日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「利他」と「利己」、今求められているのはどっちだろう?

2020-03-08 19:13:19 | アラカルト

昨日あたりから、ようやくトイレットペーパーが近所のドラッグストアーやスーパーで、見かけるようになった。
もちろん今でも「大量購入をしない」等の注意喚起と共に、「トイレットペーパーを含む紙製品は、十分製造されている」という趣旨が、商品棚に張り付けてある。
昨日買い物に出かけた時、すれ違った人の幾人かは、12ロール入りとか16ロール入りのトイレットペーパーを複数買っていた。それらを持って歩くだけでも大変だろうに!と思いながらも、「何故、商品供給が目に見える状態」になっているにもかかわらず、複数個買ってしまうのだろう?と、疑問に思ったのだ。

その最大の理由は「同じことが起きたら大変だ!」という、気がしているからだろう。
先週はどこのスーパーやドラッグストアーに行っても、トイレットペーパーやティッシュペーパーの商品棚は、空っぽだったのだ。
「同じことが再び起こる可能性は、あるはずだ!」という思いが、複数購入する理由になってしまうのだろう。
ただ、1973年のオイルショックに端を発した「トイレットペーパー(および家庭用洗剤)騒動」を経験していると、「同じことが起きる」という可能性は低い、という気がしている。

オイルショックの時とは違い、今回はもともと潤沢に商品そのものがあったにもかかわらず、短期集中の大量購入という、通常では考えられない消費行動によって起こったことなのだ(1973年のオイルショックによるトイレットペーパー騒動は、「原油の高騰により、紙を節約して欲しい」という政府声明が生活者の不安を煽ったのが要因と言われている)。
しかもその「大量購入」の要因となったのは、「デマ」だった。

そのような「パニック購入」という行動に人が出てしまうのは、何故だろうか?
上述したように「また同じことが起きたら大変だ!」という、不安感だろう。
違う言い方をするなら、「安心をしたい」ということになる。
単に「安心をしたい」というだけなら、常識的な数量で納得できるのでは?と思うかもしれないが、今のように「様々な商品が、潤沢にある」という状況しか知らない人たちにとって、「自分のストックが減る」ことそのものが不安なのかもしれない。

「利己的行動」と言って批難することが簡単だが、利己的行動を起こす前に一つ考えることで「利己的行動」が、「利他的行動」へと変化していく。
例えば、「自分が心地よいと感じる環境を整えたい」というのは「利己的発想」だが、「自分が心地よいと感じる環境とは、どんな環境でどのような人たちが関わっているのだろう?」と視点を変え、「関わっている人たちも心地よい環境になれば、もっと素敵だな~」と発想を広げていく。このような少しだけ視点を変え、発想を転換することで「利己的」だったモノ・コトは、「利他的」に発展をしていく。

そのために必要なことは、やはり「余裕」と「教養」ということだろう。
今私たちが考えなくてはいけないのは、「利己的行動」をいかに「利他的行動」へと変えていくのか?ということではないだろうか?