街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

城野遺跡

2009-12-11 07:34:41 | 遺跡

 石棺の蓋が仰向けにされて置かれている。辰砂の赤がよく目立っている。ここが今回のメインであるから殆どの人はここから動かない。ある人はじっと見つめ、ある人は写真に収めるのに熱心だし、ある人は説明に耳を傾ける。三人三様である。
 おっと、金網にはまだ空色朝顔が咲いている。どうもこの朝顔は風情を台無しにしているようだ。やはり朝顔は夏だ。

 ヘアピンカーブのような見学路(逆行する人はまずいなかった)を一周するとご覧のような人だかりである。いつのまにこんなにも集まったものかと驚きもした。 帰る間際に受付に聞いたところ480人は来たということであった。
 埋蔵文化財調査室に電話を入れて見学人数の予想を聞いたところ「200人みえればいいのだが」ということであったが予想の倍以上の人数だ。発掘に携わった人達も喜んだことであろう。
 以前母と延永ヤヨミ園遺跡(行橋 主体は奈良時代)の説明会に行ったときは大凡100人程度であった。県の文化財保護課予想も「100人来ればなんとかですので、是非見学に来て下さい」と、「まあ枯れ木も山の賑わいだな」程度で言っているのかと思ってみたが、そうではなく懇願されたのである。
 やはり出土したもののレベルがあまりにも違うのである。ましてや時代背景が奈良時代と邪馬台国時代では関心のあるものは目の色が変わるのである。
 大和地方だったか、やはり邪馬台国時代の遺跡が出たときは18000人が来たというからこれは驚愕に値する。やはり判官贔屓であろうか。
 
コメント
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