この週、末静岡県から東北までを襲った、台風19号。
各地で甚大な爪痕を残していった。
亡くなられた方も50人を超え、行方不明となっている方もまだ多い。
何より今回の台風で被害を拡大させたのは、川の堤防の決壊だろう。
長野県の千曲川や福島県の阿武隈川の堤防決壊は、とても驚いた。
堤防の決壊と言えば、1974年に起きた「多摩川洪水」を思い浮かべるのだが、この都市部の住宅地で起きた洪水を切っ掛けに、1級河川などに隣接する住宅地の為に各所で堤防の建設が進められた印象を持っていた。
それから40年以上経ち、再び台風による川の堤防の決壊が相次いだことは、単なる偶然のように思えないのだ。
コンクリートとコンクリートブロックなどでつくられた屈強と思われる堤防であっても、老朽化していたのでは?ということなのだ。
しばらく前から、全国各地で指摘されるようになった建設から40年以上経過したコンクリート造のインフラ施設の老朽化が問題になっている。堤防も同様な状況だったのでは?という、気がしたのだ。
人が手を入れてつくったモノは、常に手入れをし続けなくては維持することができない、と言われている。
それは里山の雑木林のようなモノであっても、コンクリート造の橋梁や高速道路などであっても同じだ、と言われている。
ところが、つくられるまでは興味・関心が高くても、出来上がってしまった後は興味も関心も無くなってしまう。
まるでそこにそのものがあるのが当然である、かのような生活の中に自然に入ってしまい、手入れをするということを忘れてしまいがちだ。
もしかしたら今回の堤防の決壊も、長い年数をかけ徐々に老化し、今回の台風19号により最大級のダメージを受け、決壊したのでは?という、気もしたのだ。
もちろん、このような構造物の専門家ではない私の想像でしかないのだが・・・。
とすれば、屈強でこれまでよりも高い堤防を造れば、永遠の安心が得られるのか?ということになると思う。
構造物を強くすることで、自然と向かい合うという思考は、高度成長期の頃から今に至るまで、大きく変わってはいないように感じる。
でもそれで良いのだろうか?
「ゼロメートル地帯」と呼ばれる地域や、地盤そのものが弱い地域、蛇行していた川が整備され人が住むようになった場所・・・そのような場所が、日本各地にあるのでは?
そしてそのような土地だからこそ、今回の最大級の台風により、より多くの被害をもたらしたのでは?
1974年の「多摩川洪水」があった場所は、今は住宅が立ち退き整備され公園のようになっている(と聞く)。
被災された方々の1日も早い平穏な生活に戻ることを願うのはもちろんだが、災害のよって被害にあった地域の「居住を含めた都市計画」の作り直しを、考える必要があると思う。