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一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

第73期王将戦第2局1日目

2024-01-21 00:18:34 | 男性棋戦
第73期ALSOK杯王将戦第2局(主催:スポーツニッポン新聞社、毎日新聞社、日本将棋連盟)が、佐賀県三養基郡上峰町で20日に始まった。「三養基郡」の地名は初耳でどこか分からぬが、鳥栖とか基山が入っているようである。
鳥栖はサッカーJリーグのサガン鳥栖で有名だが、基山は、九州内の高速バスの多くが高速基山を通るので、知名度がある。バスマニアには聖地といえる。
第1局は藤井聡太王将の勝ちで、挑戦者の菅井竜也八段はもう後がない。というか、もうダメじゃないかと思うのだが、それを言っては身も蓋もない。とにかく第2局は、菅井八段必勝あるのみ。それで五番勝負に戻せば、まだ望みはある。
前夜祭で、藤井王将は「深く考えて積極的な将棋を指せるよう頑張りたい」と述べた。また菅井八段は「2日間全力で戦います」と述べた。藤井王将はいつものコメントだが、菅井八段の闘志もまだ鈍っていない。
第2局は藤井王将の先手。藤井王将の居飛車明示に、菅井八段は三間飛車に振った。注目の囲いは、菅井八段が久々の美濃囲い。やっぱり振り飛車には美濃囲いであろう。
そして藤井王将は穴熊に組んだ。これがちょっと意外で、いままでの穴熊は、菅井八段の穴熊に呼応して、半ば意地で指していると思っていた。だけど自分だけ穴熊に囲ったということは、対振り飛車にはこの囲いが有効と考えているのだろう。AIが採用しなくても、だ。
菅井八段は、攻めの銀を腰掛ける。これが菅井流で、独特の銀の使い方だ。
対して藤井王将は着々と攻めの態勢を構築する。そこで改めて盤面を見ると、昭和によく見た局面に似ている。最近は相掛かりや最新形の角換わりばかりで、勉強不足の私はまったくついていけないが、この形は涙が出そうなくらい懐かしい。やはり将棋はこれである。
菅井八段が銀を引いてダイヤモンド美濃を構築すると、藤井王将は「深く考えて」7筋の歩を突いた。これも田中寅彦九段らが指しそうな手で、やはり穴熊はこうしたところに手が伸びるのだろう。
ここから先、そろそろ封じ手だろうというところで双方指し手が止まらず、最終的には藤井王将が封じた。これが駆け引きの結果なのか、たまたまそうなったのか、素人には分からない。
局面は藤井王将が微差ながら指しやすいらしい。個人的には、菅井八段が7筋に歩を打たされたのと、角銀が浮いた感じになっているのが不満で、やはり藤井王将持ちだ。
あとは、菅井八段の左桂が活躍するかどうか。逆に、藤井王将の右桂は働くのか。
このあたりに注目して、2日目を愉しもうと思う。
(つづく)
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2023年九州旅行・2

