神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

空想歴史小説 貧乏太閤記9 守護代との戦い

2022年09月19日 19時02分03秒 | 貧乏太閤記
同じころ尾張の国
今まで家臣とはいえ勇猛な信秀が睨みを利かしていたので、守護代と言えども動くことができなかったが、野望は持っていたのだ
清州の守護代織田信友が動いた、織田信長を襲って殺し那古野を奪い、尾張一の良港津島の湊を手に入れようと考えた
ここは信長の豊かな財源を生み出す打ち出の小づちなのだ、前からよだれが出るほど欲しかったのだ

しばし休憩
天子様、将軍、朝廷、関白、守護、守護代、奉行、大名、管領(かんれい)などの言葉が出てくる
天子とは天皇のこと、神武天皇から令和の今日まで脈々と神武天皇の血筋が一系で続いている(らしい)世界で唯一の君主の血統だ
但し、天皇自ら政治を行ったのは飛鳥時代くらいまでで、蘇我氏、藤原氏など有力家臣による貴族・関白政治が平安時代まで続き、
その後、源氏が鎌倉に幕府を開き、そこが天皇政治と武家政治の分水嶺であった。
明治維新で天皇に政権が帰属したというが当時明治天皇は少年で、結局薩長政治(洋服を着た武家政治)+生臭公家による政治体制だった。

(今の時代は「国民の象徴」と憲法に書かれていて政治支配の権限はない)

朝廷とは、天皇とその補佐をする公家たちの政治機構、内閣のようなものだ

関白(かんぱく)とは天皇の家臣の最高位、実質的に政治を司る

将軍とは征夷大将軍のことで、天皇が任命する 朝廷軍の長
天皇の皇子、貴族、武士の頭領などが任命された
「武家の頭領」と言われ、全国の武士の頂点である。 坂上田村麻呂、源頼朝、足利尊氏、徳川家康などが有名。

守護は、現在の都道府県知事に値する、ただし権力あるものは5県も6県も兼任し、武家の頭領将軍をしのぐ権力を持つ守護もいた。


守護代は、守護が天皇のいる都に居たり、多くの国の守護を兼任する場合、その代理として守護代を任命して分国の政治を任せた
織田大和守、上杉謙信の父の長尾為景などは守護代

奉行は守護や守護代に仕える代官、県会議員のボスくらいかな?
織田信長の父、信秀は織田大和守の3人の奉行の一人

大名とは江戸時代には1万石以上の武家を大名とした
それ以前の大名とは日本各地に起こった武士の親分たちを言う、戦国大名とか守護大名とかいう。守護はもれなく大名だが、初期の織田信長クラスも戦国大名と呼べるだろう

管領(かんれい) 足利将軍に従う大名や、足利一門の中から、足利将軍に任命された
細川家、斯波家、畠山家は足利の一門で交代で近畿、四国一帯を支配した
ほかに関東の武士を従える関東管領がある

本題に帰る
織田大和守は、うつけと噂される信長から那古野城と津島湊を奪うチャンスと見た、
重臣坂井大膳に兵2000を与えて信長方の城を攻め落とし、信長の叔父と弟を監禁した
そして信長に敵対する信長の弟の信勝にも信長攻撃を誘った、しかし信勝には急を知った信長からも坂井を撃つよう使いが来ていた

「わしは守護代殿とともに兄を討つ」と信勝が家老の柴田勝家に言った
すると勝家は「殿と信長様だけの戦であれば、拙者はまっしぐらに信長様の首を挙げましょう、されど今日は逆臣坂井大膳が、殿の叔父上と弟君を攻め落としたのでござる、
ここで殿が坂井に与すれば御一門の非難を受けましょう、ここは信長様にお味方して奪われた城を取り返し叔父と弟を救うのが道理だと思います」
信秀のもとで歴戦の勇士と言われた猛将の言葉は重い、信勝も仕方なく信長に味方して先鋒となって大和守方と戦った
柴田は真っ先に駆け込み、敵将の首を挙げた、敵は総崩れとなって清州城に逃げ帰って、奪われた城と人質を取り返した。
これでしばらく大和守は鳴りを潜めることになる。

父信秀が頑張っていたころ好き放題をやっていた信長だが、父が死に東方から今川の圧力を受け
国内では反信長運動が密かに進みつつある
さすがの信長も、お茶らけていられない状況に気づき始めている、なんとしてもここは自分の強さをアピールする必要がある
それで思い付いたのは、今まで鼻もかけなかった奥の実家、美濃の斎藤道三の後援を正式に受けることだった。
あまりにも自分が親父殿の力を背景に傲慢であったことに身がすくむ思いであった
ここで道三に背を向けられたら間違いなく信長は消されてしまう、今川にしろ斉藤にしろ信長の背後の不満分子に手を貸せればあっという間だ
信長に従う手持ちの兵力は総動員しても3000にならぬ、今川は2万、3万の動員力があるという

ついに決意した、いまだ顔も見ていない道三に会いに行こう、奥の里帰りもかねて一緒に連れて行こう
そして今までの無礼を素直に詫びようと思った
それとは裏腹に、あまりにも低姿勢ではかえって組みしやすしと逆効果になることも思って最新の織田軍を雅やかに見せようと思った
朱塗りの長槍は他家のものより遥かに長い、これは織田信秀家伝統のオリジナルである、長いということはそれだけ腕力が必要ということだ
その代わり敵の槍が届かぬところから攻撃ができる利点もある、槍合わせは叩きあいだから織田の足軽はその鍛錬に時間を費やしている。

だがそれだけでは美濃の斎藤道三は驚くまい、なにか「参った」というほどのものが欲しい、信長は答えが出ないでいた
家臣たちに聞いても誰も答えることができない、信長は癇癪持ちだから下手なことを言えば面倒なことになるからだ
だが誰も言わなければ、それはそれでまた癇癪を起こす原因になる、なんとも仕えづらい殿様なのだ。
だが信長にしてみれば斎藤道三にどんな印象を与えるかで織田家の命運が決まる、
そんなとき、最近売り出し中の若侍、信長のお気に入り前田又左衛門が「御屋形様、これはいかがでありましょうや」と言ってきた。















最新の画像もっと見る

コメントを投稿