一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

LPSA Minerva交流将棋大会(3)

2015-04-25 14:06:25 | LPSAイベント
選手が列を作っていることから、これは大会参加の「権利」なのかもしれない。私も女性を撮影するのは好きだが、そこに自分が入るとダメである。席に座り、遠巻きに眺めた。
O氏が受付を済ませ、私の右に座る。ファイルを見せてくれた。藤森哲也四段の実戦譜が書かれてあり、びっしりと変化が書き込まれている。さすが研究家のO氏だが、こんなのを見せられては、勝てる気がしない。どうして私の周りには、度を越えた将棋バカが多いのだろう。
O氏も写真に収まった。私もせっかくなので、女流棋士と撮影させていただくことにした。
私のスマホに続いて、LPSAのカメラでもパチリ。この男女比で撮影されるのは、人生で最後だろう。いい思い出になった。
室内には、ミスター中飛車氏、O氏のほかに、Sak氏、Su氏ら見覚えのある顔が並んだ。LPSAに馴染みのある人が揃った感じだ。トーナメントAは三段以上が対象だが、こちらへの集まりが多く、人数調整をした。結果、Aが16人、Bが10人前後になったようだ。Aトーナメントは、4回勝てば優勝である。
1回戦の私の相手は、30代前半と思しき男性氏。初対面の相手は棋風が分からないから指しにくくてイヤだ。もっとも、これは向こうも同じ条件だが。
開会に先立ち、島井咲緒里女流二段の挨拶。
「午前もお話ししましたが……うんぬんかんぬん」
さらに大会ルールの説明があった。持ち時間は15分30秒で、大野・植山教室と同じである。
午後1時、対局開始。後手男性氏が、4手目四間飛車に振った。このあと私がふつうに指せば角を換えてくるだろうから、私は▲6六歩と角道と止める。消極的なようだが、持久戦になればこの不満も解消される。
男性氏は穴熊に潜り、私は玉頭位取りに出た。私は一手一手慎重に進める。大野・植山教室のときのように「ええい、行け行け!」というわけにはいかないのだ。
▲3八飛△4四角▲2八飛△2二飛。この取り引きは先手が損をした。先手はもう飽和状態なので、ここで開戦した。

図以下、▲9五歩△同歩▲同香△同香▲同角△9二香▲8六角△2四歩▲4五歩△6二角▲7四香△6三金▲7一香成と進む。
△9二香では△2六香がイヤだったが、男性氏は玉頭の補強を優先した。私は狙いの▲7四香。以下、△7一金と交換できては、まずまずの岐れだと思った。
ただ先手も端が弱いため、実戦的にはまだ難しい。事実後手に、9筋にと金を作られ、3筋からも反撃され、私も生きた心地がしなかった。が、私の▲7二金~▲6六角~▲8四銀も相当な迫力だったようだ。
最後は▲7三歩成で先手勝勢。これを△同桂と取ってくれたので、▲8一金打まで。私はうれしい1回戦勝利となった。
感想戦。私は真っ先に△2六香の変化を質したが、どうも先手が指せたようだ。やはりソッポに駒を打つのはうまくいかないようだ。
私が勝ったこともあり、感想戦は長めに行う。参考になる手筋をいっぱい教わり、勉強になった。男性氏は見るからに手練れで、この将棋を勝てたのは僥倖だった。

2回戦は、Sak氏と当たった。Sak氏はLPSAイベントの常連で、いつも静かに観戦していた。彼は誰だろう? と仲間内でも話題になったが、交流すると彼がなかなかの将棋バカということが分かり、社団戦に参加してもらった経緯がある。
Sak氏とは4回対局をしたことがあるが、いつも私が苦戦した。ただ勝敗は別で、そこが面白いところ。
右の席ではO氏とミスター中飛車氏の対局となる。ここだけ取ればLPSA芝浦サロンのようで、「懐かしいネ」を連発した。
対局開始。Sak氏は▲5六歩で、先手中飛車の意向。数手進んで、私は結局玉頭位取りを採る。▲2七銀のあと、His流の▲3八飛がイヤだったが、Sak氏は▲3八金。これも本手である。
Sak氏が▲5六銀と立って、戦機が熟してきた。

