昨年、世界最大の英語辞典「オックスフォード」が、2016年の単語として選出した言葉が、今日のタイトルだ。
朝日新聞:今年の単語に「ポスト・トゥルース」英辞典が選定
記事中にもあるように「世論形成において、客観的事実が、感情や個人的信念に訴えるものより影響力を持たない状況」という、意味を持っている。
なんとなく分かるような、分かりにくいような・・・説明だが、どうやら「客観的な事実よりも、自分の考えや思考が同じ人に同調しやすく、信じやすい。それが社会を動かしている状況」ということらしい。
この言葉で昨年起きた、いくつかの出来事を思い出した。
例えば英国のEU離脱。
この時、離脱派は「EUに支払っているお金が、英国内の医療福祉に還元」という、公約を謳っていた。
ところが、離脱が決まった直後に、公約撤回をしてしまったのだ。
離脱を支持した人からすれば、「はしごを外された」ような感じだろうか?
米国のトランプ氏が次期大統領に決まったことも、同じことが言えるかもしれない。
自分たちの持っている不満に同調し、解決をしてくれるのではないか?という期待感が、客観的な事実や情報から得られたはずの思考を停止させてしまった、ということのように思えてくる。
本当に、トランプ氏がその期待に応えられるか、疑問な気がするのは決して私だけではないと思う。
もう少し、英語本来の意味である「真実はあまり重要ではない」と、解釈すると実は今現在の私たち自身が「Post-Truth」という状態に陥っている可能性がある。
それはネット上などで飛び交う、様々な情報だ。
ネット上に飛び交う様々な情報ほど、「玉石混交」だということは十分わかっていても、つい自分にとって有利な情報や、共感できる情報に飛びついてしまいがちだ。
自分にとってあまり好ましくないと感じられる情報は、「見て見ぬふり」をしてしまうというのは、多くの人が経験していることだと思う。
それがすべて悪いとは思わない。
それよりも問題なのは、飛びついた情報を考える、という「思考する」ことを止めてしまうことだと思う。
ここ2,3年ブームになっている心理学者のアドラーは「決めるのは、あなた自身です」と、言っている。
私たちは、様々な場面で「決断」をしている。
些細なコトであっても、「自分が何をしたいのか?何をすべきか?」ということを考えて、決めているはずなのだ。
それが、自分の事だと感じられなくなると、人にゆだねてしまう傾向がある。
なぜなら、そのほうがラクだからだ。
その「ラク」が、真実から目をそらし、思考を停止させている」のであれば、社会は良い方向へは向かわないという気がする。
社会全体が、「思考停止のラクな方向へ向かう時」、人は不寛容になり利己的な社会になっていくからだ。
そんな社会は、多くの人にとって生きにくく辛いはずなのだが・・・。
ここ1,2年私が感じている「嫌な感じ」が、「Post-Truth」ということなのだと気づいたのだった。
何かと話題を提供している、米次期大統領のトランプ氏。
「最大の雇用を生み出す大統領になる」と、記者会見で話されたようだ。
ただその記者会見も、自分の分が悪いとなると話をすり替え、相手を攻撃するの繰り返しだったようで、大統領選の頃から「次期大統領」としての認識に疑問を持ったメディアがいまだに多いという話も聞いた。
そのトランプ氏の考える「雇用政策」とは、どのようなものなのだろう?
このところ米国企業、日本企業を含めTwitterで攻撃された企業の多くは、いわゆる製造業が中心だった。
「海外に生産拠点を作るなら、高い関税をかけて米国内で売れないようにしてやる!」風な、Twitterのせいで名指しされた企業の株価が大幅に下落。
結果、名指しされた企業は、海外での生産工場の建設中止や新たな米国内での投資を発表するコトになった。
一連のトランプ氏の発言を聞いていて、思い浮かんだニュース映像があった。
1980年代、日本の製造業が米国で市場を拡大していた頃だ。
米国内での製造業、特に自動車産業は日本の自動車メーカーの市場拡大で、窮地に追い込まれていた。
当然、米国の自動車産業に携わる労働者にとって、日本の自動車メーカーは「憎い」という思いが生まれていた。
そこで、日本の自動車をハンマーなどで叩き壊す、というパフォーマンスが米国各地で頻繁に行われたのだ。
それが家電メーカーにも飛び火し、日本の家電製品もハンマーで叩き壊される、というニュースを見た記憶がある。
それから30年余り。
日本の自動車メーカーだけではなく、家電メーカーも米国に進出し、それなりの雇用を米国内で生んだはずなのだが、立ち遅れた地域がトランプ氏の支持地域と重なる。
しかし30年前のような「製造業」で、雇用を創出するというのは、難しいのではないだろうか?
