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これから必要となっていく「知力」とは?

2019-09-04 15:21:17 | ライフスタイル

日経のコラム・COMEMOのコラムの中には、様々な雑誌などの媒体からのものがある。
その一つに、ハーバードビジネスレビューがある。
ビジネスパーソンであれば、読まれている方も多いのでは?と思う。
そのハーバードビジネスレビューあったコラムを、COMEMOでも紹介されていた。
ハーバードビジネスレビュー:リーダーにはIQとEQだけではなくDQが、必要である

IQとは、ご存じの方も多い「知能指数」と呼ばれる数値だ。
この数値が高ければ高いほど、知能が高いと言われている。
と言っても、発明家・エジソンのIQが高かったのか?と言えば、決してそうではないと言われている。
逆にヒットラーはIQが高く、150であったとも言われているようだ。
IQの高さがその人の「知的さ」を表す指標とはならない、ということから注目されるようになったのが、EQ(=心の知能指数」だ。
約20年ほど前に話題となり、私も「EQ」についての本を読んだのだが・・・内容を十分理解するには至っていない。
ただ、IQが生まれ持ったものだとすれば、EQは後天的な要素が高く、人を思いやる感情や想像する力といった能力のことを指している(と思う)のだが、その指標となるものが、ハッキリせず言葉だけが独り歩きをしてしまっている、というのが現状なのかもしれない。

そして新たに登場したのが、「DQ(良識指数)」ということのようだ。
確かに、昨今様々なところで問題とされている「モンスター〇〇」と呼ばれる人たちには、この「良識」というものが感じられない。
自分のエゴ丸出しで、自分の意見や考えが思うように通らないと、駄々っ子のように騒ぐような行動が見られる。
おそらくこのような行動をとるスタートとなっているのは「自分が正しい」という思い込みで、その思い込みが社会のルールとは大きく逸脱していようとも、関係が無いのだろう。
それが時には、ストーカー行為やDV(ドメスティックバイオレンス)、虐待やいじめにつながっていくのだが、本人は「正しい」と思い込んでいるがために、相手がどのように思い・嫌がり・困っているのか理解することができないでいる(ように思うのだ)。
EQとDQの両方が低いか、欠落しているのではないだろうか?

とはいうものの、DQに関して言うなら社会が利便性を追求し、高サービス化すればするだけ、DQそのものが低下するようになっているのでは?という、気もしている。
社会の発達が「DQ=良識」という意識を、低下させてしまっているのでは?ということなのだ。
何故なら、利便性を追求し、高サービス化すればするほど、人は考える必要が無くなる。
そして考えないことが、当たり前のようになり、高サービスを受けることが当然という状態に陥っていく。

「良識」の前には、「何が良いことなのか?良い行動とは何か?」ということを考えなくてはならない。
考えることによって「良識」という意識が、明確になり行動へとなるはずだ。
と同時に、AIと共存していかなくてはならなくなる社会では、「人らしい判断力」の柱となるのは、この「良識」なのでは?という、気がしている。
AIは蓄積されたデータから、現象や事象を判断することには長けているが、「何が(社会や顧客にとって)良いことなのか?」という判断は苦手だからだ。
以前話題になったMicrosoft社のAIが「虐殺や差別を支持」するようになった背景にあるのは、まさにAIが「良識」という判断ができない、ということを示したと思う。

もしかしたら、IQよりも優先されるのは「DQ=良識指数」なのかもしれない。