心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

世界のプロポーズ

2024年06月09日 | 雑感・愚見

 

洋画等でプロポーズの際に男性が片膝をついて指輪を示して

「わてと結婚してくんろ?」

と告白する様子を見ることがあります。

 

あの欧米のプロポーズの際の定番のポーズは、

元々イギリス等の中世の時代に騎士が領主に対して

敬意と忠誠心を示すための姿勢だったと言われていて

その姿勢には、服従の意味もあるようです。

 

だとしたら片膝をついてプロポーズした男性は、

その女性に対して敬意と忠誠心と服従をすることを

絶対的な誓いをしたことになるので

欧米では、君主たる妻に絶対的服従をする夫といった

関係性ばかりの夫婦なのかとなるはずですが、

 

実際は、そこまでの覚悟と誓いを意味していないようで

「僕と結婚してくんろ。」と

物凄く下出にでた懇願のポーズでしかないような………

 

騎士のそれとは比べ物にならない程、軽い印象がありますが、

家の中のことは、しっかりとした女性が主導権を持ち、

子供ぽさとやんちゃ性を残す男性は、妻から叱られることが多く、

男性は、妻の言い分に対する反論や言い訳をしたとて

正論でぐうの音も出ない程打ち負かされて

気が付いたら自然と服従させられることになるんですけどね。

ひーはー!

 

 

さて各国のプロポーズ事情は、私が読んだ記事では

 

アメリカのプロポーズ事情は、

多くの男性は2月14日のバレンタインデーに

プロポーズを行うらしくプロポーズの定番の言葉は、

日本の様に詩的と言うか、間接話法と言うか

「僕に毎朝、味噌汁を作って欲しい。」………じゃなくて

Will you marry me?

 

イタリアのプロポーズ事情は、

イタリアの男性は、女性を見ると話しかけて

褒めて褒め捲る的な軽い印象がありますが

1970年代までは法律で離婚が認められていなかった影響か、

結婚については非常に慎重らしい。

 

これ誰の?オラんだのオランダのプロポーズ事情は、

1998年に登録パートナー制度を導入して

登録すれば法的に夫婦と同じ様な扱いを受けられることで

結婚に拘らない人が多いとのこと。

 

でもさあ、こうなると結婚の届け出と

登録の届け出と何が違うのだろう?

くっついたり離れたりが簡単に出来るってこと?

その際のややこしい責任を負わずに済むってこと?

何かが違うんだろうけど、なんかよく分からんなあ。

 

フランスのプロポーズ事情は、

二人の愛の為だけに交わされるために

プロポーズは密やかに行われ婚姻届けには拘らない。

 

スウェーデンのプロポーズ事情は、

婚約後、二人で一緒に生活をする事実婚のような

お試し期間を持ち、中には数年から10年以上経ってから

結婚する夫婦もいるらしい。

 

フィリピンのプロポーズ事情は、

家族との関係性を非常に大切にする国で

意中の女性の家に行って窓の下で『ハラーナ』と言う歌を

弾き語りして家族にもプロポーズの意志を伝えるとのこと。

 

これほんまかいな?

 

ギターを弾けなければ、弾ける友人に助けてもらうのか、

お金を出して楽団を雇うのか、

まあ楽器付きでなければ駄目なんてことは無いと思うので

独唱も有なんだと思うのですが、どうなのか。

 

日本の場合、婚姻届けを提出することで

色々な制度にも都合が良いことが

何かと増える印象があるのですが、

 

欧州では、婚姻届けにあまり拘っていない印象があるので

それほど不都合を感じることがないのかも知れませんね。

知らんけど。

 

 

 

