先週末、岸田首相のスピーチライターなども務めていた首相秘書官を、岸田首相が更迭した。
更迭した理由は、ご存じの通り「LGBTQの人たちに対する発言内容」が、問題になったからだ。
オフレコという場面でありながら、更迭にまで及んだのはやはり早い収拾、という考えがあったからだろう。
ただ、この秘書官の発言報道の前に、岸田首相自らが「(同性婚で)社会が変わってしまう」という発言をした、と報道されている。
朝日新聞:同性婚「社会変わってしまう」首相発言に専門家「差別肯定と同じ」
発言そのものは、時間的前後があるかもしれないのだが、岸田首相自らも「LGBTQ」という人達に対する差別的な発言をしている。
秘書官を更迭して、自分はどうなの?という、疑問を持たれる方もいるのではないだろうか?
そもそも、今の自民党に限らず政党の多くが、この「LGBTQの問題」に対して積極的に取り組んできたのだろうか?
メディアの扱いはどうなのか?
メディアに関していえば、「LGBTQ」の人たちを取り上げる時、半ば興味半分のような取り上げ方をしてきたのでは?という、印象を持っている。
日本の社会が「LGBTQの人たちを受け入れる準備ができていない」とは、思わない。
例えば、故橋本治氏は「性のタブーのない日本」という本を書かれている。
社会として「性に対する大らかさ」のようなものは、日本の文化の中にあったのではないだろうか?
もちろん、個人の考えとして受け入れ難いという方がいても、おかしくはない。
「人権」という視点で考えれば、「個人として当然守られるべきこと」だ。
同じように「LGBTQ」だからと言って、非難されるような事があってはならないと思う。
何故なら、上述したように「個人」に関わる問題だからだ。
「LGBTQ」の志向を持った人は苦手、ということもまたとても個人的な事なのではないだろうか?
それを、政治的な話にしてしまうことで、この問題が難しいものにしているのでは?という、気もしている。
法律として「同性の婚姻を認める」ということは、「人権」ということと結びつく問題なので、それは認められるべきだろうし、極論を言えば同性婚や事実婚であっても、特別養子を受け入れる家族とするということになれば、岸田首相の発言意図とは違う意味での「社会が変わる」ことになるかもしれない(勿論、養子縁組をする際には厳しいチェックは必要だと考えている)。
それは「様々なカタチをした家族が当たり前の社会になる」ということだからだ。
そのような「家族形態の多様性」が社会から受け入れられる事で、多様な価値観や寛容性が生まれる可能性はある。
問題を解決するためには、「政治課題」とするより前に社会の固定観念を壊すような事が必要な気がする。