アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリング、コンサルティングを行っています。
アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

前回『生きる意味を求めて』を読み解くことに関して申し上げたい柱として次の2つに絞りました。

1.アドラーの目的論・・・・前回の②で取り上げ

2.人生の意味を共同体感覚と結びつけて・・・・今回の③で取り上げ


予告どおり今回は、『生きる意味を求めて』でのアドラーの記述をもとに人生の意味を共同体感覚と結びつけながら読み解き、最後には私見を加えます。


まずアドラーは、人生の意味を人間そのものではなく人間と宇宙の関連システムと結びつけて捉えます

「人生の意味について問うことは、人間と宇宙の関連システムから目を離さない時だけ価値と意味がある。その際、宇宙がこの連関において形成する力を持っていることは、容易に理解できる。宇宙は、いわばすべて生きているものの父である」(第15章、P.220)

アドラーは、共同体の最小単位を人と人との結びつき(典型的には家族)、最大単位を宇宙としています。ここで忘れてはならない視点は、いきなり家族から宇宙に飛躍するのではなく、その間に地域、国家、世界(地球)が存在することです。
言い換えれば、アドラーは、人生の意味を人それ自身の中ではなく、「より広い共同体(果ては宇宙にまで広がる)とのかかわり・つながり」の中に見出していると言ってもいいでしょう。

となると、共同体の構成員としての個人は、現実の地域や国家のあり方に従わなければならないのでしょうか?
そのことに関してアドラーは、次のように現実の共同体ではなく「理想の共同体」を想定しています。

「共同体感覚は、とりわけ共同体の形への追求努力を言うが、この共同体は、例えば人類が完全の目標に到達した時に考えることができるような永遠のものと見なさなければならない。決して現在ある共同体や社会が問題になっているのではなく、政治的なあるいは宗教的な形が問題になっているのでもない。むしろ完全のために最も適当な目標が問題であって、それは全人類の理想的な共同体、進化の最後の完成を意味する目標でなければならない」(第15章、P.224-5)

「われわれの人類の究極的な形としての共同体感覚についての理想―すべての人生の課題と外界への関係が解決されるとわれわれが考える理想の状態は、方向を与える目標であり、この完全の目標は、それ自身のうちに、理想的な共同体の目標を持たなければならない。なぜなら、われわれが価値があると考えるすべてのこと、存在し、存在し続けるすべてのものは、永遠にこの共同体感覚の産物だからである」(第15章、P.225)

「人類の発展は人類が共同体であり、理想の共同体の完成を求めて努力したからこそ可能であった」(第15章、P.231)

アドラーは人を、人間であるための劣等感を源泉として共同体感覚という目標に対して努力する存在だと見なしています

「人間であることは劣等感を持つことである」(第6章、P.79)

「中断されることのない時間の変化にあって、克服しようというあらゆる運動を方向づける。そして共同体感覚の要素が、この上へと向かって追及する努力の色合いを変えるのである」(第5章、P.77-78)

そして、アドラーは、生の問題のすべてを共同体感覚で測り、失敗と呼んでいるものは、共同体感覚の欠如だと断定しています。

「人間の生の問題のすべては、私が指摘してきたように、協力の能力とそれへの準備―これが共同体感覚のしるしである―を要求する。勇気と幸福はこの傾向の中に含まれており、これらを他のところで見つけることはできない」(第15章、P.232)

「おそらく多くの人には、われわれが失敗と呼んでいるものは、すべて共同体感覚の欠如を示しているという単純な事実が、最も強く納得されるだろう。子ども時代や成人の生活におけるすべての失敗、家族、学校、人生、他者との関係、仕事、愛における悪しき性格特性は、共同体感覚の欠如に起源がある。それらは一過性のこともあれば持続することもあり、さまざまな仕方で表れる」(第15章、P.232)

以上のように理想的に考えるアドラーは、次の記述を読むと、進化の理論を楽観的に受け入れていることが分かります

「個人心理学は進化の土台の上にしっかりと立っている」(第2章、P.30、)

「人生とは発展するということである」(第15章、P.220)

さらには、人間の進化(進歩)を完全に性善説で捉えています。

「古くからの論争の的となっている問題、即ち、人間は本性的に善か悪かという問題」に関して「発展し、止むことのない共同体感覚の進歩は、人類の存在は『善くある』ということと分かちがたく結びついていると仮定することを正当化する」(第3章、P.40)


さて、ここからが私見です。確かにアドラーの時代から科学技術や経済面では進歩してきたことを認めます。しかし、人間の精神面ではいかがでしょうか?
日本の、そして世界の現状を見ると、政治面(特に最近)・環境面ではどうも進歩とは程遠い気がしてなりません。
私は、アドラーが人間の進化(進歩)を性善説で捉えていることに関しては、全面的には賛同しかねます。

現代に生きるものとしてアドラーの理想を体して生きるには、理想や究極目標を反映する共同体のために、自分の周辺をありのままに見据えながら歩まなければならないような思いがします。現代の状況に関しては、そう楽観的ではいられないのです。


Think globally, act locally.
Dream idealistically (optimistically)
, behave realistically.