第1図以下の指し手。
△8六歩▲同歩△4五歩▲6六歩△4六歩▲同金△4五歩▲同銀△同銀▲同金△3四銀▲同銀△同金▲4六歩△5五歩▲4五銀△4四金打▲3四銀△同金▲2五銀
△4三金▲3七桂△5四銀打▲3四銀△同金▲2五銀△4三銀打▲3四銀△同銀▲4五桂△同銀右▲同歩△同銀▲4六歩△3六桂▲3七玉△5六銀▲3四金△4七歩▲4三金打
△4一玉▲5二歩△同飛▲同金△同玉▲8二飛△6二金▲8一飛成△5四銀▲4四銀△同角▲同金△4八歩成(第2図)

頃はよしと、私は△8六歩▲同歩△4五歩と仕掛ける。前局の感想戦の指し手を参考にした。
Sak氏は▲6六歩。いかにも軟弱な手で、私はこしゃくなとばかり△4六歩~△4五歩と突っ張ったが、これは歩を渡して相手の駒を呼び込んで、よくなかった。
Sak氏は4五と2五に執拗に駒を打ちつけ、私は防戦一方。ここでは千日手を覚悟した。
しかしSak君が千日手にするはずもなく、▲4五桂と跳ねる。私は△3六桂~△4七歩だが、この瞬間が絶対に詰まない形なので、Sak氏は猛攻撃を仕掛けてきた。
島井女流二段が、さっき撮った写真を配っている。プリントまでがサービスのようだ。このあたりのキメの細かさは、小回りの利くLPSAならではといえる。
右の将棋は終わって、O氏の勝ち。ミスター中飛車氏にも勝機はあったと思うのだが、O氏の地力が勝った。
数手進んで▲8二飛に△6二金はつらい受け。▲8一飛成に▲4三銀を防いで△5四銀と立つようでは、泣きたくなった。
▲4四銀では▲4四桂でも私の負けだが、これでも問題ない。私は△4八歩成と開き直り、介錯を待つ。第2図からは▲5三歩ぐらいでも負けだと思っていたのだが…。

(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

LPSA Minerva交流将棋大会(2)

2015-04-24 12:48:17 | LPSAイベント
(22日のつづき)

第2図以下の指し手。
▲3五歩△同角▲2三飛成△4四角▲6六歩△6五歩(途中図)▲同桂△7四銀▲5五歩△7五銀▲同歩△6四歩▲5三桂成△同角▲3三竜△6五歩▲7六銀△6三桂▲5四歩△4四角▲4三竜△6六角▲同金△同歩▲6四角(第3図)

局面は飛車銀交換で私の駒得。▲3七金が遊び気味なのが不満だが、ここで先手を握り、指せる形勢だと思っていた。
まず▲5三角成を考えたが、馬は作れるものの、一手の価値がないと思った。角の利きがなくなると、△6六歩▲同金△5七銀も気になるところである。
一方、後手の狙いは△4五桂である。これを▲同歩は、△7九金▲8八玉△7八銀で、下手も気持ちの悪いところがある。
そこで角筋を止めるべく、中空に▲3五歩と打った。
これは1979年2月26日に指された第37期名人挑戦者決定リーグ・▲米長邦雄八段対△大山康晴十五世名人との将棋で、米長八段が113手目に▲3五歩と打った手を参考にした。
本譜、これを△同角は▲2三飛成がある。渡部愛女流初段はどう指すのかと注目していると、アッサリ△同角と取ったので、拍子抜けした。
しかし▲2三飛成△4四角と進むと、後手の角が好位置にきている。
次に△6六歩があるので私は▲6六歩と謝るが、渡部女流初段は△6五歩とこじ開けてきた。
これを▲同歩は、やはり△6六歩以下バリバリ攻められてもたない。私は▲6五同桂だが、△7四銀以下角を取られては、下手の非勢がはっきりしてきた。
それでも本譜は角を取り、▲6四角と据えたところでは盛り返したと思ったのだが…。

△9二玉▲9五歩△4九角▲5八桂△5七歩▲9四歩△5八歩成(投了図)
まで、88手で渡部女流初段の勝ち。

△9二玉が習いある好手。この早逃げで、負けを悟った。一応▲5三歩成を考えたが、▲6三と~▲7二とじゃあまりにも遅い。それで、端玉には端歩の格言通り▲9五歩と突いたが、やはり△4九角が飛んできた。
▲5八歩は二歩で打てないので▲5八桂だが、これでは▲7四桂の楽しみがなくなり、もう下手ダメである。
△5八歩成で投了。渡部女流初段は「エッ!?」と驚いてくれたが、攻防ともに見込みはない。

