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日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

社会が殺伐としてきた。だからこそ「文化」を守る必要がある。

2020-03-12 16:04:03 | アラカルト

ついにWHOが、「新型コロナウイルスパンデミック」化の声明を出した。
BBC News Japan:WHO、新型ウイルス感染拡大は「パンデミック」積極的な対応を呼びかけ

同様のニュースが、NHKでもあったはずなのだが、「積極的な対応」等の表現が抜けているようだ。
そのため、BBCニュースをリンク先とした。

多くの人は「やはりパンデミック状態になったか…」という、感覚のほうが強いのではないだろうか?
というのも、WHOがこの声明を出す前から「パンデミック状態なのでは?」という、懸念する声があったからだ。
だからと言って、WHOの声明が遅すぎたと言い切れないような気もしている。
何故なら、WHOがある欧州と発生源となり急速に感染が拡大したアジアとでは、その危機感が違っていたのでは?と、想像するからだ。
それが、欧州にまで広がり、イタリアでは北部の都市を閉鎖。
アフリカまで感染拡大が確認されるようになってきたからだろう。
日経新聞:新型コロナ感染 世界マップ

このような状況となった時、真っ先に無くなってしまうものがある。
それが「エンターティメント」を中心とする、「文化イベント」だ。
今月初め、「新型コロナウイルス」の感染拡大が懸念される中、東京事変がライブを行い相当な批難があった。
note:堀江氏や椎名林檎の東京事変などのウイルステロの確信犯は「破防法」の調査対象指定団体にすべきである。

個人的には「『破防法』を持ち出すほど、ヒステリックにならなくても・・・」とは思うのだが、このような論調が今の社会にあることは事実だろう。
だからこそ、国からの要請とは言え、様々な音楽イベントが中止や延期となっているのだ。
だからと言って、このままで良いのだろうか?
今主流である音楽イベントの多くは、東京事変のようなポップバンドだ。
都市封鎖となったイタリア北部は、「イタリアオペラ」が生まれたところで、ファンも多い。

音楽をはじめとする「エンターティメント」は、私たちの生活にとって必需品ではない為、このような状況になった時、真っ先に切り落とされてしまう。
そうなると、社会はどんどん余裕がなくなり殺伐とした雰囲気になっていくのではないだろうか?
むしろ、このような時だからこそ、必要なモノのような気がするのだ。
朝日新聞:もう食えない、3月末が限界 危機下で音楽は不要なのか

とはいっても、公演をすることは難しい状況だ。
それでも、アイディアが無いわけではない。
昨年秋、英国のバンド「コールドプレイ」が、「今後はyoutubeでライブを配信する」と、話題になったことがあったからだ。
BARKS:コールドプレイ、環境面で最適な方法がが見つかるまでツアー停止
他にも、ニューヨークメトロポリタンオペラは、映画館での「ライブビューイング」を行っている。
松竹:METライブビューイング:オペラ

今は「サブスプリクション」という、課金システムによって音楽を楽しむ層が増えている。
同様に「サブスプリクション」等によって、以前のものも含め「ライブ配信」という方法もあるのでは?ということなのだ。
音楽ライブに関わる人達は、ステージに立つミュージシャンよりも遥かに多い人たちの力によって、成り立っている。
そのような「黒子」となっている人たちをサポートするためにも、今ある技術を使って「エンターティメント」を届けることが、殺伐とし始めた社会の中では必要だと思うのだ。
それが「文化を守る」ということにも繋がるのでは?と、考えている。


今だからこそ、じっくりと本を読みたい

2020-03-11 19:15:35 | 徒然

9年前の今日の出来事を覚えている方も、多いはずだ。
そして「被災地東北は、復興途中である」という事実を、シッカリと受け止める必要があると思う。
特に「東京電力福島第一原子力発電所事故」は、9年経っても収束の目途がついたとは言えない状況にある。
もちろん、事故によって強制的に避難させられた人たちも、今だ「避難状態」にある。

今、日本社会だけではなく世界中に、激震が走っている。
WHOは「パンデミック」と宣言していないが、中国で始まった感染症「新型コロナウイルス」の感染者が、アジアだけにとどまらず、欧州にまで拡がりつつある。
イタリアなどは、一部の都市を封鎖するようになり、感染者が発見された国や地域は「封じ込め」ようと、必死になっている。

このような状況になると、人の心は大きく揺れ動き、不安が起きる。
不安が起きるだけではなく、社会全体が暗く沈み込む雰囲気となる。
今は様々な文化・芸術が、息をひそめてしまっている。
劇場やコンサート、スポーツ観戦や映画鑑賞など、人が集まる場所へ行けないからこそ、本をじっくりと読むのはどうだろう?

