梵鐘を打ち鳴らすことは出来ませんが、

鐘楼に隣接するお茶所『戀西楼 快庵』から漂う

美味しそうな匂いに反応して

私のお腹の中にある梵鐘が「何か食わせろお。」と

少し前から何度も打ち鳴らされています。

 

 

 

 

我慢ならないほどの空腹ではないので

拝観時間を少しでも確保することを優先して

昼食は、可能な限り先送りすることに。

 

 

 

花手水

 

新型コロナウィルスの感染防止のために

手水舎を使用禁止にしている寺社が多くなり

その代わりに参拝者に和んでもらうためにと

手水鉢に生花を浮かべて飾る『花手水』が

全国の寺社に広がっているようです。

 

 

 

 

花手水の元々の意味は、野外での神事の際に水が無い時に

手水の代わりに花や葉で手を擦って清めることでしたが

 

京都の柳谷観音 立願山楊谷寺で行っていた

手水鉢に花を浮かべる形が

花手水として全国に広がりました。

 

金戒光明寺の花手水を発見した参拝者らが

こぞって何枚も撮影するほどの

人気スポットになっていました。

 

 

 

阿弥陀堂【京都府指定有形文化財】

 

1612年(慶長10年)に豊臣秀頼によって再建。

安置されている阿弥陀如来像は

『のみおさめの如来』と呼ばれています。

 

 

 

納骨堂(旧経蔵)

 

1689年(元禄2年)に再建。

金戒光明寺に納骨されたお骨で造立された

『骨佛』と呼ばれる阿弥陀如来坐像が安置されています。

 

 

 

直実鎧掛けの松

 

熊谷直実が洗った鎧を掛けたとされる松で

現在の松は、3代目の松。

 

熊谷直実は、神戸市須磨一の谷の合戦で

平敦盛を討った武将としても知られています。

 

以前に訪れた須磨浦公園には、敦盛の胴塚があり

須磨寺には、首塚がありました。

 

 

 

御影堂(左)・大方丈(右)

 

 

 

唐門【国登録有形文化財】

 

 

 

御影堂(本堂)【国登録有形文化財】

 

大殿とも呼ばれる金戒光明寺の本堂。

1934年(昭和9年)に火災により焼失し、

1944年(昭和19年)に再建。

 

須弥壇には、法然上人が自ら彫り上げたとされる

法然75歳の座像を安置。

 

東隣りには、

木造千手観音立像(吉備観音)【重要文化財】

特に西隣に安置されている運慶作とされている

文殊菩薩像と脇士の像は、見惚れる位に素晴らしい。

※運慶作とは確定されていないようです。

 

 

 

御影堂外廊下から境内

 

ここから先は、通常は非公開区域で

特別拝観にて公開される区域となります。

 

 

 

御影堂と大方丈を繋ぐ渡り廊下

 

 

 

 

 

 

金戒光明寺 大方丈庭園

 

金戒光明寺 大方丈南庭は、

島根県の足立美術館の庭園を作庭した

中根金作氏によるもの。

 

 

 

 

 

 

 

大方丈内で会津藩主の松平容保との謁見の間

伊藤若冲、富岡鉄斎の屏風絵

久保田 金僊筆の『虎図』を観賞。

 

どれもが素晴らしくお腹一杯のところに

紫雲の庭が続きます。

 

 

 

金戒光明寺 紫雲の庭

 

現代的な意匠と伝統的な日本庭園を上手く調和させた

紫雲の庭は、法然上人の生涯を庭石で表現しています。

 

右側の石組は

法然上人が誕生した岡山県美作での幼少時代を、

中央の石組は

浄土宗開宗・金戒光明寺の興隆を表しているそうです。

 

 

 

 

左側の石組は

比叡山延暦寺での修業時代を表していて

橋を渡った先には、琵琶湖に見立てた池泉があります。

 

大方丈からの紫雲の庭を観賞した後は、

庭園に降りて庭園を観賞。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中央石組みの中の大きな石は、法然上人に見立てた石。

 

 

 

紫雲の庭 露地

 

大方丈の外廊下に腰を下ろして観賞するのも良し、

庭に降りて身近で観賞するのも良しで、

ここだけでも立派な庭園として成立しているのですが

紫雲の庭の奥へと足を進めます。

 

 

 

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