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プロポーズの語源

2024年06月07日 | 雑感・愚見

プロポーズの世界的な始まりは、古代ローマ帝国時代のようで

この頃からすでに指輪を贈る習慣があったようで、

指輪を付けるということは結婚の約束をした証となりました。

ちなみに当時の指輪は、鉄製の指輪。

 

propose(プロポーズ)の語源とされるのは、

ラテン語で『前に置く』を意味するproponereが語源で

その前に置くの意味から提案するの意味が生まれ、さらに申し込む

そして、求婚も意味するようになったとされています。

 

婚約指輪を左手の薬指にはめる理由は、

古代ギリシャの時代に心臓は人間の心を司る場所だとされていて

左手の薬指は心臓と一本の太い血管で繋がっている

特別な指だと考えられていました。

 

その特別な指に婚約指輪を装着することは

愛する女性の心を繋ぎ止めておくという意味があったとのことです。

 

また誰が考え出したのか分かりませんが、

この話を私が初めて聞いたのが

中学か高校の修学旅行か遠足の時のバスガイドさんから。

 

 

図のように両手の指先を合わせると

人間の人体の構造上、薬指以外の他の指は

指先を離せることが出来るのですが

薬指は離すことが出来ないことから

結婚指輪は、特別な指である薬指に装着するとのことでした。

 

凄く分かりやすく話としては面白いのですが

ちょいとロマンチック度的に重みに欠ける感じもします。

 

古代ギリシャで信じられていたことは

結婚への神秘性やロマンチック度は増しますが

その話って本当にと思ってしまう余地がちょいと入り込む

解りずらい話ではあります。

 

指輪の形は、円形で永遠に途切れることなく形で

結婚をも意味しているエジプトの象形文字から

始まったとされているらしい。

 

日本のプロポーズの始まりは、

当然のことながら外国のそれと全く違っていて

愛する異性が住む家の前で相手の名前を呼んだり、

好きな気持ちを詩にして読んでいたようで

 

このような行為は、万葉集にも記されているらしく、

詩や手紙による求婚が庶民にまで広がったのが江戸時代。

 

婚約指輪にダイヤモンドが一般化したのが

15世紀頃でさすがにダイヤモンドは高価だったので

欧米で一般化したのが19世紀から20世紀頃。

 

クリスマスの態度を見ても分かるように日本人は、

外国の文化であろうが何であろうが、良いものは良い、

楽しいものは楽しいと取り込んでしまう習性があるので

 

日本に指輪の習慣が伝わったのが明治時代で

昭和41年にダイヤモンドの輸入が解禁されたことで

求婚の際にダイヤモンドを贈る習慣が一気に全国に広まります。

 

もうこうなると求婚の際に日本の古式に則って

詩を詠んだり手紙を贈るだけじゃあ相手の態度は、はあ?

 

確か婚約、結婚指輪を贈る欧米の場合は、

結婚式のようなものがあるだけで

指輪を贈る習慣が無かった日本では指輪にあたるのが

結婚準備金としての結納文化で、

詩を詠んだり手紙を贈るだけで安上がりで済まず、

現代の日本では元々の結納文化に加えて

ダイヤモンドと婚約指輪とプラチナリングの結婚指輪が加わり、

ふぇ~ん。と書いたら絶対に怒られますよね。

 

愛する嫁さんに結納金に結納の品々だけじゃなくて

指輪まで贈ることが出来るのはこの上ない喜びとしなくちゃね。

 

ちなみ婚約指輪にダイヤモンドが選ばれるのは、

ダイヤモンドには『不屈の力』とか『永遠』等の意味合いが

あるためだそうです。

 

これってダイヤモンド自身が言葉を発したはずが無いので

花言葉のようなもの?昔々からの宗教的な意味から来てる?

それとも日本のバレンタインにチョコレートを贈る習慣のように

チョコレート業者が流行らせたもの?