例えば▲9六飛は詰めろだが、△6八と▲8八玉△7八金▲9八玉△7六角成▲同飛△9七歩以下、下手玉が詰む。上手が序盤で突いた△8四歩が、いい働きをしている。

感想戦。渡部女流初段によると、△6五歩(途中図)の局面で、▲5五歩がイヤだったそう。これを1△同角は▲5六銀右。2△同歩は▲4五歩△同桂▲4六金で、いずれも下手に楽しみがある。しかし1の▲5六銀右のあとも△6六歩が厳しく、下手の非勢は否めない気がする。下手は▲3七金の形が最後まで祟った。最近はこの形で勝利を収めておらず、一考の余地があるかもしれない。
一局を振り返ってみて、渡部女流初段はふわっと緩める手が多く、それがいかにも上手らしいと感じた。また難しそうな局面でも短考で指し、思いっきりがいいと思った。私も頑張ったが、全体的に、渡部女流初段の掌の上で踊らされていた感じだった。やっぱりプロは、強かった。渡部女流初段の凛とした表情が印象に残った。

時刻は午前11時25分である。将棋大会は午後12時30分から受付開始なので、ちょっと早いが、昼食を摂りに出る。
田町に来たら、「小諸そば」である。例の店舗に入り、二枚もりを食した。消費税が8%になったのに値段は据え置きの300円で、うれしい限り。「ゆで太郎」などは大幅値上げをしたこともあり、ますますその感を強くした。
まだ時間があるので、旧LPSA芝浦サロンに向かってみる。その跡地は「希学園」という学習塾に変わっていて、27日開講となっていた。夏草や兵どもが夢の跡、といったところか。
芝浦サロンは途中から通わなくなったけれど、それでも思い出はいっぱいある。入口の前でしばし佇み、往時を懐かしんだ。
立ち飲みコーヒーショップに入って時間をつぶしてもよかったのだが、あたりを散歩する。
大きな建物があったので近寄ると、「田町ハイレーン」(ボウリング場)だった。しかし3月で閉館となっていた。これこそ、兵どもが夢の跡、だ。
そのままぐるっと回る感じで山手線の高架下をくぐり、もう一度高架下をくぐって、「リーブラ」に戻った。
1階ではミスター中飛車氏に会った。彼は午後からの参加のようだ。
2階の会場に入ると、参加者が登録をしているところだった。今回のトーナメントは先着32名で、棋力別にA、Bと分かれる。私はAである。藤森奈津子女流四段が、表の空いているところに私の名前を書き込んだ。
壁際では、中倉宏美女流二段、島井咲緒里女流二段、大庭美樹女流初段、中倉彰子女流初段、渡部女流初段の5人が、参加者のひとりと記念撮影を行っていた。
これは…?
(つづく)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

船戸女流二段は、正司花江と、高橋礼子に似ている。熊倉女流初段は、山田べにこに似ている。

2015-04-23 00:58:28 | 似ている
22日はS和コーポレーションの営業が来た。今月は3回目である。まったく、D東建託と並ぶしつこさだ。彼らの営業にはある種の狂気を感じる。一切関わりたくない。

日付変わってきょう4月23日は、船戸陽子女流二段と熊倉紫野女流初段、それにフジテレビ・加藤綾子アナウンサーのお誕生日である。さらに男性棋士では、渡辺明棋王と高橋道雄九段も誕生日。皆様、おめでとうございます。

船戸女流二段は、かしまし娘の正司花江の若いころに似ていると思う(失礼)。
正司花江は、1936年5月4日、秋田県生まれの78歳。1956年、長女の歌江、次女の照枝とともに漫才グループ「かしまし娘」を結成。「ウチら陽気なかしまし娘。誰が言ったか知らないが、女三人寄ったら、かしましいとは愉快だね」のテーマソングは、当時誰もが口ずさめた。漫才も軽快で、当時は大人気を博した。かしまし娘は1981年に活動を休止したが、解散はしていないようである。来年は結成60周年。盛大な催しが望まれる。
花江は3人の中で最も知的な感じで、我が道を行く雰囲気がある。船戸女流二段と花江は、ズバリ顔が似ている。

