さて、半年前の藤吉郎に戻す
松下家の新入りの殿様直属の下男という触れ込みで日々暮らしている
寺で働いたことも経験となって細々した仕事までこなすものだから、誰もが重宝して愛されている。
藤吉郎が牢から解放される前日、極悪の罪人が一人屋敷の隅で斬首された
その遺骸は運び出されて無縁塚に葬られた
そして殺されたのは美濃から来た間者であったと噂が流された、この話を聞いた本当の美濃の間者はそれが藤吉郎と確信して明智十兵衛に伝えた。
今、藤吉郎は幽霊なのである、本人はなんら気にしていない。
あれからもう半年もこの家で世話になっている、藤吉郎は剣術がからっきしであったから嘉兵衛は剣術を学ばせた
また兵法や戦術の学問も学ばせたから、藤吉郎はめきめきと実力がついてきた
それに身の回りの世話は初女がしてくれるので不自由なく暮らせる
「足軽風情の私に、なぜこれほどまでに親切にしていただくのでしょうか」藤吉郎は不思議でならない
「なあに、一目見ておまえには身分以上の大きなものが備わっているような気がしたのじゃ
牢の中ではひたすら経を詠んでいる、どんな食事でもうまそうに食べるという
そんなまっすぐなお前を見ていると殺す理由が見当たらぬ、
しかも僧の修行もしたというではないか、僧侶を殺せば罰が怖いからのう
それにわしが明智に言われて罪なき者を殺す理由もないからのう、
下男として働く姿を見ても言いつけられたことは必ず上手にやってのける
道具がなければ、いつの間にかどこぞで手に入れてくる、それが不思議だ
商人、僧侶、百姓、足軽、職人それに学者にもなれそうじゃ、何をやっても器用な男じゃ
仕事を頼んでもまことに気持ちが良い、「はい」の二つ返事でいやな顔せずやってくれる、このまま儂の元で働いてもらいたいくらいじゃ
おまえには人を引き付ける何かがある
それに生まれた年まで同じであるからのう、因縁じゃ」
別れの時が来た
「もはや明智づれは、お前のことなど忘れ去ったことだろう、もう大丈夫だ
しかし美濃だけは決して行くではないぞ、
つらいだろうが、できれば小六とやらにも会わぬ方が良い、どこから漏れるかわからぬからのう、因縁があればまたいつか会えるだろう、儂同様にな」
初女も、すっかり藤吉郎に慣れて別れを泣いていた
「おまえに褒美として初女をつけてやりたいが今川家では他国者との婚姻はご法度故」
「いやいや、命を救っていただいただけで十分でございます、この上、何を
望みましょうか、殿様にはほんとうにお世話になりました」
「困れば、いつでも訪ねてくるがよい、さらばじゃ」
商人姿で尾張に向かった、懐には松下嘉兵衛のお墨付きを持っているから今川領内は無事に行けるはずである。
藤吉郎は経験を重ねて大きくなった、また次のステップが待ち受けている。
駿府を発った藤吉郎の形は行商人姿であった
背には駿府で仕入れた茶をどっさりと担いでいる
美濃を発った時に明智十兵衛にもらった金子、そして松下嘉兵衛からも餞別をもらったので、それを元手に仕入れたのだ。
駿府に半年いたが、そこから眺める富士の山の雄大な美しさは藤吉郎に大きな希望を与えてくれた
未だ自分の進む道を決めあぐねている、武士を目指すのか、商人を目指すのか、そのどちらかだということだけはわかる
本当の父親は足軽頭で戦場の傷がもとで死んだと聞いた、武士はつねに死と隣り合わせである、足軽から武士になれることは稀だ
しかし力があれば斎藤道三のように裸一貫の素浪人でも一国の主になれる
駿府の東を少し進めば、その先は北条家の国だという、その国を作った初代も素浪人だったと聞いた、いまや今川領に負けぬ大国だという
しかし現実はこのとおりだ、家来一人いないこの身である、だが一時とはいえ15人の頭になったこともある
蜂須賀の小六に言わせれば、それだけでも300貫の侍の価値があるという
小六自身は1000貫の武士に等しいと威張っていた、案外出世は身近にあるのかもしれぬと思うことがある。
浜松を過ぎて三河に入った、ここがいま一番危険地帯なのだ
安城、刈谷とやってきたところで立ち止まった、那古屋はもう目と鼻の先に迫っている
が、考えた、今は那古屋や清州に立ち寄る時ではないと
考えてみれば中村の藤吉郎はこの世にはいない人間になっているのだ、尾張に行けばいつなんどき三蔵たちの仲間に出会うかもしれない
ほかにも知人はいる、たちまち小六様にも知れるだろう、風がおきる
(おれは幽霊藤吉郎なのだ)と心の中で叫んだ、なんとも情けない気持ちがこみ上げてきた
だが、このような時間は貴重でもある、いっそこのまま世の中を見て歩くのも悪くないと思った
それで知多を横切って伊勢湾に出た、そこから浜辺を南下して湊を探した
やがて伊勢に渡る船を見つけて乗り込んだ
船は安濃津に入った、このあたりから鈴鹿にかけては関氏一族が支配する地域で、南に下れば名族公家大名北畠氏が支配する伊勢地方である
藤吉郎は茶を売りながら亀山城下から鈴鹿を経て甲賀に入り、野洲川に沿って下って行った
そしてついに琵琶湖に到達した、初めて見る琵琶湖の大きさに感動した
富士の山を見た時と同じ心持であった、なにか自分の前途が大きく開けていくような気がした。
「都に行くなら船の方が楽で速いよ」船頭に誘われるまま琵琶湖横断の船に乗った
河の渡し船には何度も乗ったが、海のような琵琶湖を大きな船で渡るのは初めてだ、大坂、堺からの様々な物資が京を経て琵琶湖から美濃、近江、越前まで運ばれるのだという
京を抑えている足利将軍の執事、三好氏と、京所司代の長、松永弾正は荷が動くたびに税をかけて大きな利を得ているという。
時は天文21年(1552年)、藤吉郎は胸躍る気分で京の都に入った
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます