新聞チェックをしていたら、中日新聞(関東では「東京新聞」)だけ(?)が、掲載している記事があった。
中日新聞:医療費1.7兆円抑制、20年度厚労相が新目標
という記事だ。
ご存じのとおり、日本は高齢化に伴い医療費が急増している。
「皆保険」という制度であるために、所得に関係なく「標準治療」を受けられるという、国民にとってはメリットの高い保険制度だ。
反面、高齢化社会になるにしたがって、医療費の増加は避けて通れない問題でもある。
随分前に、医療関係の講演会で聞いた話だが、日本人が一生のうち一番健康保険を使うのは、亡くなる数か月前だそうだ。言い換えれば、高齢者になると急激に医療費を使う、ということになるのだ。
ちなみに、一番医療費を使わない時代というのは、「高校生くらい」の頃らしい。
高齢者に「高校生の頃」の頃のように、健康保険を使わないことを求めることは、できない。
高齢者になればなるだけ、当然のことながら様々な病気や病気とまではいかないにしても、体の自由が利かなくなってくるからだ。そして、それを責めることはできない。「人として最期の時を迎えるまでに誰もが通る道」だからだ。
昨今「終活」という言葉を、あちらこちらで目にするようになった。
ただこの「終活」の前提?となっているのが、「健康であること」らしい。
誰もが「健康で最期の時を迎えたい」という気持ちは、十分わかるのだが「健康で最期の時を迎えられる」という確約はない。そこにある種の「矛盾」のようなモノを感じるのだが、では「健康で最期を迎える」ためには、どうしたらよいのか?というこ視点が、この「終活」には抜け落ちているような気がする。
違う言い方をすると、今はやりの「終活」の視点と今回の医療費抑制の視点が、なんとなく似ているように思えるのだ。医療費を抑制させるために一番良い方法は、一番医療費を使う時期を短くすることだ。
すなわち「予防医学」に力を入れることで、ある程度の医療費抑制は可能になるはずなのだ。にもかかわらず、その視点を抜きに「ジェネリック薬品の活用」とか「C型肝炎の重篤化予防」というのは、どことなく的がズレているような気がする。
確かに、「C型肝炎」の多くは、1950年代~1970年代に出産時の輸血や、子供の頃の予防接種時の注射針の使い回しなどにより感染した「薬害肝炎」だ。そして「C型肝炎」を放置するといずれは「肝がん」になる。今の40代以上が、丁度その世代(=現在の人口ピラミッドで、一番ボリュームが大きい世代)にあたるため、医療費抑制の対象として考えているのだと思うのだが、「新薬」そのものはとても高額で、治療を受ける人が3割負担であっても月数万円の費用が必要、とも言われている。むしろこの対象世代の「健康診断」に「肝炎検査」を必須項目として検査をし、早い段階で「C型肝炎治療」を始めるほうが、得策なのではないだろうか?
以前、「がんと医療制度」というテーマで講演会を聞きに行ったとき、「今後の医療制度の方向」という内容にも触れられており、その内容では「これからの医療制度は予防医療へのシフト」であり、しかも「予防のためには国民一人ひとりの自助努力が必要」ということが盛り込まれている、という話があった。
「一人ひとりの自助努力(例えば「適度な運動・栄養バランスの取れた食事」など)」は必要だが、個人に任せっきりにするというのも、いかがなものだろう?
むしろ「医療報酬」の見直しなどで「予防医療」の保険点数を増やすとか、「高度な治療を必要とする病院」と「町のクリニック」、「高齢者を対象とした訪問医療」、ときには地域全体で医療とスポーツクラブや外食など他業種との連携システム構築し、周知させることで、本当に必要な医療を適切な場所で受けられるような仕組みづくりのほうが、医療費全体を下げることになるのではないだろうか?