ライブドアや村上ファンドの登場、事件で「会社は株主のもの」という主張がメディアを一時にぎわした。現在は「会社は株主のものだけではない」という論調が支配的である。ちょっと考えてみれば当然ではないだろうか。
そもそも会社というものは、株主の資本による資産、設備などと、種々のノウハウを持つ経営者、従業員で成り立っている。大会社ともなれば、社会の一構成員としての社会的使命もある。
会社が株主だけのものであれば、例えば会社が社会に大被害をもたらしたときに、株主がすべて責任をとってくれるだろうか?否である。株主は株価を0にするまでの限定責任しかない。あの水俣病事件に対し、チッソは十分ではないだろうが、何年に渡って被害者に補償金を支払ってきた。株主は株価低落の損害を蒙っただけである。
2006年6月24日朝日新聞朝刊の村上ファンド事件特集の11で、岩井克人東大経済学部教授が言っている。
「大量生産型の産業資本主義から、製品やサービスに違いを出さないと利益がでないポスト産業資本主義になった。しかし、村上ファンドもライブドアも、やったことは「カネで買えないものはない」という時代遅れの発想の株買い占め。日本放送などヒトが財産のポスト産業資本の会社を買収しようとしたのに、利益の根源である社員や阪神ファンの反発をかった」
「巨額な設備投資が必要な産業資本の時代とは異なり、人的投資中心のポスト産業資本主義では、お金はだぶつき、世界を飛び回ることになった」
お金よりむしろ人的資源、知恵が必要になったこの時代に、お金だけで、株主の力だけで会社を動かそうというのは無理がある。今になって、一昔前の米国をまねして制度、法律を作ろうとする行政府も知恵がない。
日本の経営者はたいした実力もないのに米国にならい自分達の報酬額だけ数億円と高くする動きがある。年功序列賃金をやめ、リストラを断行した経営者は、人的資源を確保し、高めるための施策を開発しなければならない。
単なる能力給制度は既に多くの企業で破綻している。従業員全体のインセンティブを高め、かつ能力、実績のある従業員をいかに評価し、待遇するかが問題になる。失敗した企業が打撃を蒙る時代がくるだろう。
一時、従業員の発明に対する対価を大幅に上げる動きが大企業にあった。特許や売上高といった簡単に数値化される実績が評価対象になるのは当然である。転職が頻繁に行われるようになれば、科学技術論文の引用数のようにヘッドハンティング数や提示給与による評価が行われる時代がくるかもしれない。
経営者は従業員確保に必死になり、事件を起こしメディアの前で頭を下げる経営者でなく、社員にペコペコする経営者が見られるかもしれない。ノルマにあえぐ社員のはかない夢想だろうか。
以上
そもそも会社というものは、株主の資本による資産、設備などと、種々のノウハウを持つ経営者、従業員で成り立っている。大会社ともなれば、社会の一構成員としての社会的使命もある。
会社が株主だけのものであれば、例えば会社が社会に大被害をもたらしたときに、株主がすべて責任をとってくれるだろうか?否である。株主は株価を0にするまでの限定責任しかない。あの水俣病事件に対し、チッソは十分ではないだろうが、何年に渡って被害者に補償金を支払ってきた。株主は株価低落の損害を蒙っただけである。
2006年6月24日朝日新聞朝刊の村上ファンド事件特集の11で、岩井克人東大経済学部教授が言っている。
「大量生産型の産業資本主義から、製品やサービスに違いを出さないと利益がでないポスト産業資本主義になった。しかし、村上ファンドもライブドアも、やったことは「カネで買えないものはない」という時代遅れの発想の株買い占め。日本放送などヒトが財産のポスト産業資本の会社を買収しようとしたのに、利益の根源である社員や阪神ファンの反発をかった」
「巨額な設備投資が必要な産業資本の時代とは異なり、人的投資中心のポスト産業資本主義では、お金はだぶつき、世界を飛び回ることになった」
お金よりむしろ人的資源、知恵が必要になったこの時代に、お金だけで、株主の力だけで会社を動かそうというのは無理がある。今になって、一昔前の米国をまねして制度、法律を作ろうとする行政府も知恵がない。
日本の経営者はたいした実力もないのに米国にならい自分達の報酬額だけ数億円と高くする動きがある。年功序列賃金をやめ、リストラを断行した経営者は、人的資源を確保し、高めるための施策を開発しなければならない。
単なる能力給制度は既に多くの企業で破綻している。従業員全体のインセンティブを高め、かつ能力、実績のある従業員をいかに評価し、待遇するかが問題になる。失敗した企業が打撃を蒙る時代がくるだろう。
一時、従業員の発明に対する対価を大幅に上げる動きが大企業にあった。特許や売上高といった簡単に数値化される実績が評価対象になるのは当然である。転職が頻繁に行われるようになれば、科学技術論文の引用数のようにヘッドハンティング数や提示給与による評価が行われる時代がくるかもしれない。
経営者は従業員確保に必死になり、事件を起こしメディアの前で頭を下げる経営者でなく、社員にペコペコする経営者が見られるかもしれない。ノルマにあえぐ社員のはかない夢想だろうか。
以上