*長らく連載してきたアドラー自身の本の紹介は、これで一区切りつけます。今後は、アドラーの知られざる話(こぼれ話)、エピソードを中心に気楽な話を続けるつもりです。

また、シリーズで紹介した本は、絶版の本を除いてヒューマン・ギルドで取り扱っています。ご注文ください。
図書リストもあります。ご請求ください。



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

「5月の身辺雑記」の第3回目は、私が1年ぶりに英会話レッスンを再会したことを取り上げます。

私は、1999年4月末から5月上旬にかけてモントリオールに行き、そこでジョセフ・ぺルグリーノ博士(当時は、モントリオール・アドラー心理学大学院教授)との巡り会いがありました。

「この人を師としよう」と思った私は、モントリオールから帰ってすぐ、5月のうちに会社から歩いて2分のICLS(東京都新宿区東榎町3-1-202、電話:03-5261-0287)という教室に行き、レッスン―1週間から2週間に1回の頻度での個人レッスン―を申し込んできました。

それ以来の先生が、写真(5月13日撮影)のジョージ・W・ベイツ(George W. Bates)さん
カミさんのブログ「ままごと日記」(http://polianna.exblog.jp/)に「タクロウくん」という名で登場する私の息子も中学・高校とジョージ先生のお世話になりました。

息子は、その成果があって、高校2年生の時にニューヨークに一人旅(ただし、先方では美術家の従兄弟がお世話役)。



私は、ジョージ先生のお陰で、ぺルグリーノ博士と会話やメールをする限りにおいては、さほど不自由しないくらいの力がつきました。
50歳を過ぎてからでも英語力はつくのだ」と自信を持って言えます。


現在50歳のジョージ先生。1990年9月来日以来、日本に暮らし、日本人の雅美さんと結婚されています。

彼のユニークなところは、イギリス人であるにもかかわらず、日本語がペラペラであるだけでなく漢字(特にコンピューター関連)が読めることです。
ただ、レッスン中は、ぜんぜん日本語を話してくれません。

本当は、英語教師としてのジョージ先生をどしどし宣伝したいところなのですが、最近はMCSE(Microsoft Certified System Engeneer)としてコンピューター関連で超多忙。
その合間を縫って個人レッスンを設けてくれているのであります。

感謝、感謝。



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

今回はアドラーの『生きる意味を求めて』をより詳しくご紹介します。

さて、『生きる意味を求めて』を読み解くことに関して申し上げたい柱は、次の2つです。

1.アドラーの目的論・・・・この②で取り上げ

2.人生の意味を共同体感覚と結びつけて・・・・③で取り上げ


アドラーは、当時の心理学者が信じて疑わなかった因果律を人間の精神生活にあてはめることを批判します。

「精神生活におけるあらゆる見かけの因果律は、学説を機械的、あるいは、物理的な装いのもとに作り上げようとする多くの心理学者の傾向に起因している」そして、「このような見方では、人間の精神生活が示す根本的な多様さを見ることは、ほとんどできない」(序言P.4-5)

さらにアドラーは、因果律に代わる目的論(アドラーの表現では「完成を求めての努力」)を次のように表明します。

「個人心理学は、・・・(略)・・・すべての人間の努力は完成を求めての努力である、と見なしている。身体的であれ精神的であれ、生を渇望することが、この努力と結びついていることは動かすことができない。それゆえ、われわれが知る限り、表現形式はいずれもマイナスの状況からプラスの状況への運動であるように見える」(第2章P.30)

そして、自分の理想と現状のギャップから生じる劣等感が完成を求めての努力を駆り立てる感情であると言います。

「この運動の法則は、人によってテンポ、リズム、方向が違う。達成できない理想の完成と自分とを絶え間なく比べるので、常に劣等感にとらわれ、駆り立てることになる」(第2章P.30)

続いて、「達成できない理想」、言い換えれば、「究極目標」を「魂の目標」という言い方をしながら、次のように示しています。

「人間の魂の目標は、克服、完成、安全、優越性である」(第9章P.120) 


こう読み解いてみると、アドラーが、人間精神の営みを機械的・物理的法則を用いて説明することを拒否し、人間精神にふさわしい原理を打ち立てた初めての心理学者だったことがよりクリアになります。

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生きる意味を求めて (アドラー・セレクション)
アルフレッド・アドラー
アルテ

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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

「アドラーを読もう」の第13回目、そしてアドラー自身の本の紹介の第8冊目は、『生きる意味を求めて』(原題は、“Der Sinn des Lebens”(「人生の意味)」、岸見一郎訳、アルテ、2,000円+税)。アドラーの1933年の著作です。

この本は、今まで"Social Interest(共同体感覚) : A Challenge to Mankind”(1938)として英文でも出ていましたが、英文はドイツ語の原文を大幅に削除していたため、この本は、晩年のアドラーが到達した境地(共同体感覚)をトータルに窺い知ることができる貴重な本です。

『人生の意味の心理学』が絶版になっている今、後期のアドラーの理論が体系化された本として大きな価値を持っています。

「生きる意味」を求めて読みながら、読み終わる頃には「生きる勇気」が得られる本です。

 