というのも、製造業そのものがオートメーション化が進み、人の手を必要としなくなりつつあるからだ。
むしろ、これまで製造業の現場の仕事に携わってきた人たちの、新しいスキルを身につけさせるようなプログラムが、必要なのでは?という、気がしている。
実際、今の米国内の平均賃金で、様々な製品を作ろうとすれば、相当高価な商品になってしまうのでは?
とすれば「製造業」中心の雇用ではなく、ITなどの「ソフトウェア産業」や「バイオテクノロジー」等の分野での雇用創出を考える必要があると思うのだ。
そのためには、それなりの「新しいスキル」が必要になる。
その視点無しで「雇用の創出」と言っても、無理があるような気がするのだ。
果たして、トランプ氏はどのような「雇用創出」を考えているのだろうか?
少なくとも、今日の記者会見では具体的な方策は語られず、大統領選での話の繰り返しだった。
具体的な方策を近々に聞いてみたい。
なぜなら、日本にどのような影響を及ぼすのか?で、今年の日本経済の動向が変わってくると想像できるからだ。
昨日、キネマ旬報が、2016年公開映画のベスト10を発表した。
キネマ旬報:2016年 第90回キネマ旬報ベストテン
今回日本映画部門で1位に輝いたのは、「この世界の片隅に」だった。
この選出に、意外に思われた方も多いのではないだろうか?
昨年の大ヒット映画と言えば、「君の名は。」だった。
興行収益や観客動員などを考えれば、「この世界の片隅に」を遥かに上回る数字をたたき出した映画だったはずだ。
キネマ旬報そのものが、ヒットした映画だからベストテンに選出しない、という傾向は以前からあったものの、ベスト10外というのは、やはり意外な気がした。
今回1位となった「この世界の片隅に」という映画については、拙ブログでも以前紹介したことがあるので、ご存じの方も多いと思う。
映画製作費の一部を「クラウドファンディング」で集め、瞬く間に資金集めに成功した。
その後、海外での映画公開の為に、再び「クラウドファンディング」により、募集をしたところ前回よりも早い速度(というべきか?)で資金を集めた。という、これまでとは違う「資金調達」の方法で、映画製作をし公開をしてきたアニメ映画だった。
もう一つこの映画の特徴的だったことは、「君の名は。」のような封切映画館の数では無かったことだった。
単館の63館で公開が始まった上映館は、177館にまで増え、上映館が増えるに従い興行収益も増えていっている。
公開が11月13日だったコトを考えれば、急激に上映館が増えたことになる。
実は、この上映館が増えた(=観客動員が増えた)理由の一つに、TwitterなどのSNSによる反響が大きかった、と監督の片渕須直さんは、あるインタビューで答えている。
朝日新聞WEBRONZA:映画『この世界の片隅に」片渕須直監督に聞く
映画ではないが、昨年ヒットしたドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」も、TwitterなどのSNSによる「口コミ」が、新たな話題をつくりヒットをしたのでは?という気がしている。
第1回の放送から、右肩上がりで視聴率を伸ばし、昨年の「秋ドラマ」の満足度1位というだけではなく、録画視聴などでも、圧倒的な強さを見せたドラマだった。
最初話題になったのは、エンディングで流れる「恋ダンス」だった。
その「恋ダンス」がSNSで話題になり、「恋ダンス」見たさにドラマ本編を見たらハマってしまった・・・という、普段ドラマを見ない若者層を中心に、広がっていったのでは?という、気がしている。
実際、「逃げ恥+Twitter」で検索をすると、若者を中心に「恋ダンス」映像が数多く見るコトができる。
高校のダンス部から友達同士で楽しんでいるものなど、実に様々だ。
「この世界の片隅に」も「逃げるは恥だが役に立つ」も、素晴らしい脚本や原作、監督の力、配役の妙などがあり、作品そのものが素晴らしいことには違い無いのだが、今はそれだけではヒットする時代ではない。
やはり「社会現象化」するほどのヒットを生み出すとなると、作品の良さ+αが必要になる。