例えば、故池田晶子さんの「あたりまえなことばかり」。
池田さんは、「14歳からの哲学ー考えるための教科書」の著者として、ご存じの方も多いと思う。
この「あたりまえなことばかり」では、生きることや癒し、死ぬということなど、「生きることを考える」というテーマが実に多く書かれている。
もちろん、哲学を基にしているので、難解さを感じるかもしれないが、「難解だな~」と思い・感じることが大切なのだ、ということにも気づかされる。
何より今の私たちは、本来なら「考えること」ところを、「誰かが言った」、「国の決めたことだから」・・・と、誰かに考えることを任せてしまっているような気がする時がある。

「東日本大震災」では、多くの方が犠牲になられた。
その時、いのちが助かった方でも、その後悲しい人生の終りを迎えられた方も少なくない。
そのような人たちいての「復興過程」である、という認識を持つ必要があると思う。
だからこそ、「生きること」「死ぬこと」、「癒し・癒されるということ」を、自分なりに考える時間が、必要なのでは?という気がするのだ。

9年前とは違う状況ではあるが、社会全体が暗く沈みかけている今だからこそ、9年前のことを思い、本を読む時間を大切にし、自分で思考を深める必要があるかもしれない。


日本の経済界は、一体どうしたのだろう?

2020-03-10 20:42:25 | ビジネス

Yahoo!のトピックスを見て、情けなく感じる記事があった。
毎日新聞の「政府がマスクチームを立ち上げた」という、ニュースだ。
毎日新聞:政府が「マスクチーム」 自治体保有分、病院などへの配布調整 新型コロナ

このニュースよりも先に、政府による「マスクの転売禁止」という法令が15日から施行される、というニュースもあった。
東京新聞:マスク転売禁止の政令15日施行 品薄続き、違反で懲役も

あくまでも個人的な思いだが、このようなことは「政府が決める」ことだろうか?
特に「マスクの転売禁止」については、C2Cサイトが「マスクをはじめとする衛生用品の出品を禁ずる」という、文言一つで済む話なのではないだろうか?
それを政令で違反や懲役などという、罰則を設けてまですることなのだろうか?
「新型コロナウイルス」に関する転売問題は、C2Cサイトを運営する側にとっての「社会的倫理観を問われている」という、問題意識の無さが、ここまで問題を広げてしまったのではないだろうか?

これまで日本の企業は「経済優先」と言う言葉を御旗にして、儲けを優先させてきた。
儲けることが悪いことではない。
儲けが出ることによって、その企業で働く人たちへは賃金が払われ、その賃金によって生活や子供の教育に使われ、まわりまわって「お金という血流が巡る」様になる。
他にも、「税」を納めることで実際には企業と関係のない人たちにも、「儲けによって得たお金」が使われるようになる、というのが「資本主義」の基本だと言えるからだ。

しかし、そのような「お金と税が、多くの人に行き渡る」ためには、「企業の倫理観」というものが必要になる。
「企業の倫理観」とは、「公正な商取引を行う」ということだ。
社会で問題になった「マスクの転売ヤー」による、常識を逸脱したようなビジネスに、何故、日本の経済界は「ノー」と言わなかったのだろう?
C2Cサイトを運営する企業に対して、苦言を呈することをしなかったのだろうか?
国が、このような法令を定めるということは、経済界にとって恥ずべきことではないだろうか?