構成は、以下のとおりです。

第1章 自分自身と世界についての考え

第2章 ライフスタイル探求の心理学的アプローチ

3章  人生の課題

4章  心身問題

5章  体格・運動・性格

6章  劣等コンプレックス

7章  優越コンプレックス

8章  失敗のタイプ

9章  甘やかされた人の非現実的な世界

10章 一体神経症とは何か

11章 性的倒錯

12章 早期回想

13章 子ども時代における社会的に障害となる状況とその排除

14章 白昼夢と夜の夢

15章 人生の意味

付録   カウンセラーと患者

解説

 

(注)以上は、ヒューマン・ギルドのニュースレター2008年2月号に書いた内容です。

次回ポイントを絞って詳しくお伝えします。

 



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

「5月の身辺雑記」の第2回目です。

5月9日(金)は、青森への出張前にうちのカミさんと一緒に東京文化会館(上野)にモーニング・コンサートを聴きに行きました(4月3日付ブログでも予告)。

依田真宣さんのバイオリン・コンサートでした。

曲目は、次のとおりでした。

F.クライスラー「コレッリの主題による変奏曲」

J.S.バッハ「無伴奏パルティータ第2番ニ短調BWV1004」より『シャコンヌ』

R.シュトラウス「ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調op.18」

そしてアンコールが
F.クライスラー「ベートーベンの主題によるロンディーノ」

依田真宣さんは、私の大学時代からの畏友、依田宣夫さん(公認会計士・税理士)のご次男。

依田宣夫さんのことは、5月5日付の「読む顔写真」(1)http://blog.goo.ne.jp/iwai-humanguild/d/20080505 でご紹介しています。


演奏会終了後、依田真宣さんとの写真を彼のお父さんに撮っていただきました。

依田真宣さんは、5月21日(水)に立川市市民会館で国際舞台で活躍し、テレビコマーシャルでも有名な西本智美指揮の東京交響楽団と共演し、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番(「トルコ風」)を演奏することになっているのですが、チケットがとっく前に売り切れ。残念!

倍の値段を払っても聴きに行きたいのになー。

 



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

このところ「アドラーを読もう」に傾注していたため私の身辺のことをあまり書けないでいました。

アドラーの本の紹介も残るところあと1冊(場合によっては2冊)になってきましたので、平行しながら「5月の身辺雑記」を何回かに分けて書くことにします。

そこで、「5月の身辺雑記」の第1回目は、「百日行満行」です。

「百日行」というのは、日蓮宗の荒行で、百日間水行や読経などを繰り返すもので、比叡山(他の山もある)千日回峰行に続く荒行と言われています。

私にとっての「百日行」は、別に荒行ではありませんが、とにかく百日間ブログを毎日書き続けることでした。

1月23日にブログを始め、1月28日から1日も絶えることなく続けてきたこの行が、実は5月6日に満行しています。
自分でも「よくぞ書き続けてきたな」という想いがあります。

これもヒューマン・ギルドの会員を中心とした読者と、記事に対するコメントを書いてくださった方々のお陰と感謝の気持ちで一杯です。

ありがとうございました。

これからは、「行」を目的とせず、忙しい時は休みもし、気軽に取り組んで行きたいと思います。
変わらぬご支援・ご鞭撻のほど切にお願い申し上げます。



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

 昨日(5/10)は、1998年以来務めている青森公立大学非常勤講師として今年度1回目の集中講義(6時限分)をしてきました。

講座名は、「こころと自己(心理学)」5/24(土)を含めた2日間での講義(中心は2年生)です。

しかし、講義といっても、私は、学生を眠らせるようなことをしません。講義のほかに討議・演習を通じて、グループの力学を生かしながら進めていきます。

最初は、大教室で56人のグループを作ったことに不安だった学生も、講義の終わりの頃は、すっかりお互い同士かなり仲よくなっています。

定員は50名。学務課の職員によれば、それに対して300名近い応募があって、今回も抽選になったそうです。これも日本の大学の中でも先進的な青森公立大学の授業評価で私が毎回抜群の評価を得ているからです。



講義を終えて帰ろうとしたら「岩井先生!」という大声が5階の研究室棟から聞こえてきました。羽矢辰夫教授(経営経済学部長、仏教学者)でした。私をこの大学の非常勤講師として推薦くださった先生です。感謝しております。

 

ところで、青森発20:45の羽田行きの最終便に乗って、家に着いたのが夜の11時。さすがに疲れた。

 



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。
出張先の青森からアップしています。


今回は、『人はなぜ神経症になるのか』を素材にして、アドラーがいかに理論面だけでなく臨床面でも50年先を走っていたかの例を取り上げます。

この本の第2章にうつ病の患者に対するケース(P.35~38)で、アドラーは、共感的な関係を確立した上で、クライエントの行動を変えるための提案を次の2つの段階で与えることにしている、と言って、次のようなやりとりをします。

よりライブ感を出すために、逐語録風に記載します。

アドラー:「あなたにとって気持ちのいいことだけをしなさい」(第1段階での提案)

クライエント:「気持ちのいいことなどありません」(通常の答え)