2024-01-20 22:14:36 | 旅行記・九州編
国分行きの日豊本線は2両編成だった。天下の日豊本線といえども内実はローカル線で、普通列車の乗車率は低い。
12時39分、隼人着。8分の待ち合わせで、肥薩線に乗り換える。今回は吉都線に乗るのが目的だが、肥薩線も歴史ある路線で、鉄道ファンなら一度は乗車したい。
その肥薩線は2020年7月の豪雨災害で一部不通になっている。JRになってからというもの、ほとんどが赤字路線のJRは、災害での不通を理由に、鉄路を廃止し、バス転換を図ろうとしている。たとえばJR北海道の日高本線がそうで、2015年に受けた災害がもとで、2021年4月に部分廃止している。
さらに今年は、根室本線の一部も廃止されそうである。まったく、油断もスキもない。
ちなみにJR東日本の只見線は2011年7月の新潟・福島豪雨で一部路線が休止されていたが、2022年10月、奇跡の全線復活を果たした。これなど稀有な例で、一命を取り留めた只見線は幸せである。
そんなわけだから肥薩線の不通区間だって、そのまま廃止もあり得る。「JR」の名称を持ちながら、会社はJRの廃止に躍起になっている。おかしな会社である。
当列車は吉松行きなので、吉松までは通じているということだ。
乗客はこの車両に私だけ、前の車両もひとりだけという贅沢さである。列車は山間部を走る。40分近く経ったところで、大隅横川に停車した。この駅舎は木造なのだが威風堂々とした佇まいで、歴史を感じさせる。ちょっと下車してみたいが、そんな余裕はない。
13時46分、列車は吉松に到着した。次の吉都線は15時58分なので、約2時間の滞在となる。
そこで駅の時刻板を見ると、肥薩線は吉松以北の記載がなかった。つまりここまでが運転区間ということだ。
そして、吉松発の列車は、14時36分というのがあった。これに乗れるなら、乗りたい。
まずは旅行貯金である。駅から少し離れたところに郵便局があるのは調べていたが、方角が分からない。
駅前に食堂があったので、そこのおばちゃんに教えてもらい、向かった。大きな川を渡り、左に折れると郵便局があった。「吉松郵便局・1214円」。12月の貯金額は高い。
駅前には共同温泉があって入りたいが、時間がない。とりあえずさっきの食堂で食事を摂ろうとしたら、午後2時で閉店だった。ふだんは客も来ないんだろうから仕方ないが、こういうところのちゃんぽんは美味いのである。
食堂の横にある鉄道資料館に入り、適当なところで列車に乗り、出発した。
が、どうも景色がおかしい。窓外がさっきと同じ景色で、ちっとも分岐しないのである。そのうち、「次は栗野」とか放送が入った。
「栗野?」それ、さっき通ってきた駅じゃねえか!
私は何を錯覚したのか、肥薩線の折り返し列車に乗ってしまったのである。そうだそうだ、こっちに来るときは、15時58分の列車に乗るつもりだったんじゃないか! それがどうして……。
ここに、列車の時刻をスマホで調べる弊害が出た。ダイヤを俯瞰で見られないので、どうしてもミスが出る。少なくとも今回は3日間、相当数の列車に乗ることが予想される。本当なら小型時刻表を携行すべきなのだが、本屋がない!
それはともかく、ここで冷静に考えると、15時58分の列車で都城まで行くとして、あすの13時までに、大村線の川棚駅に着くのだろうか。むろん、「旅名人きっぷ」のみを使ってである。ちょっと無理なんじゃないだろうか。
しかしこのまま隼人から鹿児島中央に戻ったら、半日がムダになってしまう。ここは意地でも、吉都線に乗らねばならないのだ。
私は栗野をやり過ごし、次の大隅横川で降りた。例の、由緒ありそうな駅である。果たして駅舎は創建当時のもので、その黒ずんだ色合いが歴史を感じさせる。
表に出て駅舎を撮ると、道の向こうに郵便局の看板が目に入った。私の旅行貯金は1日1回と決めているのだが、Myルールは例外だらけで、ここでも禁を破る。「横川郵便局・1214円」。
駅舎に戻って鑑賞していると、ホームの柱に穴が開いていた。戦争中、米軍に撃たれたものらしく、これだけをとっても歴史的価値がある(2006年10月、国の登録有形文化財に登録された)。
15時17分の吉松行きに乗った。これで完全に吉都線と心中である。
タイム18分で再び吉松着。くそう、この錯覚がなければ、駅前の温泉にも入れたし、吉松郵便局の帰りに見つけた食堂(駅前のとは別)にも入れた。有意義な2時間を過ごせたはずなのに、悔しい。
ひとり旅の功罪はいくつかあるが、おのがミスを誰も指摘してくれないのが痛い。ひとり旅はすべて自己責任なのだ。
15時58分の吉都線に乗る。列車は山間部を走り、肥薩線のそれとあまり変わらない。ともあれ念願の吉都線、というところだが、沿線にある「えびの」「小林」という駅に記憶があった。
それで思ったのだが、私が学生時代に九州を旅行したとき、この路線に乗っている。あのときは九州ワイド周遊券を使いつくしたので、吉都線にも乗ったはずだ。それを失念して再訪するとは、いよいよ私もヤキが回ったか。
そのせいでもないが、スマホで今夜の宿を調べ始めた。ざっくりとだが、川内までは行けるのではないか。それで、楽天トラベルでその周辺を探したら、3,000円ちょっとの安宿があった。
早速予約したが、最後のところでパスワードを求められた。いままではそれがなくてもスムーズに予約できたのに、こんなことは初めてである。それで、心当たりのパスワードを入力したのだが、ことごとくハジかれた。
なんでこんな面倒なことになったかと考えるに、6月にPCのメールアドレスを変更したことだろうか。だって、2月の北海道旅行ではスンナリ予約できたのだから。
どうにも埒が明かないからパスワードを変更したが、ワンタイムパスワードの返信が旧メールアドレスに送信されてしまい、やっぱり私は開くことができない。
きょうはどこかに泊れるんかこれ……。
私は吉都線の車内で、途方に暮れてしまった。
(24日につづく)
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2023年九州旅行・1

