イソップ童話の中にある「金の斧、銀の斧」というお話を知っている方は、多いと思う。
福娘童話集・今日のイソップ童話より「金のオノ、銀のオノ」
正直者の木こりが、川のそばで古いオノを落とし困っていると、川から神様が現れ「おまえの落としたオノは、これか?」と言って金のオノを出すが、正直者の木こりは「違います」と答え、「では、これか?」と神様が、銀のオノを出す。木こりは「それではありません」と言うと、「これか?」と、次に神様が出したのは、木こりが落とした古いオノで「これです」と答えると、神様が「正直な木こりだ。おまえに金のオノ、銀のオノもあげよう」というお話だ。
その「イソップ童話」の「金の斧、銀の斧」を元にした、ラジオCMがある。
CMなので、童話通りの結末ではない。
こちらは、正直者の木こりが「金や銀の斧」を見て「神様、金や銀は(草を刈るには)やわらか過ぎて、使えません。出来れば鉄の斧3本にして下さい」と、神様にお願いをする、と言う結末。
このラジオCMを聞いた時、「なるほどな~」と思ったのだ。
イソップ童話では、「金・銀・鉄」の市場価値という視点から見ている話だ。
正直者の木こりにとって、「金や銀の斧」は「富の象徴」となるコトはあっても、自分が使い慣れた鉄の斧のほうが使いやすいだろう。しかし、神様側から見ると「富の象徴」を与えることで、木こりの正直さを褒め称えたと言えるだろう。
だからこそ、その後の欲張りで嘘つきな木こりが同じ様に金と銀の斧欲しさに、わざと川に自分の斧を落とし、神様にウソをつくのだろう。
一方ラジオCMでは、正直者の木こりが「仕事に使えないから、金や銀の斧は入らない。金や銀の斧と同等額の鉄の斧3本の方が、私には必要だ」と、言っている。
と言うことは、木こりにとって「富の象徴」である「金や銀」よりも、「仕事で使える」ということのほうが、価値が高いと考えていると言うことになる。
ラジオCMのように、単純に「金や銀の斧=鉄の斧3本分」と言う市場価値ではないと思う。
ただ、木こりが「仕事に使う斧」という価値観の中では、「鉄の斧3本分」が「金と銀の斧」よりも価値があるのだ。
世間一般の価値観と、個人の価値観の間には、この様な「仕事」や「ライフスタイル」、その時の状況によって同じでは無い、と言うことだと思う。
それほど「価値観」というモノは、「様々な条件や環境によって違う」と言うことなのだ。
その「様々な条件や環境」の違いが、市場の中には溢れていて、実は「価値を決める」のは、社会よりも個人である、と言う意識を持つことが「市場を知る」ということかも知れない、と考えたのだった。