その+αとなったのが、Twitterを中心としたSNSなのだ。
その理由として考えられるのは、Twitterなどの「即時性」だろう。
片渕監督もインタビューで、「以前は、話題になったとしても観客の動きなどは、1日以上かかっていた。それが午前の反響が、午後に反映されるような状況が続いていた」という趣旨のことをインタビューで話している。
情報量が多くなっている今、情報量の多さに埋没しないためには、常に「新しい情報」が発信される必要がある。
その情報発信の主役は、制作者側である必要はない。
むしろ、制作者側主導の情報発信よりも、同じ情報を共有している「仲間」からの情報のほうが、支持される場合がある。
それが「共感性のある口コミ」の力なのだ。
製作者側はむしろ「共感性のある口コミ」をフォローするコトで、より共感性を高めるコトができた・・・というのが、この2つの作品のヒットのような気がしている。
今日、トヨタが1兆円を超す投資を米国で行う、という発表をしている。
毎日新聞:トヨタ 米に1.1兆円投資 トランプ氏にらみ、重視を強調
このトヨタの投資発表の背景には、トランプ氏がメキシコに新工場を予定しているトヨタに対して「関税を高くして、米国へ輸入できなくしてやる」という趣旨のTwitterがあったからだろう、ということは案に想像がつく。
トランプ氏の同様のTwitterを使っての威嚇(?)は、トヨタ以前にフォード・モータースにも行っている。
とにかく、南米を中心に新工場を建設しようとする企業に対して、Twitterで批判を繰り返している。
その結果、批判された企業の株価が下がるなどの影響があり、新工場建設の見直しや米国内での投資を企業が表明をする、ということになっている。
南米を中心に新工場建設を中止し、米国内での雇用に結びつけるのは良いことなのか?というと、やや疑問に感じるところがある。
その理由の一つが、「人件費」の問題だ。
南米に比べ、米国の人件費は高いはずだ。
当然、人件費の高い国で生産される商品は、高い商品になってしまう。
高い商品であっても、米国内での雇用が確保されていれば、それなりに経済が循環する、ということなのかもしれないが、それで海外との競争力が保てるのだろうか?
確かに、トランプ氏の基本的な経済政策は「超保護主義」だ。
「アメリカンファースト」とトランプ氏は言っているが、その実「トランプ氏支持層ファースト」という政策でしかない。
何より、経済的に成熟した米国で、製造業を中心とした雇用の創出というのは、果たして得策なのだろうか?
個人的な印象なのだが、トランプ氏の考える経済は製造業中心であって、他の産業の事はあまり考えていないのでは?という、気がしている。
しかも、自分の意思を伝えいる手段としてTwitterを使っている、という点でもある種の「責任のなさ」のようなモノを感じるのだ。
実際、日本経団連の榊原会長は不快感を表明している。
日経新聞:経団連会長「ツイッターは政策発表の場ではない」
今現在のトランプ氏の立場は、「次期大統領候補」であって、「現大統領」ではないのだから、どのような場で発言しようと自由と言えば自由なのだが、自分の発言の社会的、経済的影響を考えると、もう少し慎重である必要があるように思う。
それでもトランプ氏が積極的にTwitterを利用するのには、理由があると言われている。
それは大統領選で、厳しい態度を示していた大手メディアに対する不信感だ。
大手メディアは、ハッキリとではないが「ヒラリー氏圧倒、次期大統領はヒラリー」というニュアンスの報道をし続けていた。
そのため、自分の言葉や考えを伝えるには、直接的に伝わるTwitterを利用している、ということのようだ。
大統領選での大手メディアは、トランプ氏に対して友好的であったとはいいがたい。
それは認めるのだが、自分の思い通りにするための手段としてのTwitterというのは、トランプ氏自身が今置かれている立場を理解していないのでは?とも捉えられる。
となると、ますますトランプ氏支持派以外の人たちからは、疑念や不安ばかりが大きくなるのではないだろうか?