確かに「資本主義経済」は「自由経済」でもある。
「自由だから何をしても良い」というわけではないはずだ。
日本の経済界という世界を牛耳っている方たちにとって、C2Cビジネスは「大したことのない商売」だと高を括っていたのだろうか?
とすれば、残念ながら「今」という社会が見えていない人たちが、日本の経済界を牛耳っている、ということになるのでは?
そう考えれば、バブル経済が崩壊してから30年も経過しているのに、日本経済に明るい兆しが見えてこない理由もわかるような気になってくる。

「自治体保有分のマスクを病院などへ配布」という内容にしても、「市立病院」等はもともと自治体に属していることを考えれば、自治体の首長さんが「保有分のマスクを病院に配布する。市立病院以外についても準じる」という声明一つで、片付く問題のような気がするのだ。

安倍さんは、今回の「新型ウイルス対策」でリーダーシップを発揮している、という気分のようだが、どこか的が外れているような気がする。
ただ安倍さんだけが的外れなのではなく、日本を動かしている人たちのほとんどが「的外れ」な思考で、手柄を立てようとしているように思えてくるのだ。
それはむしろ「恥ずべきこと」なのではないだろうか?


伝え方次第で、印象は随分変わる

2020-03-09 20:32:17 | アラカルト

連日報道される、「新型コロナウイルス」関連のニュース。
本来ならば、トップ扱いとなるはずの国内外のニュースは、一体どこへ?という状況が続いている。

連日一つのテーマに絞ったニュースを見続けていると、社会全体の動きが分からなくなってしまう、ということは無いだろうか?
確かに「新型コロナウイルス」関連の情報は、重要だと思うのだがその伝え方一つで、受け手となる生活者の気持ちは随分違ってくるのでは?という、気がしている。
というのも、連日報道される内容は
①安倍さんの思い付き政策のようにしか思えない、関連法案や政府の指示
②感染者数と死亡者数、発生地域や発生場所
という2点に、絞られているように思えるからだ。

特に②については、感染者数と発生地域や場所の報道では「クラスター」という、聞き慣れない言葉がいきなり使われるようになった。
分析などの仕事をしていれば「クラスター」と聞いて、「あぁぁ、集団とか群れのことね」とわかるかもしれないが、突然聞き慣れない言葉が大量に使われるようになると、その意味も十分に理解できないまま不安を煽ることに繋がるような気がするのだ。
もう少し、情報の受け手である生活者に分かりやすい言葉を使えば、「言葉による不安」は幾分でも解消されるのではないだろうか?
それとも、生活者にとって聞き慣れない言葉を多用することで、何かから「目をそらせたい!」という気持ちが、使う側にあるのだろうか?

もう一つは、感染者数と死亡者数ばかりではなく、無事退院をした人数なども報道すべきだと思うのだ。
死亡者のニュースの時には、亡くなられた方の年齢なども伝えられるが、情報として印象には残りにくいのでは?と、感じている。
「人が亡くなる」ということのほうが、インパクトがあり過ぎて、亡くなられた方の年齢など気に留められないからだ。
そのような場合、グラフや表などで分かりやすく説明をすれば、亡くなられた方は高齢者に多いんだな?とか、既往症があった方なのか?ということもわかると思うからだ。

近代看護の母とも言われるナイチンゲールは、実は統計にも造詣が深かったと言われている。
看護の重要性を周囲に説く為に、ナイチンゲールが多用したのがクリミア戦争における「医療衛生」についての統計だった、と言われているからだ。
ナイチンゲールが周囲を説得したように、統計から見た現在の「新型コロナウイルス」の患者数や入院患者数、死亡者数とその年齢分布、退院患者数とその年齢分布などが、グラフや表となって知らされることで、生活者側が客観的で冷静な判断材料となるのではないだろうか?

今の状況は、国の思い付き政策で動揺しているうえに、聞き慣れない言葉の多用。
何より客観的な統計情報が無いことで、余計に社会がヒステリックになっているように感じるのだ。
「冷静に落ち着いて」というのは簡単だが、「冷静に落ち着かせるために」どのように伝えることが良いのか?という、トコロまで考えた報道や対応策を考えてもらいたい、と思うのだ。


「利他」と「利己」、今求められているのはどっちだろう?