 

誰かが言っていた非常に現実的な話として

もし将来2人が分かれることになった際に

女性がダイヤモンドの指輪を売ることで

色々かさむであろう資金の助けに出来るからとか。

つまり慰謝料の一部となる。

 

ここまで世界に浸透すると余計な詮索は、

しないに限る。

 

 

 

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鳥の鳴き声だけ

2024年06月05日 | 雑感・愚見

 

2021年の年末 オーストラリアで発売された

同国内で絶滅危機にある53種類の鳥の鳴き声だけが収録された

アルバム『songs of disappearance(消えゆく歌)』は、

 

SNSを中心に人気に火が付き

オーストラリアの音楽チャートで週間アルバムランキングで

トップ5入りを果たしました。

 

 

『songs of disappearance(消えゆく歌)』を制作したのは、

アンソニー・アルブレヒト氏が主宰する芸術団体で

アルバムの売り上げは、自然保護団体バードライフ・オーストラリアに

寄付されるとのことです。

 

アルバム『songs of disappearance(消えゆく歌)』は、

絶滅に瀕している鳥達の存在を認識してもらい

それらを保護する気持ちを有しているであろう国民に

再確認してもらうための広報活動でしたが

アルバムの予想以上の売り上げには驚いているようです。

 

この成功によって保護団体の代表は、

国民の保護意識が高まり、多くの賛同の声が上がることで

これまで以上に政府が保護活動に力を注いでくれることに

大きな期待をしているようです。

 

少し前に話題になったガラパゴス諸島のピンタ島で発見され、

ロンサム・ジョージと名付けられた

ピンタゾウガメの最後の個体がゾウガメが2012年6月に死亡し

ピンタゾウガメは絶滅しました。

 

その昔、ピンタゾウガメは食用肉として乱獲され

人為的に移入された山羊や豚などが生態系を破壊したことで

その数をどんどんと減らし2012年の6月に種が絶滅。

 

種の絶滅には、自然界での生存競争に敗れることよりも

人間による環境破壊、乱獲など

人間の振舞いが大きく関わっているようです。

 

映画『ジュラシックパーク』のような技術が確立されない限り、

一度失われた種は二度と復活することはないので

この先の人間の活動によって起きる種の絶滅は、

何としても防がなければならないと思っています。

 

目先の利益のためにむやみに山肌を削り、海を汚したり、

動物を乱獲したりするのは単に可哀そうだとか

人間の都合や欲望の犠牲にすることを悪とすると言うことより

将来的に人間自身の種の存続の危機に繋がっているので

早めに対処することが必要だと思うからです。

 

 

話は少し変わりますが

2014年にカリフォルニア州の住民投票で新たな法律、

Proposition47が承認されました。

 

この法律は、数百ドルの窃盗は生活苦が原因であることが多いので

重い刑罰を科さずに更生の機会を与えるというもので

これによって弱者を救済すると同時に

刑務所の経費も削減することもできるとの考えからでした。

 

ところが950ドルまでなら逮捕されても

無罪放免されると一部のメディアによって報じられたことが

大きな要因となったのか、

 

店員に熊用のスプレーを噴射したり、店舗に集団でやって来て

店員の目の前で堂々と大きなバックに商品を詰め込んだりと

度を越した万引き問題が起きているようです。

 

成立したProposition47によって

950ドルまでなら盗みは無罪的な受け止め方をした

万引き犯に狙われた店舗の被害は大きく

しかも警察は簡単には動かないことから

店舗を閉鎖するところが相次いでいるとのことです。

 

このままだと次々と店舗が閉鎖されて

働き口が減り街を出ていく人が増えて人口が減少し、

街の税収がどんどんと減り続け、

 

街が寂れて貧困者が増加し、

増加した貧困者らの窃盗犯が増えてといった

悪循環が止まらなくなります。

 

一つの街、一つの街の経済が崩壊するには

たった一つの小さな要因が投下されるだけで

その波紋のうねりは、やがて街を飲み込んでいくかも知れません。

 

何でまた貧困者に日常生活や食料を支給とせずに

無罪放免と受け取れそうな州法を発案して通したのか、

また発案した責任から逃げているかのような

住民投票も何だかなあと。

 