「道具と知恵は、使い方次第」だが、自分の置かれている立場も考えて使わなくては、「威嚇」という相手を不安や疑心暗鬼にさせるだけのような手法のような気がする。
拙ブログでは恒例になった?「お正月広告」。
全ての広告をチェックした訳ではないのだが、今年の「お正月広告」は、「お正月らしさ」を感じるモノが少なかったような印象だ。
コンビニだけではなく大手スーパーもお正月営業が当たり前になり、「お正月」そのものがイベント化してきているのかもしれない。
その中で、元旦には掲載されなかった宝島社の「お正月広告」は、昨年の「平和への動き」を使い、古くて新しいメッセージを伝えていたような気がする。
見ていただいた通りの、真珠湾攻撃と広島原爆投下の「きのこ雲」の写真だ。
そしてご存じの通り、昨年5月にはオバマ大統領が現米国大統領として初めて、広島を訪問し、平和公園でスピーチをした。
そのオバマ大統領広島訪問の返礼(というのだろうか?)として、12月に安倍総理が同じく日本の総理大臣として初めて真珠湾を訪問し、スピーチをした。
第二次世界大戦の始まりと終わり(正確には、長崎の原爆投下後だが)を象徴する出来事で、これで日本と米国の第二次世界大戦は終わったような雰囲気があったことも確かだろう。
しかし、終わったコトよりも大切なコトがある、とこの広告は訴えている。
それが「忘却は、罪である」というキャッチコピーだ。
確かに、第二次世界大戦後、日本は戦火にまみれることなく平和を過ごしてきた。
70年以上も戦争をしていない国というのは、世界でも稀にみる国だともいえる。
だからこそ、今でも世界のどこかで起こっている「戦火に目を向けない」というわけにはいかない、そんな強いメッセージを含んでいる(ように感じる)。
この「忘却は、罪である」という言葉は、世界で起きている戦火だけではなく、もしかしたらもっと様々な出来事を指しているのかもしれない。
例えば、震災発生から今年で6年になる「東日本大震災」。
今だに仮設住宅で暮らしている人は、数多い。
何よりも、東京電力福島第一原子力発電所事故は、まったく収束の目途が立っていない。
それどころか、昨年相次いで原子力発電所が再稼働し始めた。
「本当に再稼働しても大丈夫?」という、生活者の不安をよそに、「経済優先」という言葉で決まった印象が残った再稼働だった。
「忘れる」ということは、人が前を向いて進んでいくには、時として必要なことだろう。
でも「心のどこかに留めておく」という忘れ方のほうが、もっと大事なのかもしれない。
そんなことを考えさせられた広告だった。
朝日新聞のWEBサイトに、ラスべカスで開かれている「家電・技術見本市 CES」の記事があった。
記事として取り上げられていたのは、トヨタ自動車のAI搭載車の初公開だった。
朝日新聞:トヨタ、AI搭載車を初公開 疲れを検知し香るラベンダー
今回発表しているのは、あくまでもコンセプトカーなので、実際街中を走るクルマではない。
そのようなコトは重々承知で、あえて「その発想でいいの?」と、問いかけをしたいと思ったのだ。
というのも、私自身は激しい車酔いをするタイプで、特に車の芳香剤などはクルマが走行していなくても、気分が悪くなってしまう。
余りにも激しい車酔いをすることもあり、自動車の免許取得は向かない!と思っているほどだ。
自分で運転すれば、車酔いはしない!とは言われるが、クルマの臭いそのものが苦手というか、車酔いの一因になっているような気がしている。
高速バスで帰省できるのは、車中ほとんど寝ているからだ。
そのような私から考えると、クルマに癒しの空間を提供するために「ラベンダーの香り」という発想は、ありえない。
少なくとも、運転をしている人だけではなく、同乗者の事も考えての「癒しの提供」ということなのだろうか?
「疲れを検知したら、(フレッシュなマイナスイオンで)車内全体の空気を入れ替える」くらいのほうが、良いのではないだろうか?
実は「香り」というものは、案外好き嫌いがある。
確かに「ラベンダーの香」は、疲れを取る効果があると言われているが、「ラベンダーの香」そのものが苦手という人もいる。
もちろん、運転をする人の好みに合わせた香りを提供する、ということになるという考えなのだろうが、私のように全くダメなタイプもいるのだ。
せっかくAIを搭載しているのなら、もっと違う使い方があるのではないだろうか?