アドラー:「それでは、少なくとも不愉快なことをする努力はしないでください」

こう言われると、症状を改善するために自分には向いていないことをするよう勧められてきた患者は、アドラーの助言を目新しく思い、うれしくなる。場合によっては、行動を改善するかもしれない。
ここで、アドラーは行動の第2の規則をほのめかす。

アドラー:「これは前に言ったものよりずっと難しいので、あなたがそれに従うことができるかどうかわかりません」

こう言ってからアドラーは黙り、患者の方を疑わしそうに見る。このようにしてアドラーは、患者の好奇心を刺激し、患者の注目を確保し、その上で次のように言う。

アドラー:「もしあなたがこの第2の規則に従うことができれば、2週間後にはよくなるでしょう。その規則というのは、時々、どうすれば他の人に喜びを与えることができるかどうかよく考えてみるということです。そうすれば、すぐに眠れるようになり、あなたが持っておられる悲しい考えを一掃することができるでしょう。自分が役に立ち、価値があると感じられるようになるでしょう」

アドラーのこのような提案に対しては、さまざまな応答が返ってくるが、どの患者も「実行するのは困難」だと考える。

クライエント:「自分自身でも喜びを持っていないのに、どうしてそれを他の人に与えることができるでしょう」

もしも答えが上のようだと、次のように言って見込みをより楽なものにする。

アドラー:「それなら4週間が必要でしょう」

クライエント:「誰が『私に』喜びを与えてくれるのですか」

このような率直な応答に対しては、次のように言って、ゲームの中で最も強力な一手でもって対決(コンフロンテーション)する

アドラー:「次のようにしてご自分を少し訓練なさるといいでしょう。実際に、誰か他の人を喜ばせるようなことを『しない』でください。ただ、どうすればそうすることが『できる』かどうかだけを考えてください」

クライエント:「おや、それなら簡単です。いつもしてきたことだから」

こう言ううつ病の患者がいれば、他の人より優位に立つために親切をしているのではないか、とアドラーは疑う。このような人には、

アドラー:「あなたが親切をした人は本当にそのことで喜んでいると思いますか」

と尋ねる。
時にはアドラーは、これはあまりにも難しすぎることを認め、妥協して穏やかな方法を持ち出す(注:これは不眠を訴えている患者に対してだからです)。

アドラー:「あなたが夜に思いつかれた考えをすべて覚えていてください。そして、それを翌日私に話して、『私を』喜ばしてください」

その前は何日も寝ていないにもかかわらず、深夜に何を考えていたかを尋ねられた患者は、「一晩中寝ていました」と答える。


アドラーの患者とのやりとりを読んでみると、逆説法、対決技法、エリクソンの混乱技法、一種の催眠技法、その他もろもろの技法が駆使されていることを発見できませんか?
アドラーは、不眠の人を眠らせるようにし、「誰か他の人を喜ばせるようなことを「『しない』ください」と暗示させながら「『アドラーを』喜ばすようにさせてしまう」のです。

ただし、このようなアプローチによってしばしば起こる災難である患者の自殺を経験したことがないアドラーは、次のように戒めるとともに、今日にも通じる、うつ病患者への周囲の援助にも言及しています。

・医師/セラピストは、すぐに勝利を収めることがないように注意しなければならない。むしろ、熱心に、あらゆる有用な情報を集めることで、患者のライフ・スタイルを再構築し続けるべきである。

・患者のまわりにいる人は皆、叱ったり、強いたり、あるいは、批判してはならず、むしろ、患者をより有利な状況にあるように援助しなければならないということを理解しなければならない。



いかがですか? アドラーが「早すぎた予言者」と言われたゆえんを再確認できましたか?

『人はなぜ神経症になるのか』は、このようなアドラーのケースがたくさん盛り込まれています。


<宣伝コーナー>

5月17日(土)13:30-18:30、18日(日)10:00-17:00にアドラー心理学に基づく「カウンセリング&セラピー演習」を開催します。

この講座は、ヒューマン・ギルドですでにカウンセラー養成講座を修了した方々を対象に、より徹底したカウンセリング(ライフ・スタイル診断も含む)に加えて、アドラー派のセラピーにまで及んで学ぶ講座です。カウンセラー養成講座のアドバンス編と受け止めていただければ結構です。

是非ご参加ください。


<お目休めコーナー> 自宅近くの早稲田通り沿いの、香り一杯のジャスミン



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隠密生活(おこもり)のススメ―美しく、新しい「私」になる
宮西 ナオ子
九天社

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和の呼吸でキレイになる! 日本女性の美と品格の源
宮西 ナオ子
宝島社

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(宮西ナオ子さんのホームページからご本人のお写真)


おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

新たに始めた「読む顔写真」シリーズの第2回目は、宮西ナオ子さんです。

まずは、宮西さんの講演の案内から

1.テーマ:「『和の呼吸』で元気になる!」
2.日 時:5月12日(月)18:45-20:30
3.場 所:ヒューマン・ギルド研修室
4.受講料:500円(税込み)
5.申込み:ヒューマン・ギルドにメール(
info@hgld.co.jp)か電話(03-3235-6741)でご予約を

講演会終了後、宮西さんを囲んで楽しい懇親会を行います。
なお、この講演会は、私が代表を務めるマネジメント・カウンセリング懇話会(中小企業診断協会東京支部の懇話会)主催で行うため500円という破格の受講料が可能になりました。