船戸女流二段はいまひとり、元女優の高橋礼子にも似ている。
高橋礼子は、1951年、東京生まれの63歳か64歳。小学生のときに児童劇団に入団した。
高橋礼子の存在を有名にしたのは、1967年10月15日に放送された「ウルトラセブン」第3話「湖のひみつ」で、ピット星人の少女姿を演じたことによる。
出演時ピット星人は2人で、少女も2人いた。それで当時は、少女も双子だと信じていた。もちろんこれは映像のトリックで、高橋礼子が二役を演じていた。
友里アンヌ隊員を演じたひし美ゆり子(菱見百合子)のブログ「あれから40年・アンヌのひとりごと」2014年4月27日の記事によると、これはウルトラセブンの制作第1話にあたり、手探り状態もあってか撮影が難航。高橋礼子は高校1年の夏休みを丸々つぶし、すっかりテレビの仕事がイヤになってしまったという。
それが原因かどうか分からないが、本作をもって高橋礼子は女優業を引退。ふつうの女子高生に戻ってしまったのであった。
先日紹介した九条亜希子もそうだが、後のテレビで姿を見ない場合、ひっそりと引退していた場合が少なくない。
話が逸れたが、船戸女流二段と高橋礼子も、アジアンテイストの顔が似ている。

船戸女流二段は、先ごろ女流名人リーグ入りを果たした。船戸女流二段には「一発」があるので、リーグ入りは十分あり得ることである。
巷の予想では全敗陥落のようだが、私はそうは思わない。何勝かすると思うし、清水市代女流六段あたりに一発入れそうな気がしている。

熊倉紫野女流初段は、温泉評論家の山田べにこに似ている。
山田べにこは、1980年か1981年生まれの34歳前後。
20歳のころに温泉に目覚め、週末には秘湯巡りが定番となった。それから10数年、入湯数は3,300に上ったという。著書やエッセイ、テレビ出演も多数。その後結婚、子供をもうけ、現在は温泉巡りを休止している。
2010年~11年には、山田べにこ単独出演の「野天湯へGo!」がテレビ放送されたが、現在もBS日テレで週2回、再放送されている。
熊倉女流初段と山田べにこは、おっとりした雰囲気が似ていると思う。

熊倉女流初段は何年か前に休場したが、復帰後はパッとしない。言い換えれば、存在感がない。せっかく女流棋界へ戻ってきたのだから、もっと活躍しないといかんだろう。
熊倉女流初段とは、近いうちに会えそうな予感がする。そのときは激励してみようか。

加藤綾子はいつも健康的で、私が好きな女子アナNo.1である。「ホンマでっか!?TV」などで、大口を開けてハハハハハと笑うさまは能天気でよろしい。
彼女はいつフリーになってもおかしくないが、どの局に行っても、いつまでも明るい笑いをふりまいてほしい。応援しています。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

LPSA Minerva交流将棋大会(1)

2015-04-22 00:03:45 | LPSAイベント
19日(日)は、LPSA主催の「Minerva交流将棋大会」があった。これはLPSAが芝浦時代に時折開催していたもので、ファンクラブ会員のみが参加できる、将棋大会である。
私はこの類の大会には参加したことはないが、ちょいとLPSAの女流棋士に癒されたくなって、申し込みをしたのだった。
場所は東京・田町の「みなとパーク芝浦・リーブラ2階」。スケジュールは午前10時半から指導対局、午後1時から将棋大会となっている。
当日朝。前日は夜中の3時まで起きていたので朝が辛く、指導対局はパスしちゃおうかと思ったが、とりあえず田町に向かった。
10時20分ごろ、リーブラの対局室に入ると、会員が受付をしていた。LPSAからは、中倉宏美女流二段、藤森奈津子女流四段、島井咲緒里女流二段、大庭美樹女流初段、中倉彰子女流初段、渡部愛女流初段の参加だ。が、島井女流二段(ら)の私を見る目が、困惑気味である。招かれざる客、のごとき雰囲気だ。
それで私は察知した。これは…予約が必要だったのでは!? そう、私は指導対局の予約はしていなかったのだ。何たる勘違い、失態か。
「ごめんねー。今LPSAは、全部予約なのよー」
藤森女流四段がダメ押しする。私は一時帰宅も考えたが、LPSAはそんな非情なことはしない。ちゃんと渡部女流初段を充ててくれた。
「愛ちゃんと当たってよかったね」
と、女流棋士の誰かが言った。とてもありがたかったが、渡部女流初段との対局を所望して空振りに終わった会員もいると思えば、手放しで喜べない。
渡部女流初段は4面指しになったが、ほかの女流棋士は、整然と3面指しである。すなわち、私だけが完全なお邪魔虫だったのだ。
しかも渡部女流初段は、立って指す羽目になった。撮影係氏も撮影スペースを侵され撮影しづらそうで、私は踵を返して帰りたくなった。でも帰らなかったが。
定刻になり、島井女流二段がみなに挨拶をする。
「LPSA芝浦サロンが閉鎖になって、皆様とはお会いする機会がなくなり…本日は楽しみましょう」
かくして指導対局の開始となった。

