トランプ氏のユニークすぎる政策は、ますます混迷を深めていきそうだ。
メキシコとの国境に建設する予定の「壁」の建設費を巡って、メキシコ側は当然「拒否」をしている。
メキシコ側からすれば「壁」の建設は、米国側(正しくは、トランプ氏の考え)の都合なのだから、当然建設費は米国側が負担すべき!という、全うな考えを示している。
それに対して、メキシコからの関税を引き上げ、引き上げた分の関税を原資として「壁建設費」をねん出する、という「荒業」まで検討しているのがトランプ氏率いる米国側の考えのようだ。
昨年あたりからだろうか?国際社会全体が「不寛容」になってきているような気がしている。
背景の一つには、「ダーイッシュ(=IS国)」のようなテロリストが跋扈するようになったことも、要因だろう。
そのテロリストから逃れるために、欧州に大量流入してきた「移民」が、欧州社会にますます不安や疑心暗鬼を植え付けてしまっているような気がする。
その多くは「不安」からくるものだろう。
以前何かの本に書いてあったのだが、「恐怖」と「不安」は似て非なるモノだという。
「恐怖」というのは、怖いと感じるモノや原因がおおよそわかっている。
それに対し「不安」というのは「漫然としたつかみどころがない」。
それらの感情の原因となるモノがわかっている場合は、その原因を排除すれば「恐怖(心)」はある程度収まる。
「不安」となると、原因がわからないため「不安が不安を呼び、人に極端な行動をとらせる場合がある」と言われている。
今、世界各地を覆っているのは「恐怖」ではなく「漫然とした不安」なのではないだろうか?
「不安」から人は、「自分と違う価値観や考え方」を排除しようとする。
それが「不寛容」を生み出し、社会全体が殺伐とした雰囲気に陥りつつあるのでは?
しかし「不寛容」が招く社会は、とても悲劇的な社会だ。
今から100年ほど前の映画「イントレランス(=不寛容)」は、「不寛容」が招く社会的悲劇を複数の時代を通して表現していた。
そして今また、そのような社会的雰囲気を感じ取るのだ。
中心にいるのは、トランプ氏をはじめとする「My支持者ファースト」的思考の政治家の台頭だろう。
トランプ氏は「アメリカン・ファースト(=アメリカ第一主義)」と言っているが、その実「アメリカン・ファースト」ではなく、「My支持者ファースト」を狙ったポピュリズムだ。
「My支持者VSその他」という構図が、大統領就任演説時に行われた「女性のデモ」にも現れていた。
注意をしたいのは「女性のデモ」に参加している多くの女性たちが、「アメリカン・ファースト(=アメリカ第一主義)」を否定しているわけではない、という点だ。
彼女たちが反対デモを行った理由は、「女性蔑視」であったり「多様性を認めない」等の、トランプ氏の発言に対してなのだ。
社会全体の寛容性が失われていくと、民主主義は誤った方向へと動き始めてしまう。
それが第二次世界大戦時の「ナチス台頭」だろう。
「ナチス」が大きな力を持つことができたのは、多くの人の支持を得るコトができたからだ。
だからこそ、今こと「寛容性」ということが、大切なのでは?という気がしている。