2020-03-08 19:13:19 | アラカルト

昨日あたりから、ようやくトイレットペーパーが近所のドラッグストアーやスーパーで、見かけるようになった。
もちろん今でも「大量購入をしない」等の注意喚起と共に、「トイレットペーパーを含む紙製品は、十分製造されている」という趣旨が、商品棚に張り付けてある。
昨日買い物に出かけた時、すれ違った人の幾人かは、12ロール入りとか16ロール入りのトイレットペーパーを複数買っていた。それらを持って歩くだけでも大変だろうに!と思いながらも、「何故、商品供給が目に見える状態」になっているにもかかわらず、複数個買ってしまうのだろう?と、疑問に思ったのだ。

その最大の理由は「同じことが起きたら大変だ!」という、気がしているからだろう。
先週はどこのスーパーやドラッグストアーに行っても、トイレットペーパーやティッシュペーパーの商品棚は、空っぽだったのだ。
「同じことが再び起こる可能性は、あるはずだ!」という思いが、複数購入する理由になってしまうのだろう。
ただ、1973年のオイルショックに端を発した「トイレットペーパー(および家庭用洗剤)騒動」を経験していると、「同じことが起きる」という可能性は低い、という気がしている。

オイルショックの時とは違い、今回はもともと潤沢に商品そのものがあったにもかかわらず、短期集中の大量購入という、通常では考えられない消費行動によって起こったことなのだ(1973年のオイルショックによるトイレットペーパー騒動は、「原油の高騰により、紙を節約して欲しい」という政府声明が生活者の不安を煽ったのが要因と言われている)。
しかもその「大量購入」の要因となったのは、「デマ」だった。

そのような「パニック購入」という行動に人が出てしまうのは、何故だろうか?
上述したように「また同じことが起きたら大変だ!」という、不安感だろう。
違う言い方をするなら、「安心をしたい」ということになる。
単に「安心をしたい」というだけなら、常識的な数量で納得できるのでは?と思うかもしれないが、今のように「様々な商品が、潤沢にある」という状況しか知らない人たちにとって、「自分のストックが減る」ことそのものが不安なのかもしれない。

「利己的行動」と言って批難することが簡単だが、利己的行動を起こす前に一つ考えることで「利己的行動」が、「利他的行動」へと変化していく。
例えば、「自分が心地よいと感じる環境を整えたい」というのは「利己的発想」だが、「自分が心地よいと感じる環境とは、どんな環境でどのような人たちが関わっているのだろう?」と視点を変え、「関わっている人たちも心地よい環境になれば、もっと素敵だな~」と発想を広げていく。このような少しだけ視点を変え、発想を転換することで「利己的」だったモノ・コトは、「利他的」に発展をしていく。

そのために必要なことは、やはり「余裕」と「教養」ということだろう。
今私たちが考えなくてはいけないのは、「利己的行動」をいかに「利他的行動」へと変えていくのか?ということではないだろうか?


「敵の正体を知る」ことから、対策を考えたい

2020-03-06 16:53:51 | 徒然

昨年買った、仲野徹先生の著書「(あまり)病気をしない暮らし」という本を、読み直していた。
読み直す切っ掛けとなったのは、以前読んだときに、気になった箇所があったからだ。
それは「風邪とインフルエンザ」について、書かれていた箇所だ。

これまで「新型コロナウイルス」という感染症に対して、インフルエンザの類なのか?それとも全く新しい感染症なのか?という「正体不明」の状態で、報道されることが多かった。
確かに、感染拡大のスピードはインフルエンザよりも早いような気がするし、対応策そのもの情報も錯綜していたように思う。

今や世界中の「感染病研究機関」では、「新型コロナウイルス」のDNAを分析し、ワクチンや治療薬の研究が一斉に進められている。

日本では、大阪大学が民間企業と共同でワクチンの開発を始めている。
ミクスon-line:大阪大学とアンジェス 新型コロナウイルス予防DNAワクチン開発へ

治療薬としては、武田薬品が治療薬の開発に着手した、という報道もある。
ミクスon-line:武田薬品 新型コロナウイルス感染症治療薬に着手 免疫グロブリン製剤年内上市目指す

しかし、私を含め「新型コロナウイルス」という感染症とは、「正体は一体何だろう?」と、疑問に思っているのではないだろうか?
これまで報道されている症状を見ると、風邪のようなインフルエンザのような・・・???という、印象があり、「新型コロナウイルス」という、「ウイルスの正体が分からない」という印象を持っているのではないだろうか?

