看板が立てられている穴がある。これは約3万年前の獣を獲るための落とし穴だそうだ。縄文時代この遺跡はまだ獣道だったということである。
さほど径は大きくはない。せいぜい猪であろう。狩猟の時代がこの弥生遺跡で見ることが出来るというのも面白いし、時代が下がるにつれて住む場所が低地から台地へと移っていったということでもある。更に周囲の遺跡の発掘からわかることで
もあるがこの付近の人口が急増したということである。農耕の発達、所謂食料の確保ということが一番の要因である。それがまた村々の争いを引き起こすことにもなるのである。
関係者が立っている場所はこの遺跡では最も広い方形竪穴住居跡である。本家とその兄弟家族が住んでいたそうだ。