国分行きの日豊本線は2両編成だった。天下の日豊本線といえども内実はローカル線で、普通列車の乗車率は低い。
12時39分、隼人着。8分の待ち合わせで、肥薩線に乗り換える。今回は吉都線に乗るのが目的だが、肥薩線も歴史ある路線で、鉄道ファンなら一度は乗車したい。
その肥薩線は2020年7月の豪雨災害で一部不通になっている。JRになってからというもの、ほとんどが赤字路線のJRは、災害での不通を理由に、鉄路を廃止し、バス転換を図ろうとしている。たとえばJR北海道の日高本線がそうで、2015年に受けた災害がもとで、2021年4月に部分廃止している。
さらに今年は、根室本線の一部も廃止されそうである。まったく、油断もスキもない。
ちなみにJR東日本の只見線は2011年7月の新潟・福島豪雨で一部路線が休止されていたが、2022年10月、奇跡の全線復活を果たした。これなど稀有な例で、一命を取り留めた只見線は幸せである。
そんなわけだから肥薩線の不通区間だって、そのまま廃止もあり得る。「JR」の名称を持ちながら、会社はJRの廃止に躍起になっている。おかしな会社である。
当列車は吉松行きなので、吉松までは通じているということだ。
乗客はこの車両に私だけ、前の車両もひとりだけという贅沢さである。列車は山間部を走る。40分近く経ったところで、大隅横川に停車した。この駅舎は木造なのだが威風堂々とした佇まいで、歴史を感じさせる。ちょっと下車してみたいが、そんな余裕はない。
13時46分、列車は吉松に到着した。次の吉都線は15時58分なので、約2時間の滞在となる。
そこで駅の時刻板を見ると、肥薩線は吉松以北の記載がなかった。つまりここまでが運転区間ということだ。
そして、吉松発の列車は、14時36分というのがあった。これに乗れるなら、乗りたい。
まずは旅行貯金である。駅から少し離れたところに郵便局があるのは調べていたが、方角が分からない。
駅前に食堂があったので、そこのおばちゃんに教えてもらい、向かった。大きな川を渡り、左に折れると郵便局があった。「吉松郵便局・1214円」。12月の貯金額は高い。
駅前には共同温泉があって入りたいが、時間がない。とりあえずさっきの食堂で食事を摂ろうとしたら、午後2時で閉店だった。ふだんは客も来ないんだろうから仕方ないが、こういうところのちゃんぽんは美味いのである。
食堂の横にある鉄道資料館に入り、適当なところで列車に乗り、出発した。
が、どうも景色がおかしい。窓外がさっきと同じ景色で、ちっとも分岐しないのである。そのうち、「次は栗野」とか放送が入った。
「栗野?」それ、さっき通ってきた駅じゃねえか!
私は何を錯覚したのか、肥薩線の折り返し列車に乗ってしまったのである。そうだそうだ、こっちに来るときは、15時58分の列車に乗るつもりだったんじゃないか! それがどうして……。
ここに、列車の時刻をスマホで調べる弊害が出た。ダイヤを俯瞰で見られないので、どうしてもミスが出る。少なくとも今回は3日間、相当数の列車に乗ることが予想される。本当なら小型時刻表を携行すべきなのだが、本屋がない!