2024-01-19 00:37:33 | 旅行記・九州編
(2023年10月16日のつづき)
2023年10月22日、自宅に帰って一息つくと、私のスマホに「あんでるせん」から電話が来ていたことが分かった。これは、キャンセルが出たのではないか?
その日は夜も遅かったので、次の日の明るいうちに、あんでるせんに電話を掛けた。ここで不思議なのが、いままではほとんど電話が繋がらなかったのに、こういう時はさらっと繋がるのだ。
電話には奥さん?が出て、私が前夜に電話に出なかったことを詫びると、「出られない状況だったんでしょうから」と理解してくれた。
先方からの電話は、やはりキャンセルの連絡だった。12月15日(金)、ひとり空きがでたという。
もちろん私はOKである。もう少し手間取ると見ていたので、意外と早く来たな、というのが実感だった。これで25年連続、25回目のあんでるせん訪問が確定した。
そして、旅行日程は12月14日(木)~16日(土)とした。九州上陸当日に現地に行くのはせわしないし、また体験後も、その日はホテルに泊まり余韻に浸りたかったからである。ただ行程的には、あんでるせんを初日にしたほうが、残り2日の移動に制約がなかった、ということはある。
ともあれ日程が決まり、そのぶん飛行機のチケットも安く手に入るわけだが、まだ焦る必要はない。帰りは福岡空港からとして、行きの空港をどこにするか。この検討が楽しいのである。
結果、鹿児島空港は久しく訪れていなかったので、ここにすることにした。
航空会社はスカイマークが安いので、利用する。ANAを利用してマイルを貯めたいのだが、仕方ない。
11月上旬に「いま得」で、羽田→鹿児島(11,170円)、福岡→羽田(14,880円)を予約・購入した。