改めて読み直してみると、風邪を引き起こすウイルスの種類は数多く、「コロナウイルス」もその一つだという。
その「コロナウイルス」に「新型」が付いていているので、おそらく「コロナウイルス」の進化系ということになるのでは?と、想像している(あくまでも私の想像であり、医療者の見解ではない、という点はご理解いただきたい)。
風邪そのものの決定的治療薬が無い、と言われていることを考えると、今回の「新型コロナウイルス」の決定的な治療薬が無い、というの頷けるような気がした。

ワクチンや治療薬開発への期待は大きいが、「とにかく、今の状況を何とかして欲しい!」というのが、生活者の思いだろう。
いくら「新型コロナウイルス」の感染検査が保険適用となっても、検査ができる病院が限られていることや、重症化した患者さん優先が検査対象ということを考えると、「検査を受けなくても良い=軽症状態」で乗り切る方法しかないのでは?という気がする。
上述した通り「新型コロナウイルス」は、風邪を引き起こす「コロナウイルス」の進化系だとすると、予防策として考えられるのは「風邪の予防策」ということになる。
もし万が一感染してしまった場合も、風邪の初期症状の対応策が、優先されるのでは?とも考えられる。

そして医療者から発信される「慌てないで、家で休む」等と言われても、「新型コロナウイルス」というウイルスの正体が分からないことから、医療者からの情報そのものに疑心暗鬼となっているように感じるのだ。
「不安の正体を知ることで、対策は立てやすくなる」とは言われているが、「新型コロナウイルス」の正確な正体=DNA分析によって判明する情報も重要だと思うのだが、医療者が「家で休んで、人との接触を避ける」という、風邪と同じ対応策を言う時に、「風邪を引き起こすウイルスの中に『コロナウイルス』があり、その進化系だと考えられているので、まず、家でゆっくり休み、英気を養うことが重要です」と説明をするだけで、生活者の受け止め方は随分変わるのではないだろうか?

「日本の医療者は、生活者に対して伝えることが上手くない」、と日ごろから感じているのだが、このような時こそ「平易な言葉で、不安を取り除く伝え方」ということが、「正体を知る切っ掛けとなり、対策も立てやすい」のでは?と、思うのだ。


台湾ができて、日本ができない「新型コロナウイルス対策」

2020-03-04 20:50:17 | 徒然

先週の土曜日にあった安倍さんの「新型コロナウイルス」に対する会見。
その会見を見た方の中には、「何故、台湾でできた対策を日本はできないのか?」という、疑問を持たれた方も少なくなかったと思う。

今回世界が注目している「新型コロナウイルス」に対する台湾の対応は、迅速かつ的確であった、と言われている。
その理由の一つが、SARSが流行した時の対応の遅れなどによって「感染症対策の失敗」を経験したことで、感染症対策の初期対応の重要性を認識していた、と言われている。

であれば、日本はSARSの時の対応はどうだったのか?という疑問が出てくる。
既に記憶の遠い彼方にあるのだが、政府がまず行ったことは「空港などでの熱感知器などを使った発熱者の発見」だったような気がする。
その後、高校生の感染が発覚したため、その地域の高校が休校になったが、休校になった高校生が逆に街中に出かける、ということがあった。
ただ、その後具体的にどのような対策をし、収束に向かったのか?ということが、思い出せずにいる。
政府から「安全宣言」のような発表があったのかも、定かではない。
なんとなく「ウヤムヤの内に収束した」という印象なのだ。

これまでの経過を見てみると、台湾が活かした「SARSの経験」というのは、「国民に不安を与えない対応策」という一点だったのでは?という、気がしているのだ。
それが分かるのが、日本でも騒動となった「マスクの販売」だ。

台湾では、いち早くマスクの購入に制限をかけ、購入時には身分証明の提示を求めるなど、相当厳しい対応を国民にしていた。
もちろん、転売などはさせないようにしていたようだ。
それだけではなく、「今どこにどれくらい在庫がある」という情報を、ネット上に公開するなど「現実に在庫はあり、買い溜めをしなくても大丈夫ですよ」という情報発信を積極的にしていた。

