ダッカで起きた、IS(ここでは、「ダーイッシュ」と表記させていただきます)の思想に影響を受けた、若者たちが起こした日本人やイタリア人に向けての惨殺とテロ。
事件の全貌が、少しづつ明らかになりつつある。
その中で、犯人たちの多くがバングラデシュの裕福な家庭の子弟であった、という報道が出てきている。
裕福なだけではなく、優秀な学生でもあった、と言われている。
裕福で優秀な学生が、何故「ダーイッシュ」のようなテロ組織の思想に傾倒し、テロや惨殺行為をするまでになったのか?と、考える必要があるのでは?という気がする。
そしてこれまで「テロ集団」の代名詞?のように言われていた「アルカイダ」との違いも考える必要があるように思う。
というのも「アルカイダ」の場合、スカウトされる若者たちの多くは貧困層出身で、「神学校」で学ぶ機会を与えるという名目で、テロリストたちを養成してきたと、言われているからだ。
「(様々なコトを)学ぶ機会」が無かったため、「アルカイダ」の善悪(というよりも「イスラム教」あるいは「正統的なムスリムとしての思想」)を知る機会がなかったコトで、テロリストとなってしまったのでは?という、指摘がされてきた。
それに対して、ダーイッシュの場合「13世紀ごろのオスマントルコ」を目指すために、インターネットなどを積極的に利用し、グローバルなスカウトをしている。
そして感化される若者たちは大学で様々なコトを学んでいるような、いわゆる「高学歴」の若者たちだ。
今回のダッカでのテロも上述した通り、高学歴で裕福な家庭の若者たちだった。
この事実を知ったとき、思い浮かんだ話がある。
一つは、ドラッカーの自伝の中にある。
ドラッカーが、フランクフルト(だったと思う)で新聞記者をしていた時(=ナチスが台頭し始めた頃)ドラッカーは記者を辞めロンドンに行く準備をしていた。そのコトを知った先輩記者が「とどまり、ナチスのために働いてほしい。それが国を良くする手段だ」と説得に来た。という話だ。
その言葉を聞いて、ドラッカー自身は「(知識層までナチス支持をする)ドイツに留まる猶予はない」と判断し、早々にロンドンに脱出した。という話だ。
もう一つは、池上彰さんと佐藤優さんの対談形式でまとめられた「希望の資本論」の中で、池上さんが語られている内容。
池上さんが大学生だったころ(ご存じのとおり、池上さんは慶応大学出身)、学生運動が盛んで池上さんも大学の先輩から、デモの参加に誘われたそうだ。その時「改革をするためには、手段を択ばず」と言われたという。
そして池上さんは、「ある特定の思想に傾倒するコトの怖さ」を感じたという。
「ダーイッシュ」に傾倒する若者も、ドラッカーに「ナチスのために働いてほしい」と言った先輩記者も、池上さんに「手段を択ばず」と言った大学の先輩も、ある部分では「純粋」なのかもしれない。
それは「裕福」だからこそ、それまで自分たちのいる社会以外の社会を知らず、当然社会の根底にある問題も知るコトが無かったのだと思う。そして「多様性の中にある摩擦と寛容性の大切さ」を知ることも経験もなかったのでは?
何より「特定の思想を信じ・傾倒する」コトの怖さを「ダーイッシュ」は、教えているような気がする。