12月14日早朝。私は羽田空港第2ビルターミナルに行き、モニターで座席を指定する。15A、16Aの非常口座席は空いていたが、あそこからは外が見えないのではないだろうか。よって、後方のB席を指定した。
席に向かうと、私の席にAのオッサンの上着が置かれていた。Cのおばさんが、「(上着を)上に上げましょうか」と言ったら、Aのオッサンは、それを自分の膝の上に置いた。が、私は極めて不愉快である。
私が以前北海道の鉄道旅行をしたとき、指定席を取ったにもかかわらず、私の席に先着されていたことが2回もあった。
今回も、Bは私の席であって、オッサンの上着の席ではない。オッサン、せめて離陸まで我慢しろよ。それで隣に人が来なかったら、上着を置けばいい。その数分が、なんで待てないのか。まったく、心根がさもしいと思った。
スカイマーク303便は定刻に離陸した。機長はIwase氏、副操縦士はWatanabe氏、客室チーフはYajimaさん、それに研修生も乗っていた。そのスッチーのひとりに、中村真梨花女流四段似がいた。
機内では飲み物のほかに、Kit-Katのサービスがあった。これもおなじみである。
機内ではきょうの行程を考えるが、手元に資料がなく、検討のしようがない。
飛行機は定刻より8分早い10時37分、鹿児島空港に着陸した。
さて、ここから連絡リムジンバスで、鹿児島中央駅に向かう。ここが最初の分岐点で、これから3日間あるから、3日間バス乗り放題の「SUN Qバス」を使う手はある。しかし鉄道にまったく乗らないということはないから、ここはふつうにおカネを払うことにする。
空港から鹿児島中央駅までは1,400円だった。以前は1,200円だったから、けっこうな値上げである。
私は財布から「いわさきICカード」を出した。おもに鹿児島県内で使えるバスカードで、これを使うのは数年ぶりだ。それは2枚あって、1枚をかざすと、残額は50円だった。もう1枚をかざすと1,400円だった。ピッタリである。
が、実際は100円残った。そう、いわさきカードを使うと、空港バスが100円割引になるのだ。この特典はいまも残っていた。
いわさきカードは1,000円チャージの時点で1,100円となる。よって、このリムジンバスの場合、200円のトクになるのだ。これは知っていてよい知識である。
ほぼ満席でバスは出発し、タイム38分で鹿児島中央バスターミナルに到着した。
すると、鹿児島中央駅横に、巨大なビルが建っていた。ここ、かつてはアーケード街で、その中に入っていた町中華のチャーハンを、いつも美味しく食べたものである。
だけどこんなバカでかい建物になってしまった……。もはや興味はないので、駅に入る。
さてきょうのこれからだが、指宿まで行って砂風呂に入るか。その途中にある中華料理屋「紅龍」も寄りたい。大赤字の指宿以西の鉄路にも乗りたいところである。
もしくは、ストレートに鹿児島本線と肥薩おれんじ鉄道を利用し、途中の温泉場で下車しながら長崎まで近づくか。
だが私には気になる路線があった。鹿児島県内陸部に位置する吉松駅から、南東の都城駅に至るローカル線で、双方の駅の頭文字を取り、吉都(きっと)線という。
これはいままでの旅行で乗ったことがないのだが、こういう時こそ初乗りすべきではないのか。機内でキットカットを食べた縁もある。
とすると、この3日間は鉄道三昧の気もしてくる。それなら「旅名人の九州満喫きっぷ」がよい。九州全部の普通列車に3日間乗り放題で11,000円である。
私はまず券売機に向かったが、それらしい表示がない。それでみどりの窓口に入ったが、客がいっぱい並んでいた。これは小さくない誤算である。
現在11時45分。先の吉都線に乗るには、11時59分発の日豊本線に乗り、隼人で肥薩線に乗り換え吉松に行かなければならない。
窓口で応対する係員は3人から4人に増えたが、あと14分で乗れるかどうかは微妙である。もし間に合わなかったら、指宿か肥薩おれんじ鉄道ルートに変えればよい。
おばちゃんが細かいことを係員に相談している。みどりの窓口に並んでいて閉口するのがこの手で、どうも女性は、自分が乗る列車をここで決めるところがある。ちなみに男性の場合、自分が乗る列車を決めてから窓口に行く傾向がある。
おばちゃんがやっと終わり、ほかの客も終わり、スムーズに動き出した。私もめでたく「旅名人きっぷ」を買い、改札口できょうの日付を捺してもらい、11時59分の日豊本線に滑りこめた。
しかし旅は始まったばかり。この選択の成否は、今後の行動にかかっている。
(つづく)
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第50期女流名人戦第1局

2024-01-18 17:47:29 | 女流棋戦
記念すべき第50期女流名人戦五番勝負が開幕した。対局者は西山朋佳女流名人と、新婚姿も初々しい福間香奈女流四冠で、まさに50期の節目にふさわしい。7日の第1局は、スポンサーでもある岡田美術館「開花亭」で行われた。
「女流名人」といえば福間女流四冠のイメージがあり、2009年の第36期から2020年の第47期まで12連覇。その後伊藤沙恵女流四段を経由し、いま女流名人のタイトルは西山女流四冠の掌中にある。福間女流四冠が冠争いで一歩先んじたいのはもちろん、西山女流名人だって、初めて取った女流名人位は、死守したいだろう。
その両者の思惑を示すように、先手の西山女流名人は初手▲7六歩とした。将棋の公式戦で最も多い初手だが、西山女流名人の場合はさにあらず。このところ「▲7八飛」ばかりで、▲7六歩はどうした心境の変化だろう。
ここから双方微妙な駆け引きが続き、西山女流名人の四間飛車に振り、福間女流四冠の居飛車に落ち着いた。と、西山女流名人は三間飛車に変化する。このあたり、細心の配慮をはらっているように見える。
福間女流四冠は角を換えたが、それでも西山女流名人は石田流に組み直した。升田幸三実力制第四代名人の石田流の著書などを読むと、角を換わったほうが技を掛けやすいように見える。
福間女流名人は△6九角と、早くも勝負手である。この角、下手をするとタダ取りされるが、悪くとも相手の金と交換できれば、作戦成功となる。
すると今度は西山女流名人が▲8五角と打った。この地点の角は、1965年6月3日・4日に指された第24期名人戦(主催:朝日新聞社、日本将棋連盟)第5局・大山康晴名人41手目の▲8五角(図)が有名だがそれはともかく、本局は双方の角がどこまで働くか、が焦点となった。