上手 △女流初段 渡部 愛
下手 ▲一公

▲2六歩△3四歩▲7六歩△4二飛▲4八銀△6二玉▲6八玉△7二玉▲7八玉△3五歩▲2五歩△3二飛▲6六歩△3四飛▲6八銀△8二玉▲4六歩△9四歩▲9六歩△7二銀
▲4七銀△4二銀▲6七銀△6四歩▲5六銀左△3三桂▲6五歩△同歩▲同銀△1四歩▲1六歩△1三角▲6八金△5二金左▲3八金△6三金▲6六角△6四金▲同銀△同飛
▲7五角△3四飛▲7七桂△8四歩▲2四歩△同角▲5六歩△5四飛▲6七金△5一銀▲6五金(第1図)

渡部女流初段に教えていただくのは、1月17日の将棋ペンクラブ新年会以来。その前は昨年9月の将棋ペンクラブ大賞贈呈式となる。将棋ペンクラブさまさまだ。
私の居飛車明示に、渡部女流初段は△4二飛。居飛車党の渡部女流初段にしては珍しい作戦だが、渡部女流初段はもともと振り飛車党だった。アマチュア時代の渡部女流初段と初めて手合わせしたときも、彼女は飛車を振った。そしてそのときの彼女も、いまと同じくらい強かった。
先の女流名人リーグでも、渡部女流初段は中飛車に振っている。彼女の棋風は振り飛車が合っていると思うので、原点回帰を私は支持する。
渡部女流初段は三間に振り直し、私は▲6六歩。△6四歩なら▲5六銀左(右)~▲6五歩から1歩を手にする狙いで、私の得意戦法である。本譜も実際、そうなった。
スーツ姿の渡部女流初段は短考で静かに指し、プロの雰囲気が板についてきた。
私は▲7七桂と上がる前に、▲6六角と上がる。渡部女流初段は△6四金とぶつけてきた。私はもちろん▲同銀だが、この交換は下手もまずまずのはずだ。
渡部女流初段は△5一銀。飛車が5筋からいなくなれば角が成れる。やや抵抗はあったが、▲6五金と打ってみた。

△3六歩▲5四金△3七歩成▲同金△5四歩(第2図)

飛車取りに構わず、渡部女流初段は平然と△3六歩。ここは△7四銀を読んでいて、▲5四金△7五銀の取り合いは、金の処置に困る下手が悪い。よって▲7四同金となるが、△同歩は下手の手損で面白くない。△3六歩は意外だった。
もし上手が植山悦行七段だったら私も▲3六同歩と取り、「くわっ、落ち着いてますねえ」と軽口の一言も頂戴しただろうが、相手が変われば指し手も変わる。▲3六同歩として飛車を逃げられたら後悔すると思い、先に飛車を取った。
△5四歩に、私が指した手は。

(24日につづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4月5日の大野・植山教室(後編)

2015-04-21 00:56:27 | 大野・植山教室

以下の指し手。△7七飛成▲同桂△3七角▲3三桂成△同銀▲同飛成△同桂▲2一飛△3一飛▲2九飛成△2六歩▲4六銀△1九角成▲同竜△2七歩成▲2九竜△2一飛▲2四歩△2八歩▲同銀
△同と▲同竜△2五香▲3七竜△2六歩▲3五銀△4五銀▲4六歩△2七歩成(第2図)

投了したいが、リーグ戦なので、簡単に投げられない。私は飛車角交換をしたが、まだ角は逃げられない。仕方ないので、△3七角と置いて「形作り」をした。
▲3三桂成△同銀で、これで飛車桂交換。局面を見ていて、イヤになった。
ここで▲8四飛△8三歩▲8九飛と落ち着かれるくらいでも後手は指しようがなかったが、なぜかShin氏は考えている。そして▲3三飛成!と飛車を切ってきた。
△3三同桂に、▲2一飛。なるほどこれも厳しく、やむない△3一飛に▲2九飛成と落ち着かれては、やっぱり後手非勢である。ますますイヤになった。
△2六歩▲4六銀に△1九角成とし、また駒損。しかし数手進んでみると、意外にも後手が持ち直していた。先手は▲4六銀が甘かったかもしれない。
私の△2七歩成に、Shin氏は▲4七竜か、▲4八竜か。