例えば、「疲労を検知したら、減速をして道路わきに車を止める」とか、高速道路上であればSAやPAに誘導し、運転者を(半ば強制的に)休ませるなどだ。
一見すると、「なかなかのアイディア」と思われるコトであっても、実は利用者側から見ると「的はずれ」ということは案外多い。
おそらくトヨタも、「運転中の疲れ」→「癒しの空間の提供」→「香りでリフレッシュ」→「ラベンダー」という発想があったのかもしれない。
しかしその発想は、クルマを運転する人で香りに敏感ではない人を想定した発想のような気がする。
少なくとも私のように、クルマの臭いそのものがダメ!というタイプからすると、クルマの臭いそのものを無くす、という発想のほうが遥かにうれしいし、現実的な気がする。
クルマは運転する人だけではなく、同乗する人の事も考える必要があるのでは?
そのうえで「AIの技術を最大限活かす、快適な運転」という着想が欲しかった。
年の暮れから体調不良が続き、年明けどうやら風邪をひいてしまったらしい。
ブログをアップしようと、PCに向かうのだが考えがまとまらず、そのうち頭痛に見舞われる・・・。
そんな繰り返しの年明けだった。
それでも、今日から「仕事始め」という企業も多く、世間は新しい年に向かい動き始めている。
日経のWEBサイトを見ていたら、「まっとうなご意見で・・・」という記事があった。
しかも発言をしているのは、麻生財務相。
日経新聞:麻生氏「金貸しが金貸さないでどうする」銀行を批判
確かに、銀行の事業の柱の一つは「お金を貸すこと」だ。
身近なところでは、「住宅ローン」だろう。
銀行は、お金を貸すことで利子を取り、お金を儲ける。
貸すお金は、市中の預金者から集めたお金だ。
なんとなく、銀行はお金を預け、利息を付けてもらう所、という認識があるが、それは半分正解でも半分は違っている。
銀行の事業の目的は「お金を貸すこと」で利子を取り、貸したお金を確実に回収するコトにある。
その意味で、麻生さんの発言は正しい。
実際、バブルの頃の銀行のお金の貸出先は、「こんなところにお金を貸しても良いの?」というところにまで、お金を貸していた。
例えば、がけ地のような土地の購入者に対して、購入費用を貸し付けるといった具合だった。
その後、どうなったのかはご存じの通りだ。
以前から「(銀行は)晴れの時に傘を貸すが、雨降りには傘を貸さない」と、揶揄されるコトが多かった。
「必要な時にお金を貸さず、不要な時ほどお金を借りてくれと言ってくる」という、意味だ。
その傾向が、バブルが崩壊してからますます強くなってしまった。
その結果、企業の本業ではない「資産」ばかりに目を向け、「資産」が少ないと判断すると、成長が見込まれそうな事業を展開する企業であっても、お金を貸す(=融資)をしなくなってしまった。
そのコトを、麻生さんは皮肉っぽく言っているのだ。
確かに「資産」があれば、万が一焦げ付いたときでも、資産を取ることで銀行そのものは被害を被ることは少ない。
しかし、今のよう低成長の時代の中で、中小企業などは経営努力をし続けても、厳しい経営を迫らられているコトには、代わりは無い。
まして、今の経済状況を打開しようと考えているような「新規の起業」などは、リスクが高すぎて守りに入った銀行などは、手が出せないというのが、現状だろう。
だからこそ、「クライドファンディング」のような方法が注目され、実際成功するケースも出てきているのだ。
「クラウドファンディング」そのものは、お金を出資する側としてはリスクが大きい。
しかし、「この事業だったら、自分が出資できる範囲で応援したい!」という、理由(というよりも「気持ち」だろうか)で、出資をする人たちが支えている。
もちろん、募集をする側も資金集めのためのプレゼンテーションは、相当磨かれた内容でなければならない。
ただそのような関係が生まれるコトで、プレゼンテーション力が磨かれ、社会を動かしていく力になって言っていることも事実だろう。
このような社会変化に、銀行はソロソロ気づく時期かもしれない。
そのコトを麻生さん流の言葉で、言ったような気がする。
ご挨拶が遅れましたが、今年も一年よろしくお願いします。