ロックバンドのKing-Gnuのヴォーカル・井口理さんが、「文化庁長官の声明に失望した」という趣旨のtweetをご自身のアカウントでされている。
Businessinsider:文化庁長官の”ポエム”に失望も。「補償なき自粛要請」が文化芸術の灯を消す
このtweetがメディアで取り上げられると、ネット上では「今は、そんな時期ではない」というコメントが見られる。
ネット上でのコメントも、「もっとも」と思うこともある。
何故なら、今の社会状況は「マズローの欲求の階層」の中でも、一番下にある「生きていく為の欲求」が脅かされている、と感じる生活者が多いからだ。
残念ながら、文化やエンターテイメントは「マズローの欲求の階層」の中では上位に位置する欲求で、「生きていく為の欲求」が満たされ、生活の安全が確保されたうえで初めて、人は享受できるものだ、と感じているモノだからだ。
逆説的な言い方になるが、このような時だからこそ「文化やエンターテイメントは、人の心を潤す為に必要なモノ」、ということになる。
海外では、様々な「基金」に寄りサポートをしていく、などの提案がされているようだが、おそらく日本と欧米での「文化の成り立ちの違い」によるところが、大きいのでは?と考えている。
というのは、欧州では「芸術文化」の支援者(=パトロン)となってきたのは、ほかならぬ王侯貴族であり、現在の王室だからだ。
かつてのような政治力は無いかもしれないが、王室とのかかわりが深いことで「基金」等が創設しやすい、という環境にある、ということは十分考えられるだろうし、過去の大戦などで破滅的な状況に陥った経験などから「文化を守る意義」ということを、社会全体が共通理解をしている、という部分もあるのでは?と、考えている。
米国の場合、王侯貴族がいない代わりに「富裕層」と呼ばれる人たちが、支援者となり支えてきている。
今のトランプさんには、そのような期待はできないがかつて「○○王」等と呼ばれた、企業家たちの多くは「社会的、文化的支援をする」ことが、社会的ステータスであり、社会から認められる手段でもある。
しかし、日本では時の権力者に保護されてきた文化は、ほとんどない。
おそらく「能」くらいだと思われるが、それも安土桃山時代くらいまでの話で、今のような様々な芸術文化を支えてきているのは、市民と言っても過言ではないと思う。
例えば、倉敷の「大原美術館」や京都の「細見美術館」等は、明治の事業家たちによって創られている。
ブリジストン美術館などもそうだろう。
音楽ホールとして世界的に高い評価を受けている「サントリーホール」も、同様だ。
その最大の支援者である市民の生活が脅かされている、という現状では、政府の補償をするという発想は生まれにくい、と言ったほうが良いのではないだろうか?
だが、あくまでも「音楽」という部分だけになってしまうのだが、日本で唯一音楽によって利益を上げている団体がある。
それはJASRACだ。
これまでJASRACの活動に対して、批判的な指摘が多かった。
特に「音楽教室に対する徴収」という問題は、多くの生活者からの批判を受けながらも、自分たちの正当性を主張し、勝ち取っている。
とすれば、今回のような「自粛」によって、ダメージを受けるのもJASRACなのだ。
次々とライブ公演が中止となり、カラオケのような「3密」環境での利用自粛は、JASRAC側にとってもある程度の痛手となるはずだ。
もっとも彼らは、ストリーミングなどによる収益割合が増えているので、そのようなことは考えていないだろうが、今のような時期だからこそ、ストリーミングチャートの上位を占めるバンドの声を、真摯に受け止めてほしいのだ。
何故なら、彼ら自身の音楽活動そのものが、危機に瀕していると、訴えているのだから。
多くの方が感じていると思うのだが、JASRAC側はこのようなミュージシャンの声には全く興味がない、ということは想像できるし、利益の再配分をすることで、自分たちにも大きなメリットがある、などという発想を持ち合わせていないだろう、とは思っているが、あえて言いたいのだ。
「あなたたちが、『日本の音楽文化を支えている』と自負しているのなら、今こそ音楽を創り出す人達を支えるべきではないか!」と。