作詞家としては「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん夜の星を」などのヒット曲を生み出し、時には放送作家として活躍をされ、「大往生」などのベストセラー作家でもあり、長い間ラジオパーソナリティーを務められてきた、永六輔さんが亡くなられた。
永六輔さんが作詞家として活躍されたのは、1960年代。
日本が本格的な「高度成長」を迎えはじめた頃だった。
社会的には「明るい未来」という雰囲気のある中、「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん夜の星を」は、明るいだけの内容ではなかった。
むしろ、どこか哀愁があり「明るさの陰にある悲しみ」のような心情を、描き出していたように思う。
もちろん、作曲家・中村八大さんによるところも大きいのだが、作詞と作曲がピッタリとあったからこそ、時代を超えて歌い継がれるのだという気がする。
永六輔さんが作詞家としてではなく、活躍の中心とされていたのは「ラジオ」だった。
それも、AMのラジオ番組だ。
ラジオという「メディア媒体」は、暗黙の「棲み分け」のようなところがある。
「短波」と言えば、株式情報や競馬中継などが中心。
「FM」は音楽が中心で、FMの進行役は「DJ」とか「パーソナリティー」という名称で、呼ばれることが多い。
もちろんある程度のニュースや交通情報などは、番組の中に含まれてはいるがそれらは、番組のつなぎのような役割のような気がする。
それに対して、AMは「ことば」が中心の番組が多いような気がする。
当然、進行役となる人は「DJ」とか「パーソナリティー」のような名称で、呼ばれることはない。
なぜなら、進行役となる人そのものが「番組」そのものだからだ。
そのため、進行役となる人のキャラクターというか個性や、思考が番組そのもの反映される。
AMラジオというのは、それだけ「人」の魅力によって、創られる番組が多いのだ。
もう一つ「ラジオ」というメディアは、テレビよりも「自由さ」が特徴のような気がする。
ここ2,3年のテレビのような「自主規制」的な発言を聞くことは、あまりない。
むしろリスナーとして「そんなこと、言ってはまずいのでは?」と思えるような発言を、聞くこともある。
それは時には、政治への批判であったり、社会全体の問題であったりする。
おそらくそのような「発言」をするには、それなりの覚悟のようなモノを持っていらっしゃるのだと思う。
だからこそ、ラジオ番組では「失言」が、少ないのかもしれない。
テレビが日本の家庭に普及し始めたころ、「ラジオ」は古い媒体として衰退していくと言われていた。
確かに、テレビ隆盛期にはラジオを聴く人は、減っただろう。
しかし、1960年代後半から1970年代にかけ「深夜放送」が、当時の若者を引き付けることになる。
そこでは「大人には言えない若者たちの本音」のようなモノがあり、番組を通しての「コミュニティー」のようなものもあった。
今でも病院のベッドで眠れぬ夜を、ラジオを聴きながら過ごすという方も決して少なくないはずだ。
そう考えると、永六輔さんが「ラジオ」にこだわった理由は、ラジオ独特の「コミュニティー」と「自由」さだったような気がする。