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森喜朗という、政治家に縋った?安倍派

2023-12-14 14:38:19 | アラカルト

今日、木曜日は「文春」と「新潮」という、一般誌が発売される日だ。
勿論、新聞にもこの2誌の広告は掲載されている。
その広告を見て、「森元首相」という言葉がどちらにもあったことに、今回の「パーティー券裏金づくり」が数年前からではなく20年以上前から始まっていた事。
そして、ご自身の相次ぐ失言により内閣支持率を大幅に下げ続け、退陣後も自民党内での発言力が衰えなかった理由が、わかった気がしたのだ。
文春や新潮の記事ではないのだが、集英社のサイトにわかりやすいWeb記事があった。
集英社:<裏金問題・迫る特捜部>会長も不在、ポストも失い、安倍派は崩壊へ…”裏ボス”森喜朗元首相は「施設に入るので」と雲隠れ?・・・

まず整理をしておくと、安倍派と呼ばれる派閥は「清和政策研究会」という名前で、始まりはその名前の通り「清廉な政治を目指す政治研究会」だったようだ。
その「清和政治研究会」の会長の一人が、森本首相という訳だ。
安倍元首相の前の会長は、先日亡くなられた細田博之元衆議院議長で、その前が森元首相ということになるようだ。
そう考えると、自民党の中でも最大派閥と言われることに、納得する部分もある。
自民党内の要職だけではなく、内閣でも要職に就いている人物を輩出しているのが「清和政治研究会=安倍派」だからだ。

歴任の会長の中でも、森元首相は異質な存在ということになる。
在任中、保守系の新聞社の一つである讀賣新聞の2001年2月の内閣支持率調査で、(前代未聞の)8%台にまで落ち込む、という記録を残しているからだ。
岸田首相が「内閣支持率危険水域」と言われていても、まだ20%台だったと思う。
一桁の支持率だった内閣というのは、後にも先にも森首相だけだったような記憶がある。

有権者からの支持率は、それほどまでに低いのに自民党内で圧倒的な力を持っていたのは、もしかしたら「潤沢な資金」があったのでは?ということなのかもしれない。
その「潤沢な資金」の源泉となったのが、今回の「パーティー券裏金づくり」という手法だったとすれば、一連の大きな流れのようなモノが分かるような気がしたのだ。

この「清和政策研究会」を立ち上げたのは、故福田赳夫元首相だった。
ロッキード事件等で揺れる自民党の中で、故三木武夫首相が登場し政治の清廉性を打ち出したのだが、党内での力が弱く早々に退陣。
その退陣の急先鋒となったのが、故福田赳夫元首相だった(と、記憶している)。
その故福田赳夫元首相の下に集まった当時の若い政治家たちが、ここ20年余り自民党=日本の政治の中心であった、ということを考えれば、政治家としての個人的能力ではなく、派閥と呼ばれる「組織の力」を後ろ盾にして、首相や要職に就いていた政治家ばかりであった、ということが分かる。

その中でも集金力があり、声の大きな(発言権があるというだけではなく、声そのものも大きい)森喜朗氏に、縋り続けることになった自民党、ということを考えれば、「選挙に勝つ」ことが最優先であった、ということが何となくわかるような気がするのだ。