それはともかく、ここで冷静に考えると、15時58分の列車で都城まで行くとして、あすの13時までに、大村線の川棚駅に着くのだろうか。むろん、「旅名人きっぷ」のみを使ってである。ちょっと無理なんじゃないだろうか。
しかしこのまま隼人から鹿児島中央に戻ったら、半日がムダになってしまう。ここは意地でも、吉都線に乗らねばならないのだ。
私は栗野をやり過ごし、次の大隅横川で降りた。例の、由緒ありそうな駅である。果たして駅舎は創建当時のもので、その黒ずんだ色合いが歴史を感じさせる。
表に出て駅舎を撮ると、道の向こうに郵便局の看板が目に入った。私の旅行貯金は1日1回と決めているのだが、Myルールは例外だらけで、ここでも禁を破る。「横川郵便局・1214円」。
駅舎に戻って鑑賞していると、ホームの柱に穴が開いていた。戦争中、米軍に撃たれたものらしく、これだけをとっても歴史的価値がある(2006年10月、国の登録有形文化財に登録された)。
15時17分の吉松行きに乗った。これで完全に吉都線と心中である。
タイム18分で再び吉松着。くそう、この錯覚がなければ、駅前の温泉にも入れたし、吉松郵便局の帰りに見つけた食堂(駅前のとは別)にも入れた。有意義な2時間を過ごせたはずなのに、悔しい。
ひとり旅の功罪はいくつかあるが、おのがミスを誰も指摘してくれないのが痛い。ひとり旅はすべて自己責任なのだ。
15時58分の吉都線に乗る。列車は山間部を走り、肥薩線のそれとあまり変わらない。ともあれ念願の吉都線、というところだが、沿線にある「えびの」「小林」という駅に記憶があった。
それで思ったのだが、私が学生時代に九州を旅行したとき、この路線に乗っている。あのときは九州ワイド周遊券を使いつくしたので、吉都線にも乗ったはずだ。それを失念して再訪するとは、いよいよ私もヤキが回ったか。
そのせいでもないが、スマホで今夜の宿を調べ始めた。ざっくりとだが、川内までは行けるのではないか。それで、楽天トラベルでその周辺を探したら、3,000円ちょっとの安宿があった。
早速予約したが、最後のところでパスワードを求められた。いままではそれがなくてもスムーズに予約できたのに、こんなことは初めてである。それで、心当たりのパスワードを入力したのだが、ことごとくハジかれた。
なんでこんな面倒なことになったかと考えるに、6月にPCのメールアドレスを変更したことだろうか。だって、2月の北海道旅行ではスンナリ予約できたのだから。
どうにも埒が明かないからパスワードを変更したが、ワンタイムパスワードの返信が旧メールアドレスに送信されてしまい、やっぱり私は開くことができない。
きょうはどこかに泊れるんかこれ……。
私は吉都線の車内で、途方に暮れてしまった。
(24日につづく)
12時39分、隼人着。8分の待ち合わせで、肥薩線に乗り換える。今回は吉都線に乗るのが目的だが、肥薩線も歴史ある路線で、鉄道ファンなら一度は乗車したい。
その肥薩線は2020年7月の豪雨災害で一部不通になっている。JRになってからというもの、ほとんどが赤字路線のJRは、災害での不通を理由に、鉄路を廃止し、バス転換を図ろうとしている。たとえばJR北海道の日高本線がそうで、2015年に受けた災害がもとで、2021年4月に部分廃止している。
さらに今年は、根室本線の一部も廃止されそうである。まったく、油断もスキもない。
ちなみにJR東日本の只見線は2011年7月の新潟・福島豪雨で一部路線が休止されていたが、2022年10月、奇跡の全線復活を果たした。これなど稀有な例で、一命を取り留めた只見線は幸せである。
そんなわけだから肥薩線の不通区間だって、そのまま廃止もあり得る。「JR」の名称を持ちながら、会社はJRの廃止に躍起になっている。おかしな会社である。
当列車は吉松行きなので、吉松までは通じているということだ。
乗客はこの車両に私だけ、前の車両もひとりだけという贅沢さである。列車は山間部を走る。40分近く経ったところで、大隅横川に停車した。この駅舎は木造なのだが威風堂々とした佇まいで、歴史を感じさせる。ちょっと下車してみたいが、そんな余裕はない。
13時46分、列車は吉松に到着した。次の吉都線は15時58分なので、約2時間の滞在となる。
そこで駅の時刻板を見ると、肥薩線は吉松以北の記載がなかった。つまりここまでが運転区間ということだ。
そして、吉松発の列車は、14時36分というのがあった。これに乗れるなら、乗りたい。
まずは旅行貯金である。駅から少し離れたところに郵便局があるのは調べていたが、方角が分からない。
駅前に食堂があったので、そこのおばちゃんに教えてもらい、向かった。大きな川を渡り、左に折れると郵便局があった。「吉松郵便局・1214円」。12月の貯金額は高い。
駅前には共同温泉があって入りたいが、時間がない。とりあえずさっきの食堂で食事を摂ろうとしたら、午後2時で閉店だった。ふだんは客も来ないんだろうから仕方ないが、こういうところのちゃんぽんは美味いのである。
食堂の横にある鉄道資料館に入り、適当なところで列車に乗り、出発した。
が、どうも景色がおかしい。窓外がさっきと同じ景色で、ちっとも分岐しないのである。そのうち、「次は栗野」とか放送が入った。
「栗野?」それ、さっき通ってきた駅じゃねえか!