宮西さんは、私を船井幸雄先生につないでくださった人です。このご縁により、以来私は船井先生から「勇気の本物伝道師」というニックネームを授かりました。

また、ヒューマン・ギルドの会員にもなってくださり、盛鶴延先生の気功教室によく参加されます。

宮西さんがいると、気功教室の後などの懇親会を含め、さまざまな場面での会話が実に楽しく盛り上がります。
それは、宮西さんが話を実に楽しそうに聴いてくれるからです。言葉、表情、身体のすべてを込めて聴いてくれるので、話し手は、ついついべらべらしゃべってしまいます。

この聴き上手が宮西さんから学ぶ第1点(1)です。

私が宮西さんから学ぶことは、聴き上手の他に(2)飽くことのない好奇心・向上心、(3)類いまれな行動力があります。

宮西さんは、持ち前の好奇心・向上心に支えられた行動力により異分野の本―生き方から医学・美容・健康など―を次々とものにしておられます。

それだけでなく、能楽にも挑戦し、2006年には女性が演じる能楽について大学院で猛勉強の末、博士号(総合社会文化)を取得してしまった人です。

それだけではありません。その体験をもとに『美しく、新しい「私」になる隠密生活のススメ』(九天社)を著したのであります。
これだけで宮西さんのお人柄をご理解いただけるでしょう。


ちなみに宮西さんの好評発売中の本は、以下のとおりです。

『日本女性の美と品格の源「和の呼吸」でキレイになる!』(宝島社)
『ツキを呼び込む! 朝2時間の早起き』(宝島社)
『朝2時間早く起きれば、人生が変わる』(三笠書房・文庫とも)
『美しく、新しい「私」になる隠密生活のススメ』(九天社)
『唾液は何でも知っている』〔三五館)
『酉歳生まれは富んでいく人』(三五館)
『能楽と女性一考察』(檜書店)

また、次の本が5月以降に出ます。

『夢を叶える! 更年期からの本当の人生』(日本教育研究センター)
『眠る前の7分間!』(三五館)

(注)『夢を叶える! 更年期からの本当の人生』では、私(岩井)のことも紹介してくれています。


宮西さんがいらっしゃる場は、明らかに不思議なオーラに包まれます。
講演か気功の場で是非、宮西さんとご一緒ください。実感できますよ。


宮西さんのサイトはこちらです。 http://naoko-miyanishi.com/ 


5月12日ヒューマン・ギルドで講演された宮西さんの写真

(注)『夢を叶える! 更年期からの本当の人生』(日本教育研究センター、1,200円+税)と『眠る前の7分間!』(三五館、1,200円+税)は、ヒューマン・ギルドでも販売しております。

<お目休めコーナー> あしかがフラワーパークの花 ⑤ おおでまり




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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

「アドラーを読もう」の第11回目、7冊目の後半は、『人はなぜ神経症になるのか』の後半部分、「セラピー論」です。

前回は、『人はなぜ神経症になるのか』から次の2つだけを拾い上げ、「アドラーの言葉を忠実に引用しながら読者にアドラーの意図するところを提供します」と書きました。

1.ライフ・スタイル論―優越性の追求と関連づけて
2.セラピー論

それでは、後半の今回は、アドラー言葉を引用しながら彼のセラピー論を4点に絞ってご紹介します。

1.セラピーは、(1)協力的な人間関係を基盤として、(2)クライエントのライフ・スタイルの誤りを洞察しつつ、(3)目標の一致を図りながら進めること

「患者と医師の双方に共通する課題であり、この両者の協力関係の基盤となるのは、患者の誤りの本質を理解することです。そのためには、患者の生涯の決定的な段階をありのままに理解するだけではなく、その動的な統一性を、優越性に向かっての絶え間ない無意識的な追求の努力として認識しなくてはなりません」(第1章、P.7)


2.セラピーの際、クライエントのライフ・スタイルを変化させるにあたっても、(治療モデルよりも)教育モデルを採用すること

「神経症者、精神病者、そして問題行動のある子どもたちの行動のうちに、ある種の不可避性、過去からどうしても起こる結果を認めないわけにはいきません。苦心して作り上げた人為的な態度は誤った訓練の論理的な結末であり、このような結果だけを矯正しようとしてもほとんどどうすることもできません。より深い動機、すなわち、根底にあるライフ・スタイルを変化させなければならないのです。そのようにして初めて、患者は自分のあらゆる人生の課題を新しい視点で見るようになります」(第2章、P29


3.セラピーは、クライエントのニーズに応じた貢献をしつつ、共同体感覚を究極目標として、クライエントが人生の建設的に向けて行動できるよう勇気づけること

「最高のニーズに対してそれに応じた貢献をしなければなりません。・・・(略)・・・患者の共同体感覚は、常にある程度は存在するものなのですが、カウンセラーとの関係の中で、できうる限り最善の表現をとることができます。いわゆる『抵抗』は、人生の建設的な面へと戻る勇気を欠いているということに過ぎません。このことは治療抵抗を引き起こします」(第5章、P91


