一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

青野九段、引退確定

2024-01-12 23:45:59 | 男性棋士
きのう11日の第82期C級2組順位戦で、現役最年長の青野照市九段は、現役最年少の藤本渚四段に敗れ、降級点を取った。これで3つめとなり、規定により、現役引退が確定した。
青野九段は1974年4月、四段デビュー。修業時代に山田道美九段の研究会に入っていたこともあり、居飛車での急戦を得意にした。また文章も達者で、若手のころから専門誌に連載を持っていた。
順位戦は着々とクラスを上げ、1983年、A級八段。十段戦や王位戦のリーグ入りも経験した。
その青野九段を有名にしたのは、1980年代に考案した対振り飛車の急戦策である。これを米長邦雄永世棋聖がタイトル戦で愛用し、ふたりの所在地が中野区鷺宮であったこと、また米長永世棋聖が敬愛する升田幸三実力制第四代名人も同所に住んでいたことから、「鷺宮定跡」と名付けられた。
1989年、第37期王座戦で中原誠王座に挑戦し、一時は2勝1敗とカド番に追い詰めたが、以後を連敗し、大魚を逸した。
しかしこれより有名な戦いは、1991年2月に指された、第49期A級順位戦8回戦、VS大山康晴十五世名人戦である。この期は両者とも不調で、この将棋の前まで、どちらも2勝5敗。すなわち本局が、実質的な残留決定戦だった。
将棋は序盤で大山十五世名人にポカがあり、金桂交換の駒損になってしまう。
しかし大山十五世名人は妖しく粘り、形勢逆転とする。しかし終盤で一失あり、再び青野九段が勝勢となった。
ところがそこで大山十五世名人に意表の受けが出て、動揺した青野九段は悪手を指してしまう。結果は大山十五世名人が辛勝し、青野九段は無念の降級となったのだった。
このときのことを青野九段は、「ああいう将棋は忘れるに限ります」という意味のことを述べている。
しかし本局は紛れもなく、名局のひとつに数えていいと思う。
2010年代には、横歩取り(▲3四飛)の形から右桂を跳ね、▲5八玉型に構える戦法を指す。これも大流行となり、升田幸三賞を受賞した。
このように、青野九段は晩年まで新構想を描いていた。
A級には通算11期。タイトル獲得こそならなかったがタイトル戦に登場し、あらゆる名棋士との対局も実現した。棋士としては大成功の部類に入る(話は脱線するが、青野夫人は大変な美人で、個人的には、これだけでもう、人生の勝利者と思える)。
そんな青野九段は現在、公式戦798勝である。残る棋戦は竜王戦6組昇級者決定戦、C級2組順位戦2局、王将戦、棋王戦、NHK杯である。あと2勝はなんとも微妙なところだが、青野九段の最後の踏ん張りに期待したい。
コメント (3)
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