拙ブログで度々紹介させていただく、COMEMOに大阪ガスエネルギー文化研究所の池永さんのコラムを読んで「そうだな~」と思いつつ、「でもね」と感じながら読んだ。
COMEMO:見限り見切れない日本~日本のこれからの産業のカタチを考える④~
池永さんが指摘されている通り、今音楽を聴くスタイルの中心は「ストリーミング」だろう。
「ストリーミング」が主流になった背景には、スマホとWi-Fiの普及、通信会社の「データ定額制」というサービスがあってのことだということは、想像ができる。
スマホが無ければ、常時インターネットに接続することはできず、インターネットの接続できたとしても、Wi-Fiが無くては安定した状態でデータ化した音楽や動画を見ることができない。そして「データ定額制」があることで通信費をさほど気にせずに視聴することができる。
このように、あるサービスが爆発的に社会に受け入れられる時というのは、一つの要因だけではなく、複数の要素があってのことだ。
音楽配信に限って言えば、「ストリーミング」のほうが「視聴されている」実態に近いデータである、ということは間違いないだろう。
某アイドルグループのように「CD付き握手券」を買い求めるために、一人で視聴するとは思えないほどの大量のCD購入が、人気のバロメーターのように言われると、その実態と大きくかけ離れている「CDセールス」そのものの信頼度が大きく失われてしまった、というのは実感として持たれている方も少なくないと思う。
「CD付き握手券」などの成功は、同じような「イベント型CDセール」を続けることを、当たり前のようにしてしまう。
例えそのアイドルグループそのものが、メンバーの入れ替わりなどにより人気が低迷し始めていたとしても、一度味わってしまった成功体験を変える、ということはなかなかできないからだ。
このような状況を、池永さんは「見限り、見切る」チャンスを見過ごしている、と言っているのだろう。
(分かりやすくするために、CDの話題から某人気アイドルグループについて書かせていただいたことを、ご理解いただきたい。)
そして「見限る、見切る」ことに対して、抵抗感が強いのは「市場を育ててきた」という自負や誇りがあるからだろう。
その意味では「事業は始めることよりも、終い時のほうが難しく、大変である」ということになる。
「セールス」とか「視聴」というデータを集める、という点においては「ストリーミング」は、客観的で信頼のおけるデータとなっていると思う。
ただ、今「レコードやカセットテープ」が、若い人たちの間で再注目されるようになってきている。
ミュージシャンの中にも、限定数量でレコードをリリースする人達もいる。
家電量販店に行っても、レコードプレーヤーが置かれる台数は、わずかだが増えていると実感している。
ここ30年くらいの間で、すっかり姿を消したはずのレコードが、30数年前と同じ形で聴かれるようになってきているのだ。
この背景には、アルバム1枚丸ごと時間をかけて楽しんでもらいたい、という制作側の思いがあり、それを感じ取るファンが徐々に増えてきているのかもしれない。
もちろん、CDのようなデジタルでは感じられない柔らかなレコードの音で聴いてもらいたい、という気持ちもあるだろう。
このような状況になると、細々とレコード針を作っていたメーカーさんなどは「生産が間に合わない」という状況になっているのでは?と考えるのだ。
このような事態が起きるからこそ、事業からの完全撤退の判断はより難しい・・・と、考えるのだ。