4
.セラピーにおいては、セラピストの最高の技術、巧みさが必要とされること

「個人心理学の方法は、患者がいまだに大事にしている誤りを認め、それを訂正するということが必要なので、療法家には最高の技術、巧みさが必要とされます」(第3章、P53


次の回でアドラーの技術、巧みさを、あるケースをもとにご紹介します。これを読むと、アドラーが50年先を歩んだ「早すぎる予言者」であるゆえんを理解できます。お楽しみに。


<お目休めコーナー> 自宅近くの早稲田通り沿いのクレマチス




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人はなぜ神経症になるのか
アルフレッド アドラー
春秋社

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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

アドラー自身の本の紹介の第7冊目は、『人はなぜ神経症になるのか』(原題は、“Problems of Neurosis”、岸見一郎訳、春秋社、1,900円+税)。アドラーの1929年の著作です。

構成は、以下のとおりです。

第1章 非建設的な優越性の目標
第2章 人生の諸問題に対処できないこと
第3章 共同体感覚の欠如と男性的抗議
第4章 愛と結婚の諸問題
第5章 神経症的ライフ・スタイルと心理療法
第6章 感情の神経症的利用
第7章 家族布置
第8章 早期回想
第9章 続・非建設的な優越性の目標
第10章 職業の選択と眠る時の姿勢
第11章 臓器言語と夢
解説

私は、この本から次の2つだけを拾い上げ、アドラーの言葉を忠実に引用しながら読者にアドラーの意図するところを提供します。
ただし、今までは、訳者の訳語をそのまま使っていましたが、ここでは一部を私なりの納得できる訳語に代えていることをご了承ください。

1.ライフ・スタイル論―優越性の追求と関連づけて
2.セラピー論


それでは、前半の今回は、アドラーのライフ・スタイル論を優越性の追求と関連づけてご紹介しましょう。

アドラーは、性格やパーソナリティという用語を避けてあえて「ライフ・スタイル」という言葉を使っています。
次の記述によってライフ・スタイルが人格心理学でいうところの「性格」と近い概念であることが明らかです。

「あらゆる神経症の問題は、人生の現実が要求するものを歪めたり否定したりするような困難な行動、思考、認知のスタイルを患者が維持しているということにあります」(第1章、P.7)

しかし、いわゆる性格とライフ・スタイルが違うところは、アドラーがライフ・スタイルをより動的に、劣等感を源泉とする「優越性の目標追求」と関連づけて捉えていることです。

「個人心理学では、優越性の目標を持つことが、神経症において決定的な要素であるが、目標そのものは常に自分が劣っていると感じているという経験にもとづいて作られる、と考えています」(第1章、P.7)

このライフ・スタイルは、いつごろまでに、どのように形成され、それが維持・固定されるのでしょうか?

「人生の最初の4年か5年に、子どもは、生まれつきの能力を最初の印象に適応させることで、自分自身のライフ・スタイルの原型を築き上げます。そして、そのようにして、撤回することのできないライフ・スタイルの基礎を築きます。これが後になって定式化されたライフ・スタイルへと発達し、人生の3つの課題に対する答えを条件づけることになります」(第3章、P.44)

アドラーは、ライフ・スタイルの原型が4・5歳までに築き上げられる、と言っていますが、現代アドラー心理学では、8歳まで、遅ければ10歳と言われています。

さらに見失ってはいけないことは、ライフ・スタイルを駆使して、人生の3つの課題―仕事・交友・愛―であるライフ・タスクに直面するとき、その人なりの回答を出すことです。

「行動の本当に重要な違いは個人の賢さではなく、建設的か、非建設的かの違いです。建設的ということで私が意味しているのは、全体としての人類の利益です。どんな活動についてであれ、その価値の最も実際的な評価は、全人類、現在だけでなく将来の人類に建設的かということです」(第5章、P.97)

ただし、ライフ・タスクに直面して、その人なりの回答を出そうとして機能するライフ・スタイルがバランスを崩すときがあります。
そのことに関してアドラーは、次のように言っています。

「個人的な優越性を追求すると、それは必ずや人生の課題のうちの1つをバランスを崩したかたちで拡大します。その場合、個人が抱く成功の理想は、社会的な名声か、事業の成功か、あるいは性的な征服に限られてくるようです。そこで現れてくるのは、戦う嫉妬深い立身出世第一主義者、他のすべての人を犠牲にして自分の利益を広げていこうとする仕事の実力者、さらに、自称ドンファンである恋の不義者です。どの人も人生の調和をかき乱し、多くの必要な要求を満たさないままにし、狭い行動領域においてさらに一層狂気じみた仕方で優越性を追求することで補償しようとします」(第9章、P.153)


長い文章になりました。まとめます。

今回は、アドラーのライフ・スタイル論のポイントとして

①ライフ・タスクとの関連において、そのバランスを重視しながら捉えていること

②ライフ・スタイルの健全さは、行動に移す場合の建設的(useful)か非建設的(useless)かの判断軸によって把握できること

をしっかりと押さえておきましょう。



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

連休の5月3日(土)、4日(日)、5日(月、祝)の3日間ヒューマン・ギルドで「愛と勇気づけの親子関係セミナー(SMILE)」のリーダー養成講座を開催しました。



受講者は、定員一杯の12名(再受講1名を含む)。しかも全員女性。遠くは、富山、愛知、新潟からの参加者も。

SMILEリーダー養成講座は、アドラー心理学ベーシック・コースとSMILEを修了していることが参加条件で、講座では、それぞれが2回実際にリーダーを務め、仲間から、講師から時には厳しい、友情溢れるフィードバックを受けるうちに1人ひとりの力量がアップしていることが確認できました。