一方日本の政府の対応は、連日感染者数と感染地域、死亡者の発表が中心で、むしろ不安を煽るような情報発信が中心だったのではないだろうか?
確かに、「ダイヤモンド・プリンセス号」のような客船が停泊していた、ということもあり、一般市民への対策が遅れたのは仕方ないのかもしれないが、それでもモヤモヤした気分になってしまうのだ。

メディアが大々的に「マスク売り切れ(トイレットペーパー売り切れなども含む)」を画像付きで、報道したためにマスクのパニック買い」に拍車をかけた、という指摘もあながち間違ってはいないと思うのだが、このような状況になっても政府からのアナウンスは、ほぼ皆無だった。
いくら「在庫はあるから大丈夫」と国がアナウンスしても、現実に生活圏内のドラッグストアーにはマスク(やトイレットペーパーなど)は無く、「無い」という事実が余計に不安を与えるような結果となってしまったように思うのだ。
「マスク(やトイレットペーパー)が無い」と言って、パニック衝動買いをするのは、個人の問題かもしれないが、国や政府が「生活者の不安を取り除く」という、努力をしていたのか?というと、甚だ疑問だ。

そこへ、安倍さんの唐突思いつきの「小中高校の全国一斉臨時休校要請」だ。
生徒たちも学校側も準備ができていない状況では、「どうしたらよいのか?」という不安ばかりが先立ってしまうのは、当然のことだろうし、後付けのような政策を言われても、信頼度は低くなる。
多くの関係者は「今更、思いつきの正当化は、止めてほしい」という気がしているのでは?

結局のところ、日本と台湾の大きな違いは「国が国民に向いているのか?いないのか?」ということだろう。



安倍さんの強さは、「考えない」ことだけではなかった

2020-03-02 17:29:10 | 徒然

一昨日の夕方、官邸であった安倍首相の「新型コロナウイルス対策」についての会見。
この会見については、大批判が出ている。
特に、事前に記者からの質問内容が安倍さん側に伝えられており、その内容についての回答はしたものの、それ以外の質問を指定された3社以外のメディア企業から手が上がると、サッサと「時間がないので」と言って、強引に打ち切ってしまったことなどは、中継を見ていた国民からも相当な批難の的となっているようだ。

この時の会見はネットでもライブ配信をされていたので、テレビではなくネットを見ながらTwitterに呟く人たちも多かったことから、安倍さんをはじめ自民党幹部の人たちが思っているよりも早い速度で、安倍さんの態度に対する批判が拡散されたのでは?と、想像している。
ただ、安倍さんをはじめ自民党幹部の人たちが、その事実を知っているのか?というと、疑問だ。

断片的ではあったが、このライブ配信を見た時「今の日本のリーダーは、思考しないのだな~」という気がした。
自分で考えることを放棄し、事前に官僚がつくった回答を読むだけの人物が日本のリーダーなのだ、というある種のショックを受けた。
と同時に、「思いつき」だけで政策を考えるようなリーダーで、日本は大丈夫なのか?という気がしたのだ。
まるで「思いつき全体主義」のような印象を持ったのだ。

ご存じの方も多いと思うのだが、ハンナ・アーレントが指摘した「全体主義」というのは、ヒットラーのような強力な指導者の登場によって、市民や官僚が「自分で考えることを放棄し、指導者の考えに付き従う社会」ということを指している。
ところが、今の日本のリーダーは「リーダーに権力だけが集中し、そのリーダーは自分で考えることを放棄し、その場の思い付きでモノを言い、困ると官僚に助けを求める」という状況のように思えたからだ。
だから、あらかじめ決められた回答以外の質問には答えることができないため、強引に会見を終了させるしか方法が無かったのだろう。

同様のことを感じられた方も多かったようだが、その中で東京新聞の望月さんの記事を読んで、妙に納得してしまった。
Smart FLASH:東京新聞・望月衣塑子、安倍首相の「学ばない強さ」の呆然