すると福間女流四冠は9筋から動き、金香交換の駒得に成功した。
しかし西山女流名人も、その香を5四に打ち、金香交換の駒得に成功する。こうなると、トータルで角金交換の駒損になっているが、金を2枚持ち、片美濃囲いに収まっている西山女流名人が十分に思われた。
ところが、西山女流名人がその金2枚をベタベタ自陣に打ったので、アレッ?となった。これは粘りにいっている手で、優勢な側が指す手ではない。
その後、お互いと金攻めに出たが、あとからと金を作った福間女流四冠のほうが、金得の戦果を挙げた。福間女流四冠の囲いは薄いのだが、福間女流四冠は巧妙に防波堤を築き、妙な耐久力がある。このあたり、弱い舟囲いを戦いながら強固なものにしていった、中原誠名人の指し回しを思い出した。
これでどうも、プロ的には福間女流四冠が優勢になったようである。
最後は福間女流四冠が西山玉を詰まし、挑戦者の先勝となった.
ああ余談だが、私は投了図から西山玉を詰ませることができなかった。正解は金2枚を捨てて馬を活用する手だが、これは目からウロコが落ちる好手順である。そして当たり前のことだが、福間女流四冠はもちろん、西山女流名人もこの順は織り込み済だったわけだ。
先の竜王戦七番勝負で、伊藤匠七段が投了した局面が素人には即詰みにできず、負けたプロもさすがに強い!と唸ったものだが、本局の西山女流名人にもそれが感じられた。
第2局は21日(日)、福間女流四冠のふるさと、島根県出雲市で行われる。西山女流四冠は完全なアウェーだが、さてどうなるか。
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最年長優勝

2024-01-17 23:10:29 | 将棋雑記
棋戦の最年長優勝者を記してみる。
現在ある棋戦から調べてみた。タイトル戦はタイトルの失冠日、一般棋戦は、決勝戦の日である。
達人戦は第1期だけなので省略。新人王戦と加古川青流戦は、参加年齢の上限があるので、省いた。
なお王座戦は、タイトル戦に昇格してからを対象とした。

■竜王戦■
羽生善治竜王 50歳2ヶ月 第33期第5局 2020年12月6日
■名人戦■
米長邦雄名人 50歳11ヶ月 第52期第6局 1994年6月7日
■王位戦■
大山康晴王位 49歳6ヶ月 第13期第5局 1972年9月22日
■叡王戦■
豊島将之叡王 31歳4ヶ月 第6期第5局 2021年9月13日
■王座戦■
羽生善治王座 46歳11ヶ月 第65期第4局 2017年9月11日
■棋王戦■
郷田真隆棋王 42歳0ヶ月 第38期第4局 2013年3月24日
■王将戦■
大山康晴王将 59歳11ヶ月 第32期第5局 1983年3月4日
■棋聖戦■
大山康晴棋聖 54歳10ヶ月 第31期第5局 1978年2月6日
■朝日杯将棋オープン戦■
羽生善治名人 45歳4ヶ月 第9回 2016年2月13日
■銀河戦■
丸山忠久九段 53歳1ヶ月 第31期 2023年11月1日
■NHK杯将棋トーナメント■
大山康晴十五世名人 60歳11ヶ月 第33回 1984年2月27日
■将棋日本シリーズ■
大山康晴王将 59歳6ヶ月 第3回 1982年10月31日

大山十五世名人と羽生九段が多く、それぞれ5回、3回である。
藤井聡太竜王・名人は現在数々の最年少記録を打ち立てているが、最年長記録を打ち立てると、さらにハクが付く。ただし、それを私自身が確認できないのが口惜しい。
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