「新型コロナウイルス疲れ」という言葉さえ、見られるようになってきたこの頃だ。
今の生活者の気持ちを、よく表している言葉だと思う。
ただ「新型コロナウイルス」という言葉を目にするようになってから、状況が好転しているどころか悪い方向へと向かっている、ということは毎日のニュースなどで感じているのではないだろうか?
昨日、政府案として「一人当たり10万円の現金支給による、経済対策」が、あっけなく取り下げられた。
取り下げられる前には、麻生財務大臣の「現金で支給されると『箪笥貯金』になってしまうので、商品券」という案まであったようだが、こちらもの案も無くなってしまった。
富裕層もそれなりに納税しているのだから、生活困窮者だけを対象とするのは「公平ではない」等の意見もあったようだが、このような発想が起きるのは、この「経済対策案」が「消費を促すことによって、経済をよくしていこう」という、発想があるからなのでは?
今の問題となっているのは、リーマンショックの時のような「経済対策」ではないはずだ。
何故なら、今の「感染拡大」によって職を失いそうになっている人、企業経営が厳しい状況になっている人がいることに対しての「経済対策」が、必要だと思うからだ。
一昨日エントリしたEUなどの「経済対策」等は、まさに今回の「新型コロナウイルスの感染拡大」によって、生活困窮者に転落してしまう人や、経営が厳しくなってしまう中小零細企業など「資本の基盤が脆弱な事業体」を対象としている。
その考え方の違いが、「経済対策」の発想の違いとなっているのだ。
だからこそ、メディアを含め安易に「消費」という言葉を使うのは、いかがなものだろう?
朝日新聞:居酒屋閑散、世の中は変わってしまった 急冷の消費現場
「消費拡大」ではなく、まず医療者をサポートする人員を増やす為の経済対策が必要だろうし、医療品の増産の為の人的・費用のサポートが必要だろう。
他にもエンターテイメント関係が、どんどん中止・延期を余儀なくされていることを考えれば、そのような関連事業に対する支援も必要だと思われる。
この記事ある居酒屋さんなどに関しては、金融機関に対して「貸しはがし」などの禁止を通達のほうが優先されるのでは?
と同時に、このような想定外(少なくとも、昨年暮れにはこのような状況になるとは想像していなかったはずだ)の状況になった時、国として伸ばしていく必要があると思われる事業に投資することも、「経済対策」の一つかもしれない。
「経済対策」は「景気対策」だけではない。
今起きている問題により、一番困っている人や企業、そして何に困っているのか?ということを、把握することから「経済対策」を立てていかなくては、「赤字財政」という既に傷んでいる日本経済をより悪化させることになる。
耳障りの良い「国民受けしそうな言葉」で、「経済対策」という時代は、既に終わっているのではないだろうか?