これまでの安倍さんの発言などを見ていると、「日本語が得意ではないのかな?」と感じることが多々あった。
麻生さんの「未曽有」の読み間違いどころのレベルではない、「日本語の解釈としてどうなの?」と感じるほど、ご自分の都合の良い解釈で、答弁をされることが多々あった。そしてその後、何かしらの指摘がされても直ることが無かったように思う。
普通であれば、間違いを指摘されれば改めて学習をし直し、正しい理解をするはずだ(少なくとも、そのように小学生の頃からそのように学習させられてきたはずなのだ)。
しかし、安倍さんはかたくなに自分の間違った解釈を通そうとすることが多い。
特にここ2,3年は顕著になってきている気がする。
そして「首相」という座が、それを可能にしているのだ。
だからこそ、安倍さんは「学習をしないし、学習しない(=間違いを訂正しない)強さ」があるのだろう。


「儲かれば良い」という思考に、レッドカードを

2020-03-01 19:38:49 | 徒然

「新型コロナウイルス感染症」の感染拡大によって、マスクだけではなくトイレットペーパー、ティッシュペーパー、キッチンペーパーだけではなく、女性の生理用品まで「買い占め」が起きている。
この異常さは、オイルショックでトイレットペーパーが、街中から消えた時以来のような気がする。

当時と違っているのは、「C2C」というビジネス形態ができたことで、一般の市民が買い占めた商品をC2Cのサイトに出品し、値段を吊り上げている、という点だろう。
いわゆる「転売ヤー」と呼ばれる人達が「ビジネスチャンス!」とばかりに、C2C(=フリマサイト)に出品し、暴利をむさぼっている、という状態になっているのだ。
Yahoo! のトピックスでは、マスクの転売で2000万儲けたという中国人女性のインタビューがあった。
Yahoo! トピックス:マスク転売で2000万円 新型コロナウイルスでボロ儲けをする中国人美女  (Fridayより)

美人かどうかは分からないが、医療用品の業者から横流しした商品をC2Cのサイトを利用して、高額な値段で販売をし儲けた!ということらしい。
他にもこの記事には、中国人男性のインタビューもあり「だから、中国人は・・・」と、思わず言ってしまいそうになるのだが、おそらく規模は違えど、日本人の中にも同様のことをしてボロ儲けをした人達は、いるはずだ。
少なくとも横流しをした業者も、それなりの儲けがあったはずだ。

ただ彼らは、「これは需要と供給の関係で儲けただけ」と、嘯くだろう。
かつてはこのような行為は「火事場泥棒」のように言われていたことが、今や「ビジネスだ!」と胸を張って言えるようになってしまった。
真っ当なビジネスをしている人達からすれば、「それはビジネスなどではない!!」と、怒り狂うような行為であっても、今の社会ではこのような「恥ずべき行為」を「お金を儲けてどこが悪い」と、開き直ってしまうことが許されるような部分がある。
それを可能としたのが、良くも悪くもC2Cというビジネスなのだ。

おそらくこのような行為をして「お金を儲けてどこが悪い」と開き直るような人たちは、今後も同様の社会不安が起きた時も「ビジネスチャンス!」とばかりにC2Cのサイトを利用して、一儲けをたくらむだろう。
しかも、アカウントなどを変えて登録をし、別人のようなふりをして、同様のことをするだろう。
とすれば、真っ当な感覚を持っている生活者は、今の内にこのような行為に対して「レッドカードを出さないサイト」をチェックすべきだと思う。

何故なら、このような行為を野放しにすること自体、そのサイトを運営している企業も、自分たちの儲けしか考えていない企業だからだ。
ビジネスというのは、儲けることも重要だが、社会に対して公正である、ということが、一番大切なはずだ。
その意識もなく、おかしな儲けに手を貸している、という認識が無いのであれば、それは企業として相通じる「儲ければ良い」という本質がある、と社会から認識されても当然だろう。
もし「転売ヤーの儲けに手を貸している」という認識がないまま、サイト運営をしているのであれば、それは企業として「社会的責任」を考えていない、ということにもなる。

今のような異常な状況だからこそ、どのようなビジネスであろうと「社会に対する公正さ」を企業を考え、行動すべきなのだ。