進め方は、全体討議
あり、


ペアワークあり、


ロールプレイありの

緊張感と笑いが溢れた楽しい3日間でした。


なお、SMILEリーダーについての詳細は、ヒューマン・ギルドの下記のURLに

http://www.hgld.co.jp/event2/index.html#smile

 

<お目休めコーナー> ヒューマン・ギルドの研修室に咲いていた胡蝶蘭



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「複式簿記であなたが変わる」 ー仕事が変わる・家庭が変わるー
依田 宣夫
家計会計協会

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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

本日から時々「読む顔写真」というタイトルで私の尊敬する友人・知人を紹介します。

その第1回目は、やはりこの人、公認会計士・税理士の依田宣夫さん。私の大学4年生の時からの40年近い友人―というより知己―です。

依田さんとは、お互いは「岩井」「依田」と呼び合うのですが、他者がいるときは、「先生」がつき、なんとなく不自然な感じが付きまといます。

彼には、ヒューマン・ギルドの設立以来経理を見ていただいているし、また、彼はヒューマン・ギルドの3番目の株主(私、妻に続く)でもあります。

私が依田さんから学ぶことは、根本的な勇気づけと、信頼感に裏づけれらたフィードバックです。

ヒューマン・ギルドの経営が厳しかったときや岐路に差し掛かったときに彼に相談すると、

「岩井のやっていることは間違いがない。そのままやり通せばいい」

と言ってくれたかと思うと、いい気になっていると、

「経営は遊びじゃないんだ」

と手厳しいフィードバックをくれます。

これも長年お互いが相互尊敬・相互信頼で結びついてついているからでしょう。

その依田さんが近年勢力を注いでいるのが、複式簿記を企業のみならず家計にも応用することです。

つい最近では、5月2日発売で『複式簿記であなたが変わる
―仕事が変わる・家庭が変わる』(家計会計協会、1,482円+税、ご注文はアマゾンか家計会計協会へ)という本を出しました。

依田さんは、この本に寄せる思いを次のように語っています。

この本は複式簿記の勉強を始める前に、読んでもらいたいと思って書かれた本です。
この本を、会社の研修会などで、是非、利用していただきたいと思います。また、学校では、将来のために、学生の方たちの授業での副読本として、この本を、読んでいただきたいと思います。 
まさに、複式簿記を知らずに、正確な会社の経営分析や利益計画などは、できるわけがないと言っても、言い過ぎではないでしょう。
そこで、ぜひ、この本を読まれて、複式簿記の基本的な考え方を、理解していただけたら幸いに思います。


ご興味ある方は、彼の家計会計協会のホームページhttp://www.kateikessan.com/)もご覧ください。

会社の経理もしっかり見てくれます。連絡は下記に。
  

依田会計事務所 
〒154-0024 東京都世田谷区三軒茶屋1-37-1
電話:03-3410-2024 


なお、下の2冊の本は以前に依田さんが出した本です。

<お目休めコーナー> あしかがフラワーパークの花④(上はタイツリ草、下はきつねのてぶくろ)





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アドラーのケース・セミナー―ライフ・パターンの心理学 (Adlerian Books)
アルフレッド アドラー
一光社

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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

アドラーの本の紹介の6冊目は、アドラーの1930年の著書“The Pattern of Life”(写真)から私が翻訳した『アドラーのケース・セミナー―ライフ・パターンの心理学』(アルフレッド・アドラー著、W.B.ウルフ編、岩井俊憲訳、一光社、2,850円+税)です。

構成は、以下のとおりです。

訳者はしがき
序文  アドラーと神経症的世界 W.B.ウルフ
第1章 全身で示すジェスチャー
第2章 支配的な母親
第3章 犯罪への道
第4章 リードしたがる少年
第5章 成長の恐れ
第6章 反抗的な「不良」少年
第7章 ハンガー・ストライキ
第8章 リーダーに従え
第9章 従順過ぎる子ども
第10章 神経症の素地
第11章 先天的な知恵遅れ
第12章 病気を使って思うがまま
訳注集
訳者解説

この本は、アドラーが1人の大人と11人の子どものケースに解説を加え、面接を行った、ライブの症例研究の書です。それだけに『アドラーのケース・セミナー』のタイトルにピッタリの本です。

編集者は、『どうすれば幸福になれるか』(一光社)の著者のW.B.ウルフ。彼は、長い序文(なんとこれだけで40ページ近くに及ぶ)でアドラー心理学のエッセンスをうまくまとめています。

1929年のアドラーのアメリカでの講義期間中にニューヨークのニュー・スクール・オブ・ソーシャル・リサーチを会場としたもので、症例研究後、実際にそのクライエントが登場し、アドラーの面接を受け、その後アドラーがコメントを加えます。

ケースを扱う際のアドラーの天才的なひらめき、人間知の豊かさ(人間理解の深さ)、勇気づける対応に私は翻訳中「アドラー先生、さすが!」と拍手を送りたい場面が何度もありました。

私は、上のことを伝えたくて心を込めて「訳者はしがき」「訳注集」「訳者解説」を書きましたが、残念ながら私の意気込みの割りには売れていないのが残念です。

360ページを超える大著ですが、もしこの本を読んで、「岩井さんにだまされた。読む価値がなかった」とおっしゃる方には、3,000円分の図書券を個人的に差し上げます、と言いたいくらいの内容の本です。

アドラーの人柄、臨床的な冴えが伝わる本です。


(注)このブログで紹介しているアドラー心理学関係の本は、絶版の本を除いてすべてヒューマン・ギルドに在庫があります。ホームページの「書籍紹介」をご覧の上ご注文ください。

http://shop.yumetenpo.jp/goods/goodsList.jsp?st=hgld.co.jp

また、図書リストもあります。ご請求ください。


<お目休めコーナー> あしかがフラワーパークの花②(上は藤と牡丹、下はしゃくなげ)



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子どもの教育 (Adlerian Books)
アルフレッド アドラー
一光社

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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

アドラーの本の紹介の5冊目は、アドラーの1930年の著書『子どもの教育』(原題は“The Education of Children”、岸見一郎訳、一光社)です。

構成は、以下のとおりです。

第1章 序論
第2章 パーソナリティの統一性
第3章 優越性の追求と教育的意味
第4章 優越性の追求の方向づけ
第5章 劣等コンプレックス
第6章 子どもの成長 劣等コンプレックスの防止
第7章 共同体感覚とそれの発達の障害、家族における子どもの位置
第8章 状況と治療の心理学
第9章 準備の試験としての新しい状況
第10章 学校の子ども
第11章 外からの影響
第12章 思春期と性教育
第13章 教育の誤り
第14章 親教育
<付録1> 個人心理学質問表
<付録2> 5つの症例とコメント
解説

今回は、あまり回りくどく書かないで、アドラーの説く「教育の理想」「学校の役割」「教師の仕事」を私なりにまとめ、その裏づけになるアドラーの言葉を紹介することにしましょう。

1.アドラーの教育の理想は、「共同体感覚を育てるよう子どもたちを勇気づけること」と言い切ってかまわないでしょう。

「私たちにとって貴く価値があると思われる偉大な行為を思い起こすと、これらの行為が、行為者にとってだけでなく、共同体全体にとっても価値あるものであったことがわかります。それ故、子どもの教育は、子どもが共同体感覚あるいは共同体との連帯感を認めるようにしなければなりません」(第4章、P.64

「個人心理学は、子どもたちに、もっと勇気と自信を与えることで、また、子どもたちには困難は克服できない障害ではなく、それに立ち向かい征服する課題である、と見なすように教えることで、すべての子どもたちについて、その精神的な能力を刺激する努力をすることを主張します」(第13章、P.201

2.学校の役割は、家庭と社会生活の中間に位置しながら、家庭と現実の広い世界の仲裁者として、(1)生きることの知識と技術を教えることであり、(2)家庭教育のもとで形成された誤ったライフ・スタイルを矯正し、(3)共同体に中で個人の役割を果たせるよう、子どもを社会生活に適応させることです。

「理想の学校は、家庭と現実の広い世界の仲裁者として役立つべきであり、ただ本による知識が教えられる場所であるばかりでなく、生きることの知識と技術が教えられる場所であるべきでる」(第1章、P.16

「学校は、家庭と社会生活の中間に位置しています。学校は家庭教育のもとで形成された誤ったライフ・スタイルを矯正することができます。そして子どもを社会生活に適応するよう準備し、子どもが社会、共同体という、いわばオーケストラのアンサンブルの中で、調和して、個人の役割を果たすように世話をする、という責任を持っているのです」(第3章、P.54

3.教師の仕事は、教育の理想を具現化させるために、学校の役割に則り、子どもを徹底的に勇気づけることです。

「教師の最初の仕事は、子どもの信頼を勝ち取り、その後で、勇気づけということです」(第9章、P.143

「教師の仕事は、勇気づけることができる1つの子どもの業績から出発し、他のことにおいても同じように成功をおさめることができる、と子どもに信じさせるためにそれを利用すれば、ずっと容易なものになります」(第3章、P.55

「ほとんど聖なる義務といってもいい教師の最も重要な仕事は、どの子どもも学校で勇気がくじかれることがないように、そして、すでに勇気をくじかれて学校に入る子どもが、学校と教師を通じて、再び自信を取り戻すよう配慮することです」(第5章、P.83

 


いかがですか? アドラーの教育観を体系的にご理解いただけましたか?


 <お目休めコーナー> あしかがフラワーパークの花①(うちのカミさん撮影、上がつつじと藤、下がオステオスペルマム)

(注)うちのカミさんは「ままごと日記」(http://polianna.exblog.jp/)というブログをやっています。ご関心のある方は、ご訪問ください。コメントもよろしくね。



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