昨夜、突然ネットニュースに登場した感のある、「2020東京オリンピック開会式」での差別的な演出問題。
日経新聞:五輪開会式の演出統括役が辞任 女性タレントの容姿侮辱
演出そのものは、アイディア(というようなモノではないが)時点で、批判があり中止となったので、世界に向け批難されるようなことだけは、避けられたということになると思う。
ただこの騒動が表面化する前の昨年暮れ、オリンピックの開会式などの演出監督をされていた狂言の野村萬斎さんをはじめとする関係者が、退任するというゴタゴタがあったことは記憶にあると思う。
日刊スポーツ:野村萬斎氏「苦渋の決断だが納得した」旧体制の解散
体面上「退任」ということになってはいるが、本来であれば昨年夏に向けて準備などが進み、年末には終わっていたはずの「2020東京オリンピック」の開会式だ。
ということは、いくら「簡素化するため」という理由であっても、それなりの費用をかけ準備をしていたはずなのだ。
それが、昨年暮れに唐突に「退任」という報道に、違和感を感じていたのは、私だけではないと思う。
それとも、昨年夏の開会式とは違う演出をこの期に及んでする、と考えていたということなのだろうか?
記事には「新型コロナ」の感染拡大により、開会式を簡素化するためということのようだが、これまで準備しきてきた内容を一新するよりも、演出の中で簡素化できるものを見直し、規模を縮小する等を組織委員会側はしていたのだろうか?
改めて演出プログラムを作り直す、ということは逆に費用面ではコスト高となるはずだが、そのような検討はされたうえでの話だったのだろうか?
そのような経過があった上での、今回の佐々木氏の発言を知ると「簡素化」という言葉は、組織委員会として都合が良かっただけの言葉の様に思えてくるのだ。
今回問題発言をした電通の佐々木氏だが、元々CMプランナーとして活躍をされてきた方だ。
長い間好感度が高いCMとして支持されてきた、Softbankの「白戸家」のシリーズやJR東海の「そうだ京都いこう」等の制作に携わってきたという広告マンとしての実績が、十二分にある人物でもあったはずだ。
ご存じのように広告表現は、その時々の時代を反映する表現がされている。
ビジュアル的に面白かったり、綺麗なだけでは広告としての役目を果たすことはできない。
今はそれに加え、「差別的表現」に対してもとても敏感になっているはずだ。
何故なら、受け手となる生活者が「差別だと感じた瞬間」から、SNSなどを通じて一気に炎上してしまうからだ。
そのようなコトが十二分にわかっているはずの佐々木氏が、打ち合わせの席とは言えあのような発言をしてしまう、とすればこれまで佐々木氏が携わってきたCMそのものが、佐々木氏ではなくスタッフが優秀であったがためにできたCMの様に思えてしまうのだ。
佐々木氏は「ノリで言ってしまった」と言っているようだが、だとしたら電通という企業は日ごろから「起用するタレント」さんたちをそのように見ているだけではなく、どこか人を蔑んでいる企業文化があると感じてしまうのだ。
今回の佐々木氏の発言から、もしかしたら野村萬斎さんなど当初演出を担当する予定となっていたチームの方々は、組織委員会やオリンピックの運営に関わっている、電通の態度に嫌気がさしたのでは?という、気がしてくるのだ。
表面上は上手に取り繕っていても、言葉の端々から感じられる人の考えなどは、ある意味本音の部分でもある。
そのような「本音」を感じ取り、「この人達と一緒に仕事はできない」という判断をし、退任をされたのであれば、一連の騒動には納得がいくのだ。
電通という企業は、本質の部分ではまだまだ「鬼の十訓」や「戦略十訓」等「昭和のモーレツサラリーマン(完全に死語だと思うが)」思考が生きているのに対して、侮辱の対象となったとされる渡辺直美さんは、既にグローバルな場所で活躍する足場を作られているのだな~と、感じたのだった。