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空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 137 勝っているのか負けているのか

2023年01月27日 17時27分01秒 | 貧乏太閤記
 秀吉は何をしていたかと言うと戻って来た小西行長を叱責していたのだ
「行長よ、そなたは清正の非の数々を治部少に伝えたそうじゃな、それは良い
清正には帰国を命じ、謹慎処分を言い渡した。
だが、そなたも清正とは逆の罪があることがわかった」
「それは・・・?」
「口を挟まず話を聞け! 平壌を捨てて逃げ出したとというではないか、これは敵前逃亡である、すでに島津家臣と豊後の大友義統を同じ罪で改易した
そなたも改易! と言いたいところだが、渡海以来第一線で苦労を重ねていることを考慮して今回は見逃そう、明日朝鮮に戻って励むがよい、借りを返せよ」
大友は九州の名門、大友宗麟の嫡子でありながら敵勢に怯えて、平壌の前線で苦戦していた小西勢を見捨てて後方に逃げたのだった。
これには小西も立腹を越えて、首を刎ねたいほどの衝動にかられたのだった。だから最前線で二年も戦い、兵員の半数近くまで犠牲になった小西からみれば、「大友などと一緒にされてはたまりません」と言いたいところであった

 小西は、しばし日本で休養かと期待したのに休む間もなく朝鮮に返された、しかし明の使節は6月末まで日本に滞在して秀吉から厚くもてなしを受けた。
その間、6月下旬には名護屋に帰っていた石田、大谷、増田の三奉行が秀吉から新たな命令を受けて朝鮮に再び渡った。
「漢城を失うのじゃ、代りに、もくそ城(晋州城)を何が何でも攻め落とせ
全羅道、慶尚道、江原道、忠清道は全て押さえよ」という命令であった。
昨年10月に晋州城攻撃は失敗したが、善戦した敵の城将の金時政の役職を牧使と朝鮮人が言うのを聞いて、発音をまねて城名として日本軍は「もくそ城」と呼ぶようになったと言う。
秀吉は、その「もくそ城」を再度せめて占領せよと命じたのだ。
これを落せば李舜臣の水軍基地を叩くことも可能となり、叩かずとも陸に近づけぬように城を築くことが出来る。
すでに釜山を中心にいくつもの城を築いている、これは秀吉の心の中にも「万が一」の気持ちが出てきたからである、諸将からの連絡もどことなく厭戦気分を感じるのだった。
黒田官兵衛などは朝鮮から戻ってきて、秀吉にこの度の晋州城攻めに抗議をしてきたのである、これが他の武将であれば秀吉は直ちに改易か切腹を申し付けたであろう。
さすがに毛利攻からの軍師であり、今の太閤秀吉があるのも半分は官兵衛の功績と言ってもよいのだ、それでも秀吉は官兵衛を𠮟りつけた、もう昔の秀吉ではない、天下人の誇りがある、過去に縛られていれば示しがつかぬ
官兵衛に即刻朝鮮に戻るよう厳しく言った、官兵衛は不満を持ったまま戻っていった。

 秀吉の心境は複雑である、時には気弱になり、時には世界征服をも企てる大胆さを持ってみたりする。 
別の言い方をすれば、精神不安定、情緒不安定ともいえよう
秀吉は天下平定したけれど、老域に達していた。 なにが寂しいと言えば、突然に自分が客観的に見える瞬間である
気持ちは少しも衰えていない、命がけの金ケ崎の退き陣、明智や柴田を攻め滅ぼした時の勢いそのままの記憶がよみがえる、だが現実の戦は諸将に戦わせて、自分は後方でゆうゆうと采配を振る戦ばかりになった。
四国、九州、小田原、すべて鉄砲玉が飛んでくる現場にはいなかった、戦後処理だけで、淀殿や京極殿を連れての物見遊山のような戦ばかりだ。
「老いたのか」それを感じるのは、駆け抜けてきた人生の中で出会った敵味方の多くが、この世にはもういないというのを思った時だ
指折り数えてみる「浅井、浅倉、武田、明智、柴田、北条、上杉謙信、織田信長、蜂須賀小六、竹中半兵衛、斎藤道三、市姫、母、秀長、秀勝、於次秀勝、小吉秀勝・・・・・」数えればきりがない
あの頃「にっくき敵」と思った人々が妙に懐かしい、一対一で向き合い、互いの全力を出し切って戦った、今の大掛かりで退屈な戦ではない。
浅井長政、柴田勝家、明智光秀、今は褒めたたえたい、それらの家臣にも自分の家臣にしたいほどの猛者や勇士がいた
そんな敵だった者たちはもういない、だが敵対したが今は共に朝鮮に向き合っている者も少しはいる
徳川家康、島津兄弟、長曾我部、毛利一族、足利義昭、六角などがそうだ
そう思うと、急に彼らの存在が泣きたいくらい愛おしくなってきた。

 秀吉から命じられた三成が朝鮮在陣の諸将に伝えて、6月20日より晋州城への攻撃が始まった、今度は最初から義軍に備えて輜重隊は厳重に守られた
その為、晋州城は一週間の籠城戦の末、全滅して占領された
晋州城の城将の首は名護屋に送られて、晒された
晋州城落城の日、明の使節は秀吉からの講和条件を持って帰った
その内容は次のようだったと言われている
この度、大明国皇帝が日本国に従うことを決めたのは、まことに殊勝である
以前より申した通り、儂は大明国を攻めることは中止する
また大明国皇帝は今まで通りに国を治めることを許す。
今後、朝鮮の宗主国は日本となるので、大明国は朝鮮への全ての権益を放棄して、日本の指示に従うべし。

1,明の皇女を日本の帝の側室に差し出すこと、朝鮮の皇子と大臣を各一名、人質として差し出すこと
2,明と日本の勘合貿易を足利時代同様に復活させる
3,有事には朝鮮は日本の先陣として出陣する
4,日本は朝鮮全土を収めたが、大明国に北部の四道を返還するから、明はその四道を朝鮮に与える、などなど

 秀吉は明国の使者が、まさか沈と小西が和平のために送った偽使者とは思いもよらず、明を従えたつもりで考えた条件提示であった。
使者はこの文書を持って、釜山に渡り、そこで待っていた沈に渡した、これで偽使者の役目は終わった、彼らは遼東軍の副将の家臣であった。
ここから先は、小西と沈の仕事である
まさかこのような秀吉からの正式文書を明の皇帝に出すわけにはいかない、怒った明皇帝によってたちまち戦争が再開されるからだ
そこで、今度は明の皇帝には倭の国王秀吉が、明の皇帝に臣従すると全く逆のパターンを伝えることにした。
 晋州城を落して日本軍が入城した、苦労して手に入れただけに諸将の喜びはひとしおで、その家来たちともなればなおさらであった。
久しぶりに腹いっぱいに食べ、飲んだ







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