制定されたことで悪い流れが起きたとしたら

リーダー(権力者)は、一刻も早く州法を修正しなければ

例え大きな街であっても絶滅に瀕する状態(スラム化)まで

流れるように到達するかも知れません。

 

自然環境も街も、それらの破壊を防止するためには

まだまだ余裕がある段階の内に対処を始めることが

重要なことのように思うのです。

 

 

かなりの確率で最悪の状態になりそうな時に

その序章がちらほらと目に見えたりするものなので

それらを耳にし目にした時に、

そうなってはいけないと強く思うだけじゃなくて、

誰かが止めてくれるはずだと当てにするのではなくて

一人一人が小さなことでも実行することが大切です。

 

全体を動かすには

強いリーダー(権力者)が動く必要がありますが

そのリーダーがすでにちらほらと最悪の状態に向けた

序章らしきものが見えていても見えないふりをしたり、

全体を動かすための労力を避けて楽をしたり、

 

人間は、完璧じゃないので

リーダー(権力者)も完璧ではないので間違います。

なので間違いを知り、感じたら

柔軟に修正をしてくれれば良いだけなのですが、

 

最悪なのは、リーダーや権力者が

それを受容する節があったり、望んでいる節があったりする場合です。

たった一人の人間に環境や国民全体に害を及ぼされることになるのは

許されることではありません。

 

自分達が選んだ、あるいは許容したリーダーによって

自滅への流れを止められないのは自業自得かも知れませんが、

他国にまで多大なる害をなすとなればもう………

 

 

 

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楽を覚えたテッポウウオ

2024年06月03日 | 雑感・愚見

 

2002年 

イギリスのポースマスの水族館で飼育されているテッポウウオが

飼育員から餌を与え続けられたためか餌の捕獲をしなくなりました。

その状態を憂慮した水族館は、

テッポウウオに餌のハエを撃ち落とさせる訓練を始めました。

 

 

テッポウウオは、水面上の葉っぱに止まっている昆虫等を

口から射出した水で撃ち落として捕食します。

 

このようなユニークな仕組みは、

舌をチューブのようにして口の中に水を貯めて

エラ蓋を閉じて貯めた水の圧力をかけてから

舌先の弁を開けて水を射出していて

この射出する水は、なんと2mから3m先まで届き

最大7連射することが出来るのだそうです。

 

あの小さい身体での2mから3mの射出距離は凄くて、

私達人間が口に含んだ水をすぼめた口先から

思いっ切り飛ばしても到底及ばず、

子供の頃、御風呂の浴槽で遊んだ両手を合わせて作る水鉄砲で

両手の握力を思いっ切り使ってやれば、ようやく互角かな。

 

そして、水面の外から水中を見ると垂直以外の角度では

光の屈折が起きて実際の位置からズレて見えることを

私達は良く知っています。

 

それは当然、水中から水面の外を見ても

同じ様に光の屈折によって実際の位置からズレて見えるのですが

そのズレを補正して見事に餌に命中させるのがまた凄い。

 

これは光の屈折を計算していると言う人もいますが

私なんかは、あんな小さい魚の脳が

屈折率を計算なんて出来るはずがないと思っているので

何度も水鉄砲を放つ度に感覚的に身に付けたと思っています。

 

アオサギ等の鳥達も水中に発見した魚等の獲物を

光の屈折など物ともせずにクチバシをザシュと水の中に打ち込み

一撃で仕留めているので生物たちの能力は凄い。

 

光の屈折などの仕組みなんてものを理解しているはずもないので

そのズレを混乱せずにどう納得しているのか不思議ですが

まあ考える力は高くないはずなので、

その違いを只そういうもんかなと受け入れているだけかもね。

 

また必ずしも水を射出して射止めた生物だけを捕食するのではなく

水面上のアメンボや誤って水面に落下した生物等も捕食しますが、

自分が水を射出しなくても水面に餌を発見すれば

ひと手間が省けたとして捕食するのは当然と言えば当然かと。

 

進化論で言うと想いが長年引き続かれる中で

DNAに影響を与えて身体の構造が変化していくらしいですし、

突然変異論からすると環境に適した固体が生き残ったとなるのですが

 

テッポウウオの水を射出する身体の構造は、

気の遠くなるような時間をかけて手に入れたものですが

獲物を撃ち落とす技は、本能と言うよりも

他のテッポウウオを見て学び会得するようなので

一番最初にこの技を会得した個体は、

何を見て学んで技を会得したのだろうか。

 

でもまあ大昔の最初の頃は、ちょろちょろと水を射出する位で

餌を捕食するまでの能力には至っておらず、

遊びのような感じだったのが伝承され繰り返していく内に

身体構造も射出能力も進化してきて現在に至る感じでしょうか。

 

現在のテッポウウオの2mから3mの射程距離は

もしかしたらまだまだ進化の途中で

これから千年経過したテッポウウオの射程距離は、

現在の2,3mから10m位になっていたりしてね。

 

 

さてですが、イギリスの水族館のテッポウウオの件は、

人間の飼育下で餌を与えられ続けたら

水を射出して餌を落とす必要がなくなるので

餌を待つようになるのも当然のことなのかも知れません。

 

厳しい自然環境の中で生きるための術として

苦労して身に付けた技と身体構造が

人間の飼育環境の中では不必要なものとなるので

 

何世代にも渡り人間の飼育下で餌を与えられ続けたら

テッポウウオの技が伝承されることがなくなり、

身体構造も退化してしまうかも知れません。

 

身体構造を有して技を見て学び会得して

何度も繰り返すうちに水流の勢いも命中精度も上がっていく

他から安易に与えられ続けたら楽を覚えて

その能力が伸びるどころか減衰していくって

まるで人間と同じようで面白い。

 

 

 

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威信回復の企み

2024年06月01日 | 雑感・愚見

 

2005年 アメリカのオクラホマ州で

夫としての威信を取り戻すためにと計画した狂言強盗を

知人にお金を払ってまで実行しました。

 

計画では、強盗に扮した知人によって縛られた妻を

夫である自分が救出するはずでしたが失敗して警察沙汰に。

 

 

いざとなったら暴力も厭わないと実行する

狂気に満ちた犯罪者じゃなくて

騙して驚かすことを目的にした知人なのですから

大きな声を出されたりちょっとした抵抗があったりすると

怪我をさせる訳にはいかないので

計画を完遂することを止めてしまうだろうし、

 

只でさえ不確定要素が多い現実が

こうやればこうなるだろうと都合良く考えた計画通りに

ことが運ばない可能性は高いように思うんですよね。

 

なのでせめて妻をデートか買い物に誘い出して

「お姉さん、そんな奴じゃなくて俺達と遊びに行こうぜ。」

等の様に路上で絡んできてもらって

『貴様ら私の愛する妻から離れろ!』のような感じで

撃退する計画の方が失敗した時のことを思えば

良いかと思うんですよね。

 

気になるのが夫としての威厳を取り戻すと言うことが

なんかあれです。

 

この夫は妻から与えてもらうことが

愛されていることを実感できるのかも知れませんが、

誰かと親しくなるとか誰かに愛されるためのコツは、

頂戴じゃなくてどうぞが先なのかなと。

 

なので目的を妻からの愛を再びに的なものとしていたら

その手段も全く違ったものになったと思うんですよね。

 

どうぞで得られる愛情は偽物で

何も無いまま与えれる愛情にこそ価値があると

感じる人もいるようですが、確かに一理はあるのですが

ただそれに拘りが強すぎる場合には、

 

幼き頃に十分に感じられていなかった

両親からの無償の愛情を別の対象者から得ようと

無意識が欲している影響があるのかも知れません。

 

 

 

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