私は何を錯覚したのか、肥薩線の折り返し列車に乗ってしまったのである。そうだそうだ、こっちに来るときは、15時58分の列車に乗るつもりだったんじゃないか! それがどうして……。
ここに、列車の時刻をスマホで調べる弊害が出た。ダイヤを俯瞰で見られないので、どうしてもミスが出る。少なくとも今回は3日間、相当数の列車に乗ることが予想される。本当なら小型時刻表を携行すべきなのだが、本屋がない!
それはともかく、ここで冷静に考えると、15時58分の列車で都城まで行くとして、あすの13時までに、大村線の川棚駅に着くのだろうか。むろん、「旅名人きっぷ」のみを使ってである。ちょっと無理なんじゃないだろうか。
しかしこのまま隼人から鹿児島中央に戻ったら、半日がムダになってしまう。ここは意地でも、吉都線に乗らねばならないのだ。
私は栗野をやり過ごし、次の大隅横川で降りた。例の、由緒ありそうな駅である。果たして駅舎は創建当時のもので、その黒ずんだ色合いが歴史を感じさせる。
表に出て駅舎を撮ると、道の向こうに郵便局の看板が目に入った。私の旅行貯金は1日1回と決めているのだが、Myルールは例外だらけで、ここでも禁を破る。「横川郵便局・1214円」。
駅舎に戻って鑑賞していると、ホームの柱に穴が開いていた。戦争中、米軍に撃たれたものらしく、これだけをとっても歴史的価値がある(2006年10月、国の登録有形文化財に登録された)。
15時17分の吉松行きに乗った。これで完全に吉都線と心中である。
タイム18分で再び吉松着。くそう、この錯覚がなければ、駅前の温泉にも入れたし、吉松郵便局の帰りに見つけた食堂(駅前のとは別)にも入れた。有意義な2時間を過ごせたはずなのに、悔しい。
ひとり旅の功罪はいくつかあるが、おのがミスを誰も指摘してくれないのが痛い。ひとり旅はすべて自己責任なのだ。
15時58分の吉都線に乗る。列車は山間部を走り、肥薩線のそれとあまり変わらない。ともあれ念願の吉都線、というところだが、沿線にある「えびの」「小林」という駅に記憶があった。
それで思ったのだが、私が学生時代に九州を旅行したとき、この路線に乗っている。あのときは九州ワイド周遊券を使いつくしたので、吉都線にも乗ったはずだ。それを失念して再訪するとは、いよいよ私もヤキが回ったか。
そのせいでもないが、スマホで今夜の宿を調べ始めた。ざっくりとだが、川内までは行けるのではないか。それで、楽天トラベルでその周辺を探したら、3,000円ちょっとの安宿があった。
早速予約したが、最後のところでパスワードを求められた。いままではそれがなくてもスムーズに予約できたのに、こんなことは初めてである。それで、心当たりのパスワードを入力したのだが、ことごとくハジかれた。
なんでこんな面倒なことになったかと考えるに、6月にPCのメールアドレスを変更したことだろうか。だって、2月の北海道旅行ではスンナリ予約できたのだから。
どうにも埒が明かないからパスワードを変更したが、ワンタイムパスワードの返信が旧メールアドレスに送信されてしまい、やっぱり私は開くことができない。
きょうはどこかに泊れるんかこれ……。
私は吉都線の車内で、途方に暮れてしまった。
(24日につづく)