▲4七竜△5五桂▲4八竜△3六銀▲6九玉△4七銀成▲6八竜△3四歩▲同銀△2四飛▲3三銀成△同金▲1五角△3四飛▲3三角成△同飛▲1五角△3六飛▲8八銀△3八と▲3七歩△4六飛▲3八金△同成銀▲同竜△4七角▲同竜△同飛成▲6八金△5八金
以下、一公の勝ち。

Shin氏は▲4七竜だが、手順に△5五桂と打てて、互角以上になったと思った。
ただし、直後の△4七銀成は失着。桂を成るのだった。
以下数手進んで、△4六飛に▲3八金がどうだったか。ここは▲5六金がイヤだった。以下△4四飛▲5五金△1四飛▲3八金△1五飛▲4七金となれば、これは新規蒔き直しである。そしてこうなったら、恐らく私が負けていた。
本譜、たんに▲3八金と取ってしまっては、これは私の勝ちである。△4七同飛成に、▲7九玉は△2九飛以下詰む。それでShin氏は▲6八金と寄ったが、△5八金が決め手。
最後はShin氏の王手ラッシュをかわし、私にしては珍しい、逆転勝ちとなった。
ちなみに△4七竜は、3一にいた飛車が、2一→2四→3四→3六→4六と来たもの。そしてこの飛車は元はといえば、あの▲3四の飛車だった。
「この将棋を負けちゃダメでしょう」
私は容赦なく、敗者に投げかける。Shin氏も大野八一雄七段に平手で勝つほどの実力者だから、このくらいの苦言?はいいだろう。
感想戦は、大野七段らを交えて行われた。
△2七歩成の局面、Shin氏が▲4七竜と寄ったのは、あえて△5五桂を打たせる意だったらしい。後手は何かのときに△7六桂の楽しみがあり、それをShin氏は嫌ったのだ。
しかし△5五桂と打てたのはやはり打ち得だった。
また私の△3四歩にShin氏は▲同銀と取ったが、ここは▲2三歩成があった、と大野七段。
以下△同金▲3二角△2二飛▲2三角成△同飛▲3四銀△2四飛▲3三銀(不)成とし、後に後手玉が△7一まで来たとき、▲8三歩を決め手にする。
ここまでの検討で、私も中盤から持ち直したと思ったが、実際はまだまだ難しい形勢だったのだ。
いずれにしても、僥倖の勝利。悪い将棋も粘っていれば勝つこともある、の証左だが、どんなに粘っても勝てない局面もあり、この辺の見極めは大切であろう。

これできょうの将棋は終わり。6局指して4勝2敗はまずまずだった。
食事会は駅向こうのガストで。参加者は、大野七段、Og氏、Hon氏、Shin氏、私。いままでありそうでなかった組み合わせである。
食事後もShin氏はさっきの将棋を考えているようで、
「大沢さん、私が(▲4六銀で)▲2八歩と我慢していたらどう指しました?」
と、ポツリと聞いてきた。
「△6四角成とするくらいだけど、まあ(こっちが)ダメだね」
これが逆の立場だったら、私はショックで、会話になっていなかっただろう。
そのShin氏、先日将棋のイベントに行ったら室谷由紀女流初段がおり、握手をしてもらったという。
「華奢でした」
Shin氏は意外とミーハーなところがある。何とも羨ましい話だが、私が同じ状況になっても、畏れ多くて何もできないと思う。
きょうはWatanabe氏が遅くに来たが、大野七段によると、最近Watanabe氏との手合いが飛車落ちに上がったそうで、Watanabe氏、飛車落ちの定跡を忘れないように、わざわざ指しに来たという。
素晴らしい心構えだよWatanabe氏!!

今夜も楽しい食事会で、11時20分ごろに散会。
赤羽まではOg氏と一緒の電車だったが、「月4回とは言わないけれど、2回くらい教室に来てくださいよ」とOg氏の弁だった。
いまの私には月2回の出席もなかなか大変だが、期待